2025.4.19
「名古屋めし」ブームの陰で、八丁味噌は特権階級から転落した
資料に頼らずとも、八丁味噌が特別なプレミアム品と目されていた証拠は、今も身近に残っています。
前回、和食の最高級ラインが日本料理、ということについて書きました。料亭や割烹などで提供される料理です。そういった高級店で使われる定番の味噌はおおよそ、西京味噌と八丁味噌の2種類なのです。
日本料理が京都を中心に発展してきた関西ベースの料理である、ということは前回お話しした通りですが、その体系には全国の「一流品」が取り込まれてもいます。例えばうどんであれば、秋田県の稲庭うどんが割烹の定番。味噌に関しては、西京味噌はお膝元の京都の高級味噌ですが、それに加えてわざわざ八丁味噌も取り寄せていたということです。
つまり、上流の日本料理の世界では全国統一的に西京味噌と八丁味噌が使われ、下流の庶民的なローカル料理の世界では地域ごとのローカルな地味噌が使われている、というのが基本的な構造。かつての僕の実家における八丁味噌の特別扱いは、そんな文化というか価値観を、どこか引き継いだものだったのかもしれません。それを僕が「特別おいしい」と感じていたのは、なんだか戦前の食道楽のおっさんが転生したかのようで、少しキモチ悪くもありますが。
そしてそんな八丁味噌を普段から当たり前のように常食している名古屋民は、もっとそのことを誇ってもいいのではないかと思います。自虐ネタで儚い笑いをとっている場合ではないのです!
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しかしそれにしても、過去の時代における八丁味噌の特別扱いぶりには、微かな違和感を覚えるのも正直なところです。確かに八丁味噌のおいしさには唯一無二と言っていいところがありますが、各地の味噌もやはりそれぞれにおいしく、好みの問題は別にすればそうそう優劣がつけられるものでもないと思うからです。
戦前の資料を紐解くと、「田舎味噌は味が悪いだけではなく、非衛生的なものも多い」というようなことがはっきり書かれているものもあります。この時代は、漬物などもそうですが、庶民的な伝統食がとかく軽んじられる風潮はあったようです。日本人も西洋的な食事をして列強に追いつかねばならない、みたいな価値観と表裏一体ですね。
しかしそれは単なる風評ではなく、実際にそういうものの品質が低かった可能性はあると思います。八丁味噌が手放しで賞賛されていたのも、信州味噌ばかりが急速に全国に広がったのも、それらがその時代において他に一歩先駆けて、安定した品質と生産体制を確立していたということなのではないか、という推論も可能な気がします。
実際にどうだったのかはもはや知る由もありませんが、少なくとも現代においては、各地に特徴的なおいしい味噌があり、当然ながら低品質でも不衛生でもありません。そんな中で八丁味噌は、ある意味追いつかれ、ワン・オブ・ゼム的に埋もれてしまったということなのでしょうか。
ですがそれでも、名古屋をはじめとする東海三県民の八丁味噌に対する絶大な信頼と深すぎる愛、そして「八丁味噌以外の味噌は味噌として認めるわけにはいかんのだわ」と言わんばかりの(本当です!)その「純潔」ぶりを見ていると、やはり八丁味噌は、他の味噌と並列で語るには余りある何かを有しているような気もしてならないのです。

次回は5/3(土)公開予定です。
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