よみタイ

名もなきまかない料理が「あんかけスパゲッティ」と名付けられるまで

 僕が初めてその種のスパゲッティを食べたのは、30年ほど前、当時の仕事の関係で名古屋に住み始めてすぐの頃でした。そしてあまりにも独特なその食文化に強い興味を抱き、それを出す店を食べ歩きました。その時点で大半の店は、今になって思えば「ヨコイ系」でしたが、当時は今よりもう少し多様性のようなものがありました。
 純粋なハーブ系はその時点でもうほとんど残っていなかったのですが、中間的な店はまだまだ健在だったのです。そういう店は、ヨコイ系と違ってトマトの酸味はほぼ皆無で、色合いも赤みのない茶色でした。つまり、ハーブ系のハーブだけを胡椒に置き換えたような感じです。他にもほぼケチャップ味的な店があったり、極めてあっさりしたコンソメスープにとろみを付けたような店もあったりしました。
 そんな、ヨコイ系(すなわち主流)以外の店には、見事なまでに共通の特徴がありました。それはズバリ「古くささ」です。店はどこも年季が入っていました。店主も高齢で、お客さんはほぼ中高年男性のみ。ただしそのことは、主流であるヨコイ系も五十歩百歩だったかもしれません。少なくとも「おしゃれ」「トレンド」などとは無縁。中高年男性が顧客の中心だった点は同じであり、紫煙たなびく店内で、たまにいる女性や若者はいかにも肩身が狭そうでした。僕が当時そういう店を巡っていたのは、「おそらくこういう店はどんどん減っていくばかりだろうから、今のうちに行っておかないと」という動機に突き動かされていた面もありました。

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 しかしそんな静かに廃れゆく名もなきローカル食文化は、その後奇跡の復活を果たします。ひとつのきっかけは「あんかけスパゲッティ」という名称の誕生だったのではないでしょうか。それは、ある人気店の店主によって考案されました。世の中ではすっかりイタリア風の本格パスタが主流となっていく中で、伝統ある名古屋ならではの洋食スパゲッティは決してそれに劣るものではなく、完全に別物として価値があるのだという、ある種の「宣言」だったのかもしれません。言うなれば、アイデンティティの確立です。
 もうひとつが、「名古屋めしブーム」の到来です。既に「名もなき料理」ではなくなっていたあんかけスパゲッティは、見事その一角に名を連ねました。新しい店も急に増え始めましたが、それ以上に印象的だったのは、老舗が続々カフェ風の現代的で明るい印象の店舗に改装していったことです。もちろんそこは禁煙です。
 ただしその恩恵を受けたのは、ほぼヨコイ系のみだったという印象もあります。その系統以外の店は、あれよあれよという間になくなっていきました。ちなみに、ケチャップ味だった店は、改装を機にいつの間にかヨコイそっくりの味になっていました。皮肉な話ですが、そういったことによって「あんかけスパゲッティ」は、より明確に「あんかけスパゲッティとはこういうもの」というイメージを獲得したとも言えるのかもしれません。

 今回は、ひとつのローカルグルメが成立するに至る、偶然と必然が複雑に絡み合った歴史の一例のご紹介でした。次回は、それがもたらしたちょっと不思議な現象についてお話ししていこうと思います。

次回は10/19(土)公開予定です。

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稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

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