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私も地球も、50億年後にはみんな死んでしまうから【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡5】

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 私の敬愛するニュー・ジャーマン・シネマの鬼才、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの作品に『マリア・ブラウンの結婚』という映画があります。物語の冒頭、第二次世界大戦末期のベルリンで、爆弾がボッカンボッカン落ちてくる大混乱の最中、主人公のマリア・ブラウンが、あと1日で出征してしまうヘルマンと結婚式を挙げるのです。砂煙の舞う中、無茶振りマックスで結婚式を挙げるマリアの姿は、雨が降ろうが槍が降ろうが、今この瞬間を生き抜こうとする人間の生の象徴です。かたやその翌日に決められているヘルマンの出征は、ダイレクトに死の気配を漂わせます。そう、これは生と死の結婚式と見ることもできるのです。一見対極に存在しているように見える生と死が境界線をなくし、ひとつになるという示唆は、そのまま生と死がある意味同じもの、もしくは生の延長線上に死はあるけれども、色のグラデーションで徐々に変わっていくかのように境目のないもの、と私には解釈できます。
 前回のお手紙の「戦時中でも日常があって、いつ爆弾が落ちてきてもおかしくないときにも、笑顔で食卓を囲む時間があった、みたいな感じ」「僕が『つまぼく』で書きたかったことって『特別な死』ではなくて『どこにでもある死』。生きていることの延長線上にある『死』だったんだなと。」という小林さんの言葉を読んで、この映画のことを思い出しました。死をドラマチックに描いて、死だけをトカゲの尻尾みたいに生から切り離すと、死も死んじゃうんですね。

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 この往復書簡のテーマが、そもそもメメント大盛りの死生観についてなので当たり前ですけれども、こんなに〝死〟を連呼することもなかなかないですよね。その死と小林さんの初めての出会いは、お祖父様が亡くなられた時だったのですね。そしてお祖父様は自死で亡くなられたと(打ち明けてくださったことに敬意を表します)。実は、猫沢家とその親族にも自死で逝った者が何人かいます(とても長くなってしまうので、また改めて)。
 私は祖母が51歳の時に生まれた初孫だったので、祖父母が亡くなったのは、私がすっかり大人になってからでした。それで、いちばん身近な人の死の教えが幼少期の私にはありませんでした。だからってわけではないんでしょうけど、私が初めて死を認識し、同時に恐怖を抱いたのは小学生の頃に起きた「惑星直列」でした。〝来年惑星直列があって、地球にさまざまな天変地異が起こる〟というまことしやかな内容の雑誌の切り抜きが学校の廊下に貼り出されていたのですが、昭和50年代に流行ったトンデモ本系の、だいぶ脚色された科学雑誌(?)だったと思うんですよね。それを貼り出しちゃう当時の教育現場、自由すぎる(笑)。その日から、とり憑かれたかのように科学本を読み漁り始め、たどり着いたのは〝あと50億年後に太陽が膨張して、太陽系のすべての惑星が飲み込まれる〟というさらなる死の恐怖でした。どうでもいい説明をちょっとしますと、惑星の寿命はだいたい100億年と言われていて、太陽系を構成する地球の現在の年齢が約46億年(ちょうど寿命の真ん中あたり)なので、太陽の寿命もそのくらいってことなんです。私の叔父が天文学にも詳しい物理学者だったのもあり、叔父にまるで友達のことでも話すが如く「太陽が心配だ」と相談していました(おまえの方がよっぽど心配だ)。そんなある夜、考えすぎて眠れなくなり、「太陽があと50億年後に膨らんで、ついでに地球も飲み込まれて死んじゃう〜」と真夜中に泣きながら母を叩き起こすと、カーラーをいっぱい頭につけて寝ぼけ眼で起きてきた母が、カッと目を見開いて「大丈夫! 50億年後は、あんたもお母さんも、みーんなとっくに死んじゃってるから!! ハイ、おやすみなさい」と言いました。何ひとつ答えになっていないくせに、妙に腑に落ちる母の物言いは、まさに精神の獣揃いの猫沢家を陰で操る猛獣使いの一声でした。
 そんなわけで、私が死について考えるとき「私という一個人の生命体としての死」と「私を含む、宇宙全体の生命体としての死」という二つの概念が存在していると常に感じるのは、少なからずこの体験が影響しているのでは?という自己分析をしています。
 ところで小林さんは、ズバリ魂って存在すると思いますか? この問いは、先ほど書いた、まだお答えしていない「傷の存在を忘れてしまう恐怖」を私は感じることがあるのか?の返答にも繋がるような気がしています。

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 あゝ またこんな時間。パリは朝の4時をまもなく迎えるところです。茶トラのユピ坊が、この手紙を書いている間、ずっと横で付き合ってくれていました。動物の純粋な存在は、ただそこにいるだけで心を浄化し続けてくれるスーパー空気清浄機みたい。まったく、人間はかないませんね。
 小林さんはまもなくアマゾン川への方違かたたがえが控えていますね。私には遠い世界の大冒険、または子供の頃に人気番組だった『水曜スペシャル』の川口浩探検隊(ネタがいちいち昭和ですみません)くらいしか思い浮かばない未知のアドベンチャーです。どうかピラニアに食べられないでと、ベタな挨拶をつけておきます。ところで私のレユニオン島行きは、小林さんが踏んだ通り、しなくていい方違えだったようです。こうした直感には素直に従うべきと、私の中の野性の声も囁いています。では次回、アマゾン川の朝焼けと共に綴られる、小林さんのお返事を楽しみにお待ちしています。

 歌舞伎の睨み(囃方がヨォ〜って言う時に役者がする片寄り目)の才能が自分にはあると気づいた猫沢より

追伸:このお返事を書いていた夜の月虹ムーンボウです。今年のパリの秋は、よく月虹が見られます。小林さんもご存知の私の親友、故・真舘嘉浩さん(通称アニー)が月虹をこよなく愛していたので、出ると「アニーからの〝やあ!〟だな」とあたたかな気持ちになります。ゴッホの夜空を描いた絵のようでもありますよね。フランスにいると、「ああ、ゴッホはこの空を眺めていたんだな」と思える絵画的な空によく出逢います。

次回、小林孝延さんからの返信は1/25(土)公開予定です。

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猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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