2024.9.21
どこにでもある庶民のおかずの代表格なのに……かつて、から揚げは高級料理だった⁉
から揚げ編③ から揚げが高級料理だった時代
日本でブロイラーの普及が進む1960年代以前、鶏肉は高級食材でした。1960年における鶏肉100gあたりの価格は現代の価格に換算すると600円近く、これは当時の国産牛肉の相場と比べても、そこまで安いわけではありません。しかしその後はジリジリと下がり続け、1979年以降はずっと200円を切っています。から揚げが日常食として全国に浸透していったのは、まさにこの時代以降ということになるのでしょうか。
鶏肉が貴重だった時代、生産地であった大分県や北海道を始めとする一部地域を除けば、から揚げは決して日常のおかずではありませんでした。しかし都市部のビアホールなどでは、高級感のあるちょっと特別なつまみとして人気を博してもいました。この時点ではまだ限定的だったから揚げの文化は、その後ブロイラーの普及に伴い一気に全国に浸透していきます。
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外食のから揚げに関しては、ビアホール以外に、実はもうひとつの流れがあったのではないかと思っています。これに関しても、僕が子供の頃の実体験から話を始めていこうと思います。確か1980年前後の鹿児島での出来事です。
〔ケンタッキーフライドチキン〕が大好物だった小学生時代の僕は、ある日の夕方、今日はどうしてもそれが食べたいと親に主張しました。両親もいったんは賛同してくれて僕はホクホク顔だったのですが、家族でケンタッキーへと買い出しに向かう車の中で、父親は突然心変わりしました。
「ケンタッキーもいいけど、せっかく街まで出てきたし、もっといいものを買って帰ろう」
そう言って車が向かったのは、ある一軒の和食店でした。父親は、そこでから揚げを持ち帰り用に包んでもらおう、と提案したのです。母親も「その店なら」と大賛成でした。そのいかにも上品な和食店の看板には、店名の横に小さく「から揚げ割烹」と書き添えられていました。
現代の感覚では、「から揚げ割烹」なんてワード自体に、ちょっとした違和感を覚えるかもしれません。「から揚げ」という極めて庶民的で何なら安っぽいとも言える料理と、「割烹」という高級な日本料理店の代名詞が並ぶことは、今ではちょっと考えられないでしょう。しかし当時は、鶏肉にはかつて高級食材だった頃からのステータスが残存し、から揚げという料理もどこでも食べられるようなものではなかったのです。
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店を覗くと立派な白木のカウンターが目に入り、その中にはパリッとした白衣に身を包んだ板前さんが数人立ち働いていました。衝立で仕切られたいくつかの小上がり席もあり、店の一番奥には、豪華な生け花が飾られていたのが印象的でした。子供の目から見ても、ここが「高級店」であることは明らかでした。
持ち帰りのから揚げは、お寿司屋さんのような木の折に入れられていました。帰宅して食卓でその蓋を開けると、そこには綺麗に形が整えられた一口大の小ぶりなから揚げが、3×5列くらいで整然と並んでいました。その色にも驚きました。限りなく白に近いクリーム色。焦げたようなところは微塵もありませんでした。
僕はあの白木のカウンターや生け花を思い出し、これが高級なから揚げというものか、とすっかり感心してしまいました。しかしそれをとりあえずひとつ摘んで食べた瞬間、絶望しました。違う。コレジャナイ。そもそも僕が食べたかったケンタッキーフライドチキンとは何もかもが真逆と言ってもいいそれは、確かに上品だったかもしれませんが、圧倒的に物足りない、ぼんやりした味にしか感じられなかったのです。
さすがにその不満を口にはしなかったのですが、その後それが我が家の食卓に並ぶことはありませんでした。僕の失望がなんとなく伝わっていたのかもしれませんが、もしかしたら両親も、それが家庭の食卓にはあまりそぐわないものだと感じたのかもしれません。あれは、あくまで椀物だの刺身だのが一通り提供された最後に登場する、会席料理の中の一品として価値のあるものであり、ご飯や味噌汁と一緒に登場する日常のおかずとしては役不足ということです。もしくは単に、そのどう考えても割高な価格に怯んだだけなのかもしれませんが。
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