2025.1.18
「客になんちゅうもん食わせるんや!」絶賛と全否定に分かれる〝とんこつラーメン〟
関西から次に移り住んだのは、名古屋でした。社会人になった後、1990年代のことです。その後主な仕事場となった岐阜も含めて、この地域には当時、僕のとんこつ遺伝子を震わせるラーメンはごく少なく、僕はそこでおいしいラーメンに出会うことは半ば諦めていました。
ただ幸いなことに、名古屋であれば博多ラーメンの専門店は数少ないながらも存在し、僕はほぼそこにしか行きませんでした。しかし仕事で多くの時間を過ごしていた岐阜には、それすらありませんでした。たまに「とんこつラーメン」がメニューにあっても、それは業務用パイタンスープがベースとなったもの。あれは原材料だけ見るととんこつ成分らしきものもちゃんと使われているようですが、なぜなのかとんこつ遺伝子は1ミリも震えません。
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ある時夜の街の一角に、あきらかにそんな業務用パイタンがベースの「とんこつラーメン専門店」ができました。僕は一度だけ行って憤慨して帰ってきたのですが、後に尊敬するある先輩シェフがそれをうまいうまいと絶賛していたという話を聞き、なんだか幻滅してしまったのを覚えています。若者ってピュアですね。
そんな岐阜に、ある時ついに博多ラーメンの店ができました。店主は名古屋のそういう店同様、本場の出身者です。場所が少し遠かったので開店を聞きつけてから実際行くまで少し間があったのですが、初めて行った時は感激し、これは遠くても今後はマメに通うしかないと決意しました。
僕は興奮冷めやらぬまま当時働いていた店に戻り、同僚たちに、それがいかに本場そのものの素晴らしいおいしさであったかを熱弁しました。しかしその時のあるひとりの後輩の反応は、あまりにも意外なものでした。彼はその中で唯一、その店に行ったことのある人物だったのですが、その彼は言うのです。
「イナダさん正気ですか? 僕の友人たちの間じゃみんな、あそこはマズいマズいって逆に大評判ですよ。僕が行った時も全員残して帰っちゃいました」
しかも釘を刺すようにこんなことまで付け加えます。
「それあんまりよそで言わない方がいいですよ。店の評判にもかかわります」
彼は岐阜の高山出身で、そこのご当地ラーメンである高山ラーメンへの愛が一際強かったが故に、その博多ラーメンがどうしても許し難かったというのもあったのかもしれません。高山ラーメンは澄んだ醤油スープにちぢれの強い細麺、東京の醤油ラーメンとはまた少し違いますが、そのDNAを強く受け継いでいる印象です。何もかもが博多とんこつとは逆と言ってもいいでしょう。
どうも当時岐阜では(リアルな)とんこつ系はだいぶ旗色が悪かったようです。僕はそれを象徴するかのような珍場面に遭遇したことがあります。
岐阜市郊外のロードサイドに、ある時チェーン店の〔Y〕ができました。僕は岐阜では極めて貴重なとんこつ遺伝子を震わせてくれる店としてたまに利用していました。
ある時、少し離れたカウンター席から、怒鳴り声が聞こえてきました。
「お前、客になんちゅうもん食わせるんや! お前自分でコレ食うたことあるんか? 食えるもんなら食うてみいや。マズくて一口も食えんぞ。ここにあるだけで臭すぎて吐くわ」
彼はほぼ手付かずのラーメンを残したまま立ち上がり、
「店中が臭いわ。動物園かここは」
と、無茶苦茶な捨て台詞を残して去っていきました。
チェーン店でマニュアル通りラーメンを作ってそこまで言われるのは災難以外の何物でもありませんが、岐阜人のラーメンに対する好みを既によく理解していた僕としては、その輩が受けたショックそのものはわからないでもありませんでした。
そんな事件からも20年以上が経ち、今では岐阜駅前の一等地にも博多ラーメンの店があり、件のYもいつも普通にお客さんが入っているようです。今でも全ての岐阜人がとんこつを受け入れているわけでもないのかもしれませんが、少なくとも今のような状況になるまでには、各所でこういった悲喜交々の衝突が繰り返されてきたのかもしれません。
もっと言えば日本各地でこの種の文化的衝突は起こり続けていたことでしょう。それが今では良くも悪くも全国が概ね「平定」された、というのが、地方から見たラーメンの現代史とも言えるのではないでしょうか。
次回は2/1(土)公開予定です。
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