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南和行「離婚さんいらっしゃい」
離婚をめぐるたくさんの悩みやさまざまな葛藤。そこには、夫婦、家族の数だけドラマがある。夫婦関係で悩んでいる人たちが、自分の人生を取り戻せるヒントが得られることを願って……大阪で弁護士として働く著者が架空でつづる離婚をめぐる物語。

第2回 アナタの尻ぬぐいには協力しない

【プロローグ】

 ようこそ離婚さん。離婚さんいらっしゃい。前回のクス子さんは、離婚という言葉に振り回されるよりも、実際にほっとできる暮らしになんとかたどり着いたようです。そういう点では、クス子さんと夫の相性が本当に悪かったのか、意外とそうでもなかったのかもしれません。ただ、母親の介護を終えて自宅へ戻った時が、クス子さんの決断の時となるのでしょう。
 でも、実際のところ、クス子さんのようなソフトランディングはなかなかない。片方が離婚したいと言い出したことで火がついて、てんやわんやの大騒動の末、離婚については自分の意地は通せたけれど、あとには何も残らなかったというキツネにつままれたような話もあります。

【ユニ子の場合】

 ユニ子は、市役所で働く46歳の公務員。ひとつ年上の夫も同じ市役所で働く同期だ。夫は大学に一浪で入っており、ひとつ年上の同期で、新任の頃に一緒に飲みに行く仲間だったが、気が合っていつしか二人でも仕事帰りに飲みに行くようになり、付き合うようになった。
 ユニ子が長女を妊娠したのを機に結婚し、ユニ子は産休と育休のあと職場に復帰し、夫はユニ子の復帰に合わせて時短勤務となった。市役所という職場がら、共働きでも子育てがしやすい制度が整備されていて、夫の時短勤務も世間の「イクメンブーム」の前だった。もちろん、嫌な顔をする同僚や上司もいたが、それはそういう人たちの考えだと夫婦で割り切って考えるようにした。その後、次女の妊娠出産も、同じようにした。
 ユニ子は、地域経済の部局で、夫は総務や人事の部局で順当に昇進し、それぞれ課長職になっている。今、長女が高校3年、次女が中学3年でダブル受験の1年だが、学習塾など進学のための費用、住宅ローンの負担も特に問題がない。
 ユニ子としては、今の生活は、子供の頃から計画的にすることが好きだった自分の性格に照らすとおおむね満足している。長女も次女も、自分の好きなことややりたいことをしっかり自分で決めることができる、母親から見てもよくできた子供たちだ。休日に母娘3人で、リビングでたわいもない話をする時間、ユニ子は、堅実な「当たり前」の生活を自分で築き上げた幸せに感謝する気持ちになる。
 そのような気持ちを持つとき、ユニ子の心に浮かぶのは、法学部に進学することや、地方公務員を就職の第一志望にすることに、その都度背中を押してくれた両親の顔である。もちろん夫の顔も。決してハンサムではなく、同期の男子の中でいちばん背が低いので、同期の女子の中でいちばん背が高いユニ子とのバランスをからかう仲間もいた。でも真面目な話題ほど夫と考えが合ったし、何よりも夫は勉強が好きでいろんな知識があり、ユニ子はそんなところが好きだった。一緒にいて、男性特有の暴力的なところ、自分が女子だからと身構えるような気持ちを感じることはほとんどなかった。
 年が明けて1月、本格的な受験シーズンとなり、長女の大学入試の付き添いでユニ子は都内のホテルで一泊する予定だった。ところが家に残った次女から、熱があるというLINEがきた。夫は、土曜だが新卒採用の関係の仕事で家におらず、長女が大丈夫だというので、ユニ子は泊まらずに家に帰ることにした。
 都内からの電車を降りて、駅前のロータリー広場への階段を降りる手前、ショッピングモールに続く遊歩道へと入る通路に夫とその女がいた。小柄な女が、夫の胸に右手をあて、夫の両手がその手を包み、女は泣いていた。嗚咽おえつしていた。夫はユニ子からすると新鮮な「男らしい」表情をしていた。
 あそこにいたのは紛れもなくユニ子の夫だった。そして一緒にいる女も、市役所の中で見たことがある顔だった。ユニ子は、それに気づいたが、夫と女のいる通路を通り過ぎ、予定通りロータリーからバスに乗って家に帰り、次女のための食事を作って、あとは夫の帰りをひたすら待った。
 夫とあの女は、不貞とか不倫とかの関係なのだろうか。それともそこまで進んでいない、好意ある男女の関係なのだろうか。いやいや、それはただの思い過ごしで、夫は上司として女の相談を聞いていただけなのだろうか。今から何かが起こるのか、何も起こらないのか。何も起こらないことのほうが良いと頭ではわかっているのに、何かが起こるのを見てみたい高揚感が、グツグツと煮える鍋の蓋のようにカタカタとしていた。
 そして夫は夜10時頃に帰ってきた。夫は、長女の受験に付き添っているはずのユニ子が家にいることに驚いた様子だった。ユニ子は、次女が熱を出したこと、次女の熱はたいしたことはないこと、そして夕方、夫と女を駅で見かけたが、「大事な話をしていた様子だったので声をかけづらかった」ことを話した。声を震えさせてはいけないと思っていたのに、思わず声が裏返った。カッコ悪いと思った。
 夫は、ほんのしばらくだけ黙っていたが、スルスルと話をした。あの女が市役所の嘱託職員であること、採用面接をしたのが夫であること、夫のほうから好意を持つようになったこと、そして、体の関係を持つようになったこと、そしてその女が今、夫の子を妊娠しており、もう中絶ができない時期になっていること。
 ユニ子にとってその話は、さっきまで夫を待ちながら高揚感と共に想定していた内容をすべて凌駕りょうがするものだった。夫のほうから女に声をかけたことや、女が妊娠までしていたこと。ユニ子は「10代じゃあるまいし」と吐き捨てるように言った。
 夫は「ユニ子と子供たちにとって、どうお詫びしてもしょうがないことだと思う。責任をとるしかない」とただ頭を下げた。ユニ子が「責任!? どう責任をとるの!?」と言うと夫は「この家のローンは、君の名義の分も含めて、実家の親からお金を借りて僕が全部返す。そして抵当権を外した上で、家をすべてユニ子の名義にする。娘二人が大学を出るまでの学費と生活費にあたる部分もできるだけ払うようにする。その手続きが全部できた上で離婚届を書いてほしい」と言った。
「離婚!? あなた、自分がそれだけのことをして、なんでワタシが、アナタが再婚するために離婚届を出さなきゃいけないの!? アナタとあの女の尻ぬぐいに、なんでワタシが離婚届にサインしてあげなきゃいけないの!?」

【弁護士からユニ子へ】

 離婚には協議離婚、調停離婚、審判離婚、裁判離婚などの種類がありますが、協議離婚以外は裁判所の手続きによる離婚です。一方で協議離婚とは、離婚届を作成し役所に提出すればそれだけで成立する、裁判所の手続きナシの離婚です。
 この協議離婚、手続きとしてはとても簡単で、離婚すること、そして未成年の子供がいる場合は、子供の親権者をどちらにするかについて、お互いの意見が一致すればそれだけで離婚ができます。裁判離婚のように、離婚のための特別な理由も問われません。理由無制限一本勝負の協議離婚が、日本でもっとも利用されている離婚です。
 しかし協議離婚は、互いに「離婚する」ということに合意していないとできません。そして離婚したいワタシが、協議離婚をアナタに求めたとき、アナタが協議に応じる義務はありません。ユニ子さんは、夫から住宅ローンや家の名義、さらには子供さんたちの学費などについて夫から条件を提示され、そして離婚届による協議離婚を求められましたが、当然ながらユニ子さんにはそもそも協議を断る自由があります。
 協議離婚を成立させることに特別な理由がいらないのと同じで、協議離婚のための協議を断ることにも特別な理由はいりません。「嫌だから断る」でもいいし、なんなら「理由はないけど断る」でもいいのです。ユニ子さんのように「知らない間に好きなことをした夫の尻ぬぐいのために、自分が協力するなんて絶対にしない」ということも、協議離婚の求めを断る立派な理由です。
 このように協議離婚ができなかった場合、離婚したいワタシはどうすればいいのでしょうか。離婚したくないアナタを説得し、あるいはねじ伏せて離婚を実現したいのであれば、裁判所に行くしかありません。まず離婚調停を申し立て、裁判所で話し合いをして、なんとか離婚してもらえないか、調停手続きの中で離婚したくないアナタを説得することになります。そして離婚調停での話し合いもまとまらない場合は、判決による離婚を求めて離婚訴訟を提起し、離婚を命じる判決の獲得を目指すしかありません。
 しかしユニ子さんの夫の場合、裁判所に駆け込んでも、離婚を実現することは難しいでしょう。離婚調停というのは、裁判所に所属する、民間から選ばれた調停委員という調整役を間に入れて話し合いをするのですが、「一般的な市民感覚」をもつ調停委員からすれば、妻と子供がいる中で、職場で部下の女性と不倫をし、「離婚したい」という夫の求めはずいぶん身勝手に見えるでしょう。「妻のユニ子さんが離婚に応じると言っているのならいざ知らず、それでも夫から離婚を求めるのは、盗っ人猛々しいんじゃないですか?」と調停委員からやんわり言われるのが目に見えます。
 それなら離婚訴訟を提起して……となるのですが、どうでしょう。裁判離婚を命じることができる理由を書いてあるのは民法770条という条文です。その1項1号には「配偶者に不貞な行為があったとき」とありますが、今回はこの場面にはあたりません。これはユニ子さんが原告になって、「アナタが不貞行為をしたから離婚してくれ」と夫に離婚を求める裁判を起こす場面を想定した条文です。そもそも実際の離婚訴訟は、離婚する原因になるような事情を一方的に作ったような責任ある配偶者(有責配偶者)からの離婚請求には、とても厳しい判断をする運用となっています。
 ということで、ユニ子さんが、「離婚は絶対しない!」と言うことはもちろん自由で、そしてそのユニ子さんの気持ちを抑えつけて離婚することは、裁判所に調停や訴訟を起こしたとしても難しいのが現実です。

【ユニ子のその後】

 夫の尻ぬぐいのために自分が離婚に協力するなど、ユニ子にとってとても耐えられないことだった。夫とはもう長くセックスレスだったが、別に嫌いになったわけでもなかった。夫もそれなりにユニ子に、女性として好意を抱いてくれていると思っていた。夫が自分よりもずいぶん若い小柄な女に、男として好意を持って近づいていたという敗北感と、離婚に協力することはそれを認めることだという悔しさがあった。
 それに職場の市役所では、ユニ子と夫は、周囲からうらやましがられている夫婦だった。職場結婚の夫婦はほかにもいたが、嫁姑のいさかいや、夫の家事への不協力で妻が疲弊している夫婦もいて、そんな夫婦が離婚すれば、少なからず狭い職場の昼休みのゴシップになった。夫婦とも仕事ができ、子育ても問題なく、家族も円満であることが、市役所の幹部からユニ子と夫がそれぞれ信頼され評価されている無形の付加価値であることもユニ子は知っていた。今ここで離婚することは、ユニ子の仕事においても、マイナスしかない。
 娘たちも、父親である夫を嫌ってはいなかった。夫は娘たちとも仲良くしていたし、有名国立大学の法学部を出ている夫の意見を、進路選びや将来設計の指針にしていた。母親であるユニ子とは違う親の役割を夫は果たしていた。長女はもうじき大学生となりほとんど大人と同じだ。次女も高校生になれば自分でいろいろなことを決められる。でも、ユニ子は自分が離婚に協力し、娘たちから父親の存在を奪うことはできなかった。
 そもそも、ユニ子がそんな苦しい選択に悩むのは、すべて夫に非があることだ。ユニ子は何も悪くない。ユニ子はただ自分の人生をしっかり積み重ねて、幸せな家庭を築いていただけなのだ。夫も同じ景色を見ていると思っていたからこそ、それができたのに、夫は別の景色にかまけた。世に言う「男の身勝手」そのものではないか。ユニ子は自分が冷静で自立した女だからこそ、「男の身勝手」に一切の同情もする必要はないと思った。
 1月の長女の大学入試の前日、夫からの話をユニ子が強く突っぱねてからも、夫は、子供がいないタイミングで、「あのことをもう一度、話し合いたい」と言ってきた。しかしユニ子は断った。ただ「アナタの尻ぬぐいのために、離婚に協力するつもりはない。これまでどおり、アナタはワタシの夫であり、娘たちの父親としての責任を果たしてほしい。それだけだ」ということを言った。そのときの夫の悲しそうな顔、泣き出しそうな顔は忘れられない。夫の悲しみは、自分の希望をユニ子が受け入れなかったことではなく、夫と結婚できない、未婚の母にしかなることがないあの女のことを不憫ふびんに思う、それでいて慈しむ男の悲しみだった。ユニ子はますます、自分が離婚に協力することなどないということを確信した。
 2月に長女は、第一志望の都内の大学に合格した。長女は友達とルームシェアで暮らすという。都内なら通えるのにとユニ子が言うと、長女は「だから今から家を出ておいたほうが、将来、自立できるでしょう」とユニ子が抱きしめたくなるようなことを言った。次女も手堅く地元の公立の進学校に進学した。
 娘たちの進学が落ち着いた頃、夫は6月から市役所を出て、関西にある国の機関への2年間の出向が決まっていることをユニ子に話した。4月になり長女は家を出て、次女は高校生になり、6月には夫は関西へ転居していった。夫の胸に手を当てて嗚咽していた女、夫の子を宿していると聞いていた女は、市役所では姿を見なくなっていた。妊娠している子供がどうなるのか、関西にあの女も一緒に行くのか、ユニ子はそれを探ることはしなかった。ただ夫が出るときも「ワタシはあなたの尻ぬぐいでの離婚には協力しない」と言った。
 夫は、盆休みや、秋の連休、年末年始や娘の帰省に合わせて家には帰ってきたが、ユニ子と夫の会話はなくなった。共有の生活費の口座には、これまでどおり夫からの入金があり、住宅ローンも子供たちの学費も問題はなかった。次女の修学旅行のパスポートのために戸籍謄本をとったら、夫が、ユニ子の知らない名前の女が産んだ子を認知していることがわかった。男の子の名前だった。ユニ子は戸籍に書かれている全く馴染みがない女の名前と、夫が認知した男児の名前を指で何度もなぞった。なぞればなぞるほど、夫に似た顔の赤ちゃんの顔が思い浮かび、その顔はどんどん成長して夫の顔になった。

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南和行

みなみ・かずゆき●1976年大阪府生まれ。京都大学農学部、同大学院修士課程卒業後、大阪市立大学法科大学院にて法律を学ぶ。2009年弁護士登録(大阪弁護士会、現在まで)。2011年に同性パートナーの弁護士・吉田昌史と結婚式を挙げ、13年に同性愛者であることを公言する同性カップルの弁護士による弁護士事務所「なんもり法律事務所」を大阪・南森町に立ち上げる。一般の民事事件のほか、離婚・男女問題や無戸籍問題など家事事件を多く取り扱う。著書に『同性婚―私たち弁護士夫夫です』(祥伝社新書)、『僕たちのカラフルな毎日―弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記』(産業編集センター)がある。
大阪の下町で法律事務所を営む弁護士の男性カップルを追った、本人とパートナー出演のドキュメンタリー映画『愛と法』が話題。
・なんもり法律事務所
http://www.nanmori-law.jp/
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