2024.9.7
今でも忘れられない、山奥のお食事処で出された「真っ黒な塊」の正体とは……
から揚げ編② おかずとしてのから揚げ、つまみとしてのから揚げ
山奥の温泉に併設の(いかにもパッとしない)お食事処で、稲田家の期待と不安を一身に背負ったから揚げ定食が、ついにテーブルに運ばれてきました。正直なところ僕は、不安の方が的中してしまったのではないかと思いました。なぜならそれはとりあえず見た目が異様だったからです。
そのゴツゴツしたから揚げは、真っ黒でした。揚げすぎで焦がしたのではないかとも思いましたが、お客さんは我々しかおらず、忙しさゆえに注意力が散漫になったとも思えません。から揚げは一人前3個でしたが、その大きさだけは充分なものでした。と言うか、見たことのないほどのサイズで、そこだけ見れば頼もしいとも言えました。しかしその巨大な塊が真っ黒、というのは、異様以外の何物でもなかったのです。
箸で持ち上げることは最初から諦めました。手掴みでかぶりつきます。歯はいきなり硬いものを噛み当てました。真っ黒だったからよくわからなかったけど、骨付きだったのです。そのこと自体は問題ではありませんでした。なぜならケンタッキーのフライドチキンには既にすっかり慣れ親しんでおり、それは大好物中の大好物だったからです。
目視と指先の感覚で骨の配置を慎重に見極め、今度は肉の部分にかぶりつきました。しかし歯はまたしても阻まれました。肉が異常に硬かったのです。こんなに硬い鶏肉には初めて出会いました。僕はまるで原始人がマンモスの肉をかぶりつくように、そこから肉の一片をなんとか齧り取りました。そしてさらに驚いたことに、その一片は信じられないくらい塩辛かったのです。僕は自らから揚げが食べたいと主張したにもかかわらず、言い出しっぺである父親を睨みました。一気に立場が悪くなった父親は、このから揚げに関する解説を開始しました。
この鶏肉は若鶏ではなく、おそらく卵を産み終わった廃鶏である。普通は骨ごとぶつ切りにした後、長時間煮て食べるものだが、どうもそれをから揚げにも回しているようだ。そしてこの味はあくまで醤油主体で、しかも極めて長期間にわたってどっぷりと付け込まれている。この店はいつもお客さんがいないから、食材はそうやって日持ちさせなければならないのであろう。醤油は焦げやすい上に、この大きさの鶏肉を揚げるには時間がかかるから、このように真っ黒に焦げたのであろう。
謎はすっかり解けましたが、実際の問題は、何ひとつ解決していません。家族は黙ったまま、硬くてしょっぱいから揚げを、ひたすら噛み締め続けるしかありませんでした。
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この時のから揚げは、今思えばある意味中津から揚げと似た出自を持つ、ローカルから揚げのひとつです。鹿児島もまた中津と同じく、昔、つまりブロイラー普及以前から、鶏肉食の文化が根付いている土地です。よく育った鶏肉をじっくり煮込む郷土料理はたくさんあります。また、特筆すべきは「たたき」です。皮目をこんがり炙った半生の鶏肉の刺身は、硬くて濃い味の鶏肉だからこその、他に類を見ないおいしさです。しかし残念ながらその特性は、から揚げという新しい調理法には全く向いていなかった……。
このから揚げが、どうやって生まれたかは知るよしもありません。温泉の経営者の一族に伝わる家庭料理だったのか、お食事処に雇い入れた板前さんが見様見真似でメニューに入れたのか。いずれにせよ、ブロイラーの普及やから揚げブームといった世間の流れとは無関係に、ある種自然発生的に生まれたのであろうことは確かでしょう。
中津から揚げやザンギが生まれ、発展していった陰で、もしかしたらこういう発展し損なったローカルから揚げもまた、日本のあちこちに存在したのではないでしょうか。ともあれ現実には、少なくともブロイラーが全国的に普及するまで、から揚げを日常的に食べる文化は特定地域に限られていたのは確かなようです。
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