2020.1.21
駅伝の双子選手たちの活躍で思い出す、マラソン史上に燦然と輝く双子のランナー〜宗茂・猛(陸上選手)
高校卒業後は旭化成陸上部に入部。当時、早稲田大学の瀬古利彦とは常にライバル関係にあり、ながらく低迷が続いていた日本のマラソン界において「史上最強トリオ」と呼ばれるほど注目される。中でも、1980年モスクワオリンピックの代表選考レースであった1979年の福岡国際マラソンでは、ゴールのある競技場で宗兄弟は瀬古と最後までデッドヒートを演じ、優勝こそ瀬古に譲ったものの、茂は2位、猛は3位となり、兄弟揃ってのオリンピック代表となったが、日本がモスクワ大会をボイコットしたため、その出場は幻となってしまった。これはマラソンのみならず、すべての競技において、選手たちはもちろんのこと、我々スポーツファンにとっても大変悲しくせつない記憶だ。
その後の1984年ロサンゼルスオリンピックではやはり兄弟揃って代表となり、二人とも完走、猛は4位入賞を、1985年北京国際マラソンでは兄弟同タイムで茂が優勝、猛は2位(同タイムだが優勝は茂)となり、国際マラソンでの兄弟1・2位独占は世界初の快挙であった。
本当に、日本陸上史に残る名選手たちである。その容姿だけでなく、少し変則的なフォームまでそっくりで、マラソンの中継画面にふたりが並んで走る姿が映されても、本当に区別がつかなかったものだ。
今年の箱根駅伝では、青山学院大学が2年ぶりの総合優勝を果たした。
たくさんの見どころがあったが、その中で私を含めた多くの人が注目していたのが5区の中央学院大学・畝歩夢(兄)、中央大学・畝拓夢(弟)の双子対決だったのではないだろうか。
拓夢にタスキが渡った時には歩夢との間に2分20秒の差があったので、実際に2人が競り合う場面は見られなかったが、終わってみれば歩夢が1時間12分46秒の区間8位、拓夢が3秒差で区間9位。中央学院大学は12位、中央大学は13位で往路を終え、さすが双子、と思ってしまうような結果になった。
箱根駅伝に先立ち元日に行われたニューイヤー駅伝(全日本実業団陸上競技連合)でも、市田兄弟(孝・宏)、村山兄弟(謙太・紘太)の二組の双子を擁する旭化成が4連覇を果たしていた。
旭化成は実業団界の東大附属(東京大学教育学部附属中等教育学校。長年双子の研究をしていて、双生児の募集枠がある)なのか。
他にもこのニューイヤー駅伝では、4区走者の設楽悠太(Honda)も大学時代には双子の兄・啓太(ともに東洋大)と、6区走者の松村和樹(愛知製鋼)も双子の兄・優樹と(ともに順天堂大)、箱根路でタスキをつないでいた姿が記憶に残っている。
これだけの事例があれば、なぜ長距離走者には双子が多いのだろう、と思ってしまうのも無理はないのではないか。
双子の誕生率は約0.4%だといわれるが、長距離走者におけるその率は感覚的にそれ以上なのではないかと思ってしまうほどだ。そのように感じている人は多くいるようで、その理由として、
「互いに切磋琢磨しあえるから」
「他の競技に比べてお金がかからないから」
等々と論じられているが、真相はどうなのだろうか。