よみタイ

名もなきまかない料理が「あんかけスパゲッティ」と名付けられるまで

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。

前回までは3回にわたり「から揚げ」編をお届けしました。
今回は、稲田さんが強烈な関心を持つ、あるローカルフードの誕生についてのお話です。

ローカルフード周圏論①

 今回は名古屋の「あんかけスパゲッティ」から話は始まります。あんかけスパゲッティは近年「名古屋めし」のひとつとしてかなり有名になってきましたが、全国的に言えば見たことも食べたこともない人がほとんどでしょうから、まずはざっくりとそれがどのようなものか説明しておきましょう。
 あんかけスパゲッティは1960年代に誕生したと言われます。トマトを中心とする野菜のベースに牛ひき肉が加わった滑らかなソースを、太麺のスパゲッティにかけた料理です。ソースは胡椒で極めてスパイシーに仕上げられているのが大きな特徴です。また、そこに片栗粉でとろっとした濃度が付けられているため、1990年代からその名称で呼ばれることになりました。その語感から中華風や和風のイメージを抱く人も少なくないようですが、実は純粋に「洋食」の系譜上にある料理です。

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 今に繋がるこのあんかけスパゲッティの生みの親は、〔スパゲッティハウス ヨコイ〕の創業者である横井博シェフです。横井シェフは、洋食レストラン〔そーれ〕でそのレシピを完成させ、その後独立して1963年に専門店であるヨコイを開きました。後に横井シェフはソースのレシピを公開し、積極的に開業支援も行ったことで、それは単なる1店舗の名物メニューの域を超えた地域的な料理ジャンルに成長しました。
 そのため現在あるあんかけスパゲッティ専門店はほぼ全て、何らかの形でヨコイを継承していると言えます。ここではそれを仮に「ヨコイ系」とでも呼びましょう。ヨコイ系と呼ぶということは、そうでない「系」もあるのかと思われるでしょう。実はあります。いや、かつてあった、という方が正確かもしれません。
 では横井シェフがあんかけスパゲッティの生みの親というのは間違いか?と思われる方もいるかもしれませんが、それは少し違います。どういうことなのかをご理解いただくために、僕がかつて当時を知るコックさんたちや幾許いくばくかの資料から得た情報を元に推論した「あんかけスパゲッティの歴史」を説明します。あくまでひとつの仮説ではありますが、大筋の流れはこのようなものだと思います。

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 戦後、名古屋のホテルレストランのまかないとして、あるスパゲッティ料理が生まれました。それはミートソースを仕込んだ鍋に、こびりついたソースの残滓をこそげるように水を注ぎ、それをソースに仕立てたものでした。もちろんそれだけではさすがに水っぽいばかりで味が薄いので、そこに調味料を追加し、コーンスターチもしくは片栗粉でとろみも付けたわけです。これは想像ですが、仕込んだミートソースもこっそり少しは加えられたかもしれません。もしくは鍋にわざと多めに残すとか。(僕がコックさんだったら、怒られない程度にきっとそうします……)
 要するに、当時は贅沢な料理であったミートソースを水で薄めた上で味付けし直した賄い専用ソース、ということです。そしてそこでその味気なさを補ったのがハーブでした。当時フレッシュハーブなんてそうそうありませんから、乾燥ハーブです。ローズマリーやタイム、オレガノ、バジルなどがミックスされた、いわゆる「イタリアンミックスハーブ」みたいなものを想像してもらえればいいのではないかと思います。
 この料理はコックさんたちの間で大人気を博しました。だからといってもちろん格式高いホテルレストランでそんなものを提供するわけにはいきませんが、その後独立したコックさんたちは、自分たちの店――洋食レストランや喫茶店など――で、それをメニューに加えました。ここではこれを「ハーブ系」と呼びましょう。
 そんなコックさんの一人が、横井博シェフです。しかし横井シェフが他のコックさんたちと違ったのは、それを大胆にアレンジしたことです。ハーブは洋食に慣れ親しんだコックさんやハイカラ紳士ならいいかもしれませんが、マニアックすぎて大衆的な人気は得にくい。そこでハーブは胡椒に置き換えられました。ヨコイのソースには常用外と言っていいくらい大量に胡椒が使われていますが、これもハーブに負けないインパクトを求めた結果と考えると納得がいきます。
 そして更に、そこには追加でトマト(缶詰のピューレとペースト)も大量に加えられ、むしろそれがベースと言ってもいい味に換骨奪胎されました。かつてヨコイではこのソースについて「創業者がイタリアの家庭料理をヒントに作り上げた」という伝説が公式に語られていましたが、このトマト追加はまさにそのことを遠回しに言い表していたのではないでしょうか。そしてそれはソースによりインパクトの強い味わいと日本人好みのうま味をもたらしました。
 つまりこの時点では、「ヨコイ系」と「ハーブ系」、少なくとも2系統のあんかけスパゲッティが共存していたということになります。もう少し正確に言うと、当時まだ「あんかけスパゲッティ」という言葉は存在せず、それらは単に「スパゲッティ」と呼ばれていました。世の中に様々なタイプのスパゲッティがある中の、異母兄弟的な2系統だったということです。
 ちなみにそのソース自体は「ミートソース」と呼ばれることが多かったようです。確かに本来のミートソースを「水増し」した物だったわけですが、それでもあくまでミートソースの一種である、という作り手の矜持だったのでしょう。

イラスト:森優
イラスト:森優

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

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