2024.7.20
西日本の民が東京の餃子に感じる「違和感」とは?
日本の「おいしさ」の地域差に迫る短期集中連載。
前回は、大阪VS広島の陰にかすみがちな、日本各地のお好み焼きについて考察しました。
今回からは餃子! 前後編でお届けします。
餃子編① 関東の酢醤油文化
〔餃子の王将〕の餃子が大好きです。特に数年前、メニューに「生姜餃子」が登場してからは、それが僕にとって世界で一番おいしい餃子である、と確信するに至りました。
しかしその話をする度に、僕は周りのグルメな知人たちに軽く嗜められてきました。チェーン店の餃子で満足している場合ではない。世の中にはもっとおいしい餃子の店がたくさんある。……彼らはそう言うのです。そして親切にも、具体的にそんな店の名前と所在地を教えてくれます。
僕はこう見えて案外素直な人間なので、そうやって教えられた店に何軒か行ってみました。確かにどの店もおいしかったです。ひとつひとつが丁寧に作られ、作りたてならではなのでしょうか、肉や野菜の素材感も鮮明。皮や味付け、焼き方にも、それぞれの店の個性が感じられました。僕は改めてグルメな彼らの舌の確かさに唸り、また餃子という手間の割に儲けの薄い料理を看板メニューに経営を成り立たせている、お店の方達に対しても敬意を覚えました。
しかし……。客観的なおいしさと主観的なおいしさは時に異なります。グルメ諸氏推薦のそういうお店を経験すればするほど、僕はますます王将の生姜餃子への愛が深まることになりました。薄くむっちりと柔らかい皮に包まれた、どこまでが野菜でどこからが肉かもよくわからない混沌としたペースト状で水気の多いあん。時に焦げカスが付着するほど猛然と焼かれた焼き目、その割には、箸で持ち上げればぐにゃりと弛むしどけなさ。皿の底にうっすらと溜まる焼き油。それを僕は、卓上の酢とこしょうを合わせた「酢こしょう」でさっぱりと食べます。
僕はある時きっぱりと、今後自分においしい餃子屋さんを紹介するのはやめてほしい、と宣言しました。ありがたいのは間違いないのだけど、僕にとってはいわば豚に真珠。せっかくの親切と得難い情報が無駄になってしまうのは、あまりに忍びなかったのです。
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つい王将の生姜餃子愛を熱く語ってしまいましたが、そろそろ本題に入っていきます。と言っても、その話も王将から始まります。
ある時東京で僕は、(いつものように)不意に生姜餃子が食べたくなりました。しかし運悪く、近場に王将はありません。そんな僕の目に〔日高屋〕の看板が飛び込んできました。日高屋のことは、首都圏以外の方には少し説明が必要でしょう。日高屋は、関東一円になんと400店舗以上を展開する中華料理チェーンです。東京なら駅ごとにあると言っても過言ではありません。
ただし中華料理といってもそれは、一般的な中華料理店のイメージとはだいぶ異なります。僕はこの店を「東京町中華の正統な継承者」と認識しています。東京町中華とは何か、日高屋とはどういう店か、それを話し始めると今回の紙幅はあっという間に尽きてしまうでしょうから、とりあえずここでは、東京ならではの昔ながらの庶民的な中華料理を現代的な店舗で提供して、絶大な支持を得ている店ということだけ知っておいてください。
ともあれ僕は、吸い込まれるように日高屋に入り、もちろん餃子と、あとはやきとりとマカロニサラダを生ビールと共に注文しました。「ちょっと待て、餃子はともかくなんで中華料理店にやきとりとマカロニサラダがあるのだ?」と混乱している方も(関東以外には)多くいらっしゃるかもしれませんが、今はそれを説明している余裕はありません。そういうものなのだ、と納得してください。
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ともかく僕は、すぐに出てきた生ビールを一口飲んでやきとりをつまむと、いつもの王将同様、小皿に「酢こしょう」を作成しました。「ちょっと待て、生ビールはともかく、なんでやきとりがすぐ出てくるんだ?」と混乱している方もいるでしょうが、説明している暇はないのでこのまま進めます。悪しからず。
さてしばらく経って、焼きたての餃子が運ばれてきました。王将の餃子とは少し様子が違い、硬くてコロコロとした印象です。箸で持ち上げても弛むことなく毅然としています。僕はそれを酢こしょうにちょんと付け、すかさず口に運びました。
熱々のそれをハフハフと咀嚼し始めてすぐ、僕は「ん?」と、違和感を覚えました。はっきり言っておいしくないのです。ただし、日高屋の名誉のために先に書いておくと、これは完全に僕が悪い。間違っていたのは僕の方です。
日高屋の餃子は、皮が比較的みっしりしており、焼き目はしっかりついていましたが、かなり少なめの油で焼かれているようでした。あんはしっかり水分が絞られている印象で、野菜のシャキッとした食感もちゃんと残っていました。そこまでであれば、むしろ僕がかつて食べたグルメな餃子たちにも近いと言えば近い。しかしそれは、なんだか妙に味が薄かったのです。
その時僕は、日高屋ではありませんが、東京のとある人気中華料理店のレビューで見た少し奇妙な文章を思い出していました。ざっくりとこんな感じです。
さあいよいよ、この店の看板メニュー、餃子の登場だ。あらかじめ用意しておいた酢醤油の小皿にそれをひたし、たっぷりと纏わせた。そして少々下品ではあるが、餃子の土手っ腹に箸の先で穴を開け、そこからも酢醤油を吸い込ませた。
僕は、餃子に穴を開けてまで酢醤油を染み込ませる執念がなんだか妙におかしくて、それをずっと憶えていたのでした。そしてこの日高屋の餃子もやはり、酢醤油たっぷりで食べることこそが正しいのではないか、と思うに至ったのです。
思い立ったらすぐ実行です。僕は酢こしょうの小皿に醤油を目一杯注ぎ足しました。そしてそこに2個目の餃子を「ひたし」ました。さすがに腹に穴を開けるまではしませんでしたが、それをたっぷり纏わせて口に運びました。僕はこの時初めてこの餃子の味わいが「完成」したことを実感しました。