2025.1.18
「客になんちゅうもん食わせるんや!」絶賛と全否定に分かれる〝とんこつラーメン〟
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。
前回からの続き、ラーメン編3回目です。
とんこつラーメンが日本中で人気になるまでには、各地でさまざまな“混乱”が引き起こされたようで…?
辺境から見たラーメン③ とんこつ遺伝子
大学進学で鹿児島を離れ京都にやってきた僕は、そこでそれまでとは全く異なるラーメン文化に触れることになります。まず目指したのは醤油ラーメンの店でした。なぜなら、僕は鹿児島には存在しなかった澄んだ黒いスープの醤油ラーメンにずっと憧れがあったからです。
雑誌のグルメ記事でその存在を知ったのは以前にも書いた通りです。しかしそのイメージはあくまで東京の醤油ラーメンであり、京都のそれは全くの別物であることをすぐに知ることになります。
京都の醤油ラーメンは、鹿児島のラーメンよりむしろパワフルでした。醤油の色に染まったクリアなスープ自体は確かにイメージに近いものでしたが、逆に言うとイメージ通りなのはそこだけでした。スープの表面には油脂がギラギラと浮き、チャーシューも豪快にのっていました。他の具は大量の青ネギくらいであり、ナルトもメンマものっていなかったのです。味がやたら濃くて値段も安いのは学生の身分にはありがたかったのですが、「求めているのはこれじゃない……」という気持ちは常に付き纏いました。
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京都にはもうひとつの系統のラーメンもありました。こちらはスープが白濁しており、見た目は鹿児島のラーメンに近くもありました。しかしなまじ近かっただけに、余計に違和感を覚えたのは正直なところです。当時は食べ物を語る語彙力がまだまだ貧しかったので、その違和感を「コクがなくて甘すぎる」と雑な解像度で片付けてしまっていました。
当時仲の良かった友人は、福岡出身のMと長崎出身のSでした。特に九州繋がりがきっかけでつるんでいたわけでもないのですが、3人でよく「京都のラーメンはまずい」という話をしていました。
九州と言っても各地のラーメンはずいぶん異なりますが、僕はどこか共通する何かがあると感じています。具体的な説明は難しいのですが、前回〔こむらさき〕のスープの香りについて書いた時の「上質なパテやテリーヌのような香り」というのがその重要な要素だと思っています。このフレーバーが極端に強くなると、いわゆる「臭くてうまい」、と言われるようなタイプのわかりやすい豚骨ラーメンになるイメージです。
九州人にはこのフレーバーに強く惹きつけられる習性がDNAレベルで備わっているのではないか、というのはもちろん冗談なのですが、僕はかつてそのことを「とんこつ遺伝子」というふざけたタイトルのエッセイにしたためたこともあります。今でも僕は、ラーメンという食べ物を、とんこつ遺伝子が反応するタイプとそうでないタイプに無意識に分類している気がします。これは単にスープの材料に豚ガラが使われているかどうかだけでは決まりません。実際、京都の白濁ラーメンの中には豚ガラ主体のものもあったようなのですが、それが僕のとんこつ遺伝子を震わせることはなぜかありませんでした。九州ラーメン以外で言うと、純然たる関東生まれのラーメンである「家系ラーメン」は、僕のとんこつ遺伝子をビンビンに震わせるもののひとつです。もっとも家系ラーメンの始祖である〔吉村家〕の誕生には、九州ラーメンからの影響も大きかったようですが。
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最初の出会いでは釈然としなかった京都ラーメンですが、今では醤油タイプも白濁タイプも結構好きです。無論、僕が後に「とんこつ遺伝子が反応しないタイプのおいしさ」も理解できるようになったからです。人が慣れ親しんだ味以外のものを受け入れるには時間がかかるという話なのか、経験を経て食べ物の味に対する解像度が上がると理解の幅が広がるという話なのかはちょっと自分でもわかりかねますが、たぶん両方なのではないかという気はします。
そしてラーメンというものは特に、こういった微妙な差でハマるかハマらないかが大きく分かれてしまう食べ物なのではないでしょうか。僕が当時、とんこつ遺伝子が反応しないからという理由だけで京都の白濁系ラーメンを一蹴したのは、こむらさきのラーメンに対して「ラーメンらしくない」という理由で低評価を付けてしまう人々と何も変わりません。