2018.10.22
第1回 理由無制限一本勝負の協議離婚
【プロローグ】
ようこそ離婚さん。離婚さんいらっしゃい。「他人様の不幸を、面白おかしくエッセイにするなんて、弁護士の風上にも置けない!」と怒られそうですが、まず自己紹介から。
僕、南和行は大阪で弁護士をしています。遺言、相続、後見などの家庭裁判所の案件、不動産や金銭トラブルといった一般の民事の案件、個人事業主の営業譲渡や中小企業の経営コンサルといった商売の話、それに行政裁判や刑事裁判と、離婚に限らず事務所に持ち込まれた案件は、できる限り引き受けるいわゆる「マチベン」です。
ただ僕は離婚の案件が、その中でも特に好きです。弁護士にとって、案件というのはどれも個別性があり、「得意だ」とか「専門性がある」とか言うほうが無責任だと思うので、僕は敢えて言葉を選んで「離婚の案件がとても好き」といつも言います。
けっして面白がっているわけじゃありません。離婚のこと、夫婦のこと、家族のことに悩む人を茶化して、バカにして、笑いものにするためのエッセイではありません。「離婚」という言葉は、人によって抱くイメージがずいぶん違います。そんな中で、多くの人が、離婚という言葉を使いながらも、相手に自分の気持ちや悩みや葛藤を伝える難しさに直面します。
結婚や夫婦に同じがないように、離婚にも同じはなく、離婚の数だけその言葉に翻弄される夫婦がいる。犬も食わない夫婦ゲンカのように、たかが離婚と言う弁護士もいますが、僕は離婚をめぐる悩みや葛藤を解きほぐす中で、その都度、人それぞれの感情に触れ、「あぁ、そうか、この人にはこんな風な人生の物語があったんだ」としみじみとなります。だから僕は敢えて「離婚が好き」と言うのです。
もう自分の心は行き場がないと思っている人が、このエッセイを読んで触れた感情を、自分の人生を取り戻す小さな原動力にしてくれたらと思っています。
エピソードはすべて僕が創作した架空の人物の物語です。実際の相談案件や裁判のことを生々しく書くことはしませんが、出てくる人々が抱く感情は、本当の物語の中で僕が触れたと思っている感情です。どこかに自分の日常や、自分の人生を重ね合わせて読んでいただけたら嬉しいです。
【クス子の場合】
クス子は63歳。6歳年上の夫は、65歳で会社を退職してから、4年間ほどずっと家にいる。これといった趣味に没頭しているわけではないけれど、夫は本を読んだり、図書館に出かけたり、自分の好きなことに時間を使っている。
クス子はというと、子供たちが手を離れた40代の後半から、近所の人に誘われてカバン工場の製品梱包のパートを始めた。パートの仕事は今もずっと続けている。定年は特に決まっていないが、一緒に働く主婦たちはだいたい65歳でパートを辞める。クス子はあと2年だ。
クス子は21歳で夫と結婚した。母方の叔父が、取引先の会社で働いている東北出身の夫をクス子の両親に紹介し、食事会のようなものを経て結婚が決まった。正式な仲人はなかったが、見合い結婚だと思っている。結納金がどうだったのかは親任せで覚えていないが、神社で挙げた結婚式や中華レストランでの披露宴の費用は、夫の両親が出したように記憶している。
夫の実家は東北の水産物加工の工場で、そこは夫の長兄と次兄で継いでおり、三男坊であるクス子の夫は、結婚したあとも盆暮れ正月の里帰りに、クス子や子供たちを連れて実家に帰るだけだった。子供たちの入学や卒業、そして結婚という節目では、夫の両親はクス子たちのところまで来てくれたが、夫の両親の面倒は、夫の兄たちがしてくれていた。
クス子は結婚して2年目で長男、4年目で長女を産んだ。長男は大学を出て就職して家を出たが、転勤族になったので家に帰る様子はない。長女は短大を出たあと、家から勤めに出ていたが、自分で知り合った相手と結婚をし、夫が定年退職した年に家を出た。長女が家を出てからはクス子は夫との二人暮らしとなった。
クス子には、苦手なことがある。夫との夜の生活だ。夫は今でも月に数回、夜の生活を求めてくる。クス子は、その短い時間、目を閉じて時間が過ぎるのを待つ。暴力を振るわれるわけでもない。体を痛くされるわけでもない。それでもクス子は、夫の体が自分の肌に触れている感覚を気持ち悪いと感じる。結婚した頃は、子供を作るためにはしなければならないことだと思い、夫のするとおりにした。ただ夫は、子供が生まれたあともクス子に夜の生活を求めてきた。クス子は、若いうちは男の人はそういうものだろうと考えることにした。いつか夫も、中年になりそういうことをしない年齢になると思い、終わりの時期を待っていた。ところが50代になっても、60代になっても夫は変わらなかった。
クス子は、風呂上がりの夫の、シミのある背中、毛の生えた首筋、胸のホクロ、腹のたるみなどを目にするだけでも、夜の生活の気持ち悪さがよみがえり、顔がこわばり食欲もなくなる。「早くシャツを着てよ」と声をかけることすら、気持ち悪さから喉がつまる。だから、夫が風呂に入るとすぐに、下着等を風呂場のドアの前におき、風呂場から出るときに衣類に足がひっかかるようにする。そうすれば少しでも早く夫の裸が隠されると思うから。
夫は両親に似て言葉数が少ないが、生活に必要なことはちゃんと話してくれる。子供の家族のこと、世の中のこと、クス子のパート先でのたわいもない出来事を二人で笑って話すこともある。でもクス子は夫と、夜の生活のことを、話したことがない。クス子は、明かりを点けているうちから、妻であるクス子から夜の生活の話を夫にするなんて、ふしだらな気がしている。テレビで男女の関係を思い起こすシーンが出るだけでも、夫の顔を見ることができない。
男女の関係というのは、夫婦の間では当たり前にすることだとはクス子も知っていた。だから結婚し、子供を持った。でも、それは中年も終わりそうな夫婦になってもしなければならないのだろうか。夫の顔を眺めると、夜の生活の気持ち悪さが心に浮かび、こんなことに悩む自分がおかしいのだろうかという気持ちにすらなる。夫が退職し家にいる時間が多くなってから、クス子はパートのシフトを多めに入れるようになっていた。
クス子の人生にとりたてた不幸はなかった。夫の稼ぎは安定し、経済的にも困らず、子供たちにはそれぞれ望む進学をさせてやることができた。夫から手を上げられたこともなければ、家事や育児への不満や苦言を言われることもなかった。子供たちが小さかった頃の誕生日やクリスマス、里帰りの家族旅行というのは、家族団らんの思い出というのだろう。でも今、夫と二人の生活になったクス子にとって、夫の存在は夜の生活の気持ち悪さだけだ。
パートが終わり家に帰り、夕食の支度をし、夫と食べ、夫が先に風呂に入り、そのあとクス子が風呂に入る。夫が見ているテレビのニュース番組の終わりが近づくと、「また並んだ布団に寝なければならない」と心がこわばり始め、そしてそんなおかしなことを気にする自分への情けなさに息が詰まりそうになる。そんなときクス子の頭には「離婚できたら」という言葉が思い浮かぶ。
【弁護士からクス子へ】
クス子さんのような人が相談にくることはまれです。目の前の生活がなんとなく流れている中に、「嫌だ」という感情を我慢してごまかしてやり過ごしている人が多いように思います。また夜の生活のことを、初対面の弁護士に話すことの躊躇や、そもそも夜の生活のことが、弁護士へ相談すべき法律問題なのかという先入観を持っている人も多いです。
とはいえ実際に離婚の相談にきた人から、結婚した夫婦が夜の生活をするのは「当たり前」なのに、それを苦手だとか気持ち悪いだとか思う自分のほうがおかしいのではと、クス子さんのような感情を聞かされることは少なくないです。たしかにテレビのワイドショーや週刊誌で出てくる有名人の離婚は、不倫で裏切られたとか、借金を抱えてとか、そうでなくてもお互いの生活のすれ違いとか、目に見える形がある理由ばかりです。やっぱり特別な離婚の理由がないと離婚はできないのでしょうか。
結論からいうと、特別な理由がなくても離婚はできます。離婚に必要なのは、離婚という結論を二人が理解し署名押印した離婚届の紙一枚、それを役所に出すことだけです。「私はあなたの髪型が嫌いで離婚したい」「うんわかった。それなら離婚しよう」と言って、夫婦が二人で書いた離婚届を役所に持って行ったとして、窓口で「そんな理由じゃ離婚は受け付けないよ!」と言われることはありません。離婚はどんな理由でも、いや、理由なんてなくたって、二人が離婚したいと思って、それが合致すればいつでもできるのです。
だから、「離婚できたら」が頭に浮かんだときは、離婚の理由なんてとりあえずは他所に置いておいて、まずは「離婚すれば自分の生活はどうなるのか」「そして夫はそのための離婚に同意してくれるのか」を考えてみることを優先したほうが良いのです。3ヶ月後、半年後、1年後の未来にいる「離婚した私」を描いて、そこにどうすればたどり着けるのかを考えましょう。「離婚は、未来の私のシアワセの第一歩……ありがとう、弁護士さん」なんてキャッチコピーを日弁連(日本弁護士連合会)の広報室にプレゼンしたい気分です。
でも、ちょっと待って? よく「不倫したら即離婚」とか「別居何年で離婚できる」とか、巷(ちまた)では離婚するためには条件がいると言ってるじゃない。それはどういうことですか?……という疑問。あります。わかります。ここで言われる「不倫したら即離婚」「別居何年で離婚できる」というのはいずれも裁判離婚で意味を持ってくる話です。
離婚には、協議離婚、裁判離婚、調停離婚、審判離婚……と種類があるのですが、さっきから話している理由無制限一本勝負の離婚届の離婚は、協議離婚という種類の離婚です。これは民法763条という法律に書いてあります。「夫婦は、その協議で、離婚をすることができる」とあり、ようするに話し合いさえ整えば、いつでも離婚ができることが夫婦には保障されています。未成年の子供がいる場合は、離婚について話し合いが整っても、子供の親権者をどちらに定めるかの話し合いが整わない限りは、離婚届は出せませんが、それでも、離婚のための特別な理由が必要なわけではありません。
このように話し合いによる簡単な手続きで離婚ができることもあり、日本全体の離婚のほとんどがこの協議離婚です。ワタシから、離婚したいと伝えられたアナタが、自分も離婚したかったと応えれば、離婚届による協議離婚は成立です。
しかし、そうではない場合、離婚したいワタシと、離婚したくないアナタの場合、どうすれば離婚できるのでしょうか。離婚したいワタシがあきらめるということは、離婚したい気持ちを我慢して抑えこむということです。でも、離婚したい気持ちが我慢できないほどに切実なもので、離婚できないと考えるだけで心も暗くなり体も重くなるような場合、離婚したいワタシにとってそれは、心を殺すか、体を殺すのか、二者択一の結婚生活の続行です。
離婚したくないアナタが、「わかった、離婚しよう」となるまで死にそうな思いで説得するしかないのでしょうか。いや、そんなの無理です。離婚したくないアナタを抑えこんで、強制的に離婚させてくれる誰かはどこかにいないのでしょうか……というときの誰かが裁判所です。
裁判所が判決で「ワタシとアナタは離婚する」と離婚を命令する判決を出し、その判決が確定すれば、いくらアナタが「離婚したくないー!」と役所の入り口で駄々をこねて騒いでも、それを抑えて離婚が成立します。
しかし裁判所にとっては、離婚したいワタシの気持ちも、離婚したくないアナタの気持ちもどちらも一人の人間の感情として平等です。そうそう安易に「アナタの気持ちは、たいしたことない。ホレ、我慢しなさい」と言うことはできません。だから法律は、裁判所が軽はずみに離婚の判決をしないよう、あらかじめ法律が定める特別な離婚の理由があると裁判所が判断したときだけ、離婚の判決ができるとしています。巷でよく言う「不倫したら即離婚」とか「別居何年で離婚できる」というのは、いずれも裁判で離婚するための特別な理由の話です。
しかも法律は、強制的な裁判離婚には慎重なので、離婚を求める裁判を起こすためには、まずは裁判所で離婚について話し合う離婚調停をすることを原則として求めています。そして、離婚調停の話し合いでもどうにも解決ができないときだけ、離婚したいワタシが原告になって、離婚の裁判を提起することができるのです。
離婚したいワタシタチなら離婚届で明日にでも離婚できるのに、たとえ50年間別々に暮らしていたとしても、離婚したいワタシと離婚したくないアナタの組み合わせとなってしまえば、離婚調停、離婚裁判という長い道のりを経てしか、強制的な離婚にはたどり着けません。
【クス子のその後】
クス子の性格では、理由も告げずに「とにかく離婚したい」ということを夫に言うことなどとてもできなかった。かといって夫に面と向かって夜の生活の話をすることもできなかった。このまま自分が、我慢をするよりほかないのかという思いだった。弁護士が言った「心を殺すか、体を殺すか」という言葉が胸に突き刺さった。
クス子にとって夫は、生理的な気持ち悪さを感じさせるだけの存在となってしまった。しかし夫はクス子がそのように感じていることに、おそらく気づいていない。夫は夜の生活をクス子に求めてくる。そしてその都度、クス子の体の中に、夫の気持ち悪さがドロッとした膿のように溜まっていく。
しかしクス子も思う。夫は悪人なのだろうか。たしかにクス子は夫に傷つけられている。しかし夫は、相手が傷ついていることを知ってもなお、人を傷つけ続けるような品性のない人間でもない。「夫婦なんだから、そういうのは当たり前」「60代でもするのがおかしいって誰が決めたの?」と、夫を庇う人が現れたとき、クス子はそれでも夫を責められるだろうか。
「心を殺すか、体を殺すか……」その言葉を心で反芻する日々が続く中で変化が訪れた。実家で一人暮らしをする80代のクス子の母が転倒し、家族による介護が必要になった。クス子は、カバン工場のパートを減らし、母の介護をすることになった。10年前に父が亡くなってからも、衰え知らずの母は80を越えてもしっかり一人で暮らしていた。クス子は母の健康に甘えて、実家のことは「そのときがきたら」と先送りにしていた。
実家は二駅先だったから介護は日帰りで十分だったが、ある夜、ベッドで先に眠った母のいびきを聞いていると、慣れない介護で体が疲れていたのか、明かりをつけたままクス子も朝まで床でそのまま眠ってしまった。布団も敷かずに眠ったのに、ぐっすり朝まで眠ってしまい、明け方、クス子は、少女だった自分が母の足にまとわりついて遊んでいる、何十年も時代を巻き戻した夢を見て目が覚めた。母のベッドの横でなら、クス子は右にも左にも寝返りをうてた。母のいびきも気にせずに目をつむることができた。家で布団で寝るときは、夫が寝ている左側の掛け布団の端を、手でギュッと握るのが癖になっていた。そして夫の寝息が聞こえるまで目をつむることもできなかった。
クス子は、夫に申し訳ないと思ったけれど、安心して眠りたかった。夫には「母のために介護に専念したいから」と、実家で暮らすことを伝えた。言葉数の少ない夫は特に不満は言わず、「困ったことがあったら連絡する」「何かあったら連絡して」とだけ言った。クス子は、はじめて「あぁ、優しい夫と結婚できて良かった」と思えた。離婚しなければ「心を殺すか、体を殺すか」と刺さっていた心の棘が、ほろりと抜けた気がした。
本連載に書き下ろしを加えた単行本『夫婦をやめたい 離婚する妻、離婚はしない妻』が6月25日に発売予定です。どうぞお楽しみに!