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死を「準備」して受け入れてしまったことへの違和感と後悔【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡2】

 僕が雑誌『天然生活』を創刊したとき猫沢さんに連載「パリ季記」をお願いしてからもう20年近く経つなんてにわかには信じられませんが、あの頃、猫沢さんは雑誌のレギュラー陣の中でもちょっと異彩を放つ存在でした。「ほっこり」「スローライフ」なんて言葉がもてはやされた時代、リネン素材のチュニックをふわり身にまとう一団の中にひとりだけライダースをはおって、猫のように大きな黒い瞳で鋭くこっちを睨んでいる人がいる。「すてきな暮らし」をやわらかく語る人たちに混ざって、猫沢さんだけは包み隠さず「ありのままの生き方」を綴っていました。当時、女性誌にとってパリはキラーコンテンツ。パリのファッションや憧れのカルチャーを扱うだけで、世の「パリ好き」さんたちを動員できるから一定の数字が見込める、出版社にとってはありがたい存在でした。だからどの雑誌もシーズンになればこぞって取り上げるんです、パリを。でも、猫沢さんが見せてくれるその街は女性誌が描く憧れのパリではありませんでした。虚構ではなく、いい加減で、差別もあって、人間臭いリアルなパリ。そのむき出しのパリと真剣に向き合って、傷ついてズタボロになる姿もぜんぶさらけ出していましたよね。
 愛するイオちゃんに扁平上皮がんが見つかった2021年1月からインスタグラムに克明に綴られた記録はそんな猫沢さんらしくて、僕はまるで実況中継のように更新されるタイムラインから目が離せなくなりました。悲しさも、やさしさも、立ち向かう強さも、痛みも、苦しみも、愛も、涙も、全てがほとばしっていました。でも、包み隠さずありのままをぶつけてくる感じは、おそらくそれを目にする人たちから賛否両論あったのではないかとも思うのです。イオちゃんの苦痛も、猫沢さんの心の痛みも、こちらにまでヒリヒリと痛みとして伝わってきましたから。

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 2018年に薫が亡くなってから数年、『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(以下『つまぼく』)を書いたとき、大いに悩んだことのひとつは死をどう表現するのかという点でした。執筆にとりかかるとき「死」に関する本と「がん」に関する本をたくさん取り寄せて、いったいどんなふうにみんなが描いているのかを知ろうと思いました。猫沢さんの本ももちろん読み直しました。だけど、イオちゃんとの日々を綴った『イオビエ』そして僕が依頼した改訂版『猫と生きる。』は読んでいて辛かった。僕にはこんなふうには書けないと思うのと同時に、猫沢さんは書かずにはいられなくて、書くことで今にも崩れ落ちてしまいそうな心の平衡を保とうとしているようにも感じました。
 僕は『つまぼく』を書きながら、もう一度、薫と家族と過ごした日々と向き合うことでとても救われたんですよね。執筆している時間は、あのときなすすべもなく立ち尽くしてしまった自分ともう一度向き合い問いかける時間でもあったし、妻や家族への懺悔でもありました。でも、結局はやっぱり肝心の部分は書くことができなかったんです。編集者的な目線でかっこよく「書かない選択をした」とも言えるけれど、本当のところ、やっぱり向き合って世間に晒すことができなかったのかもしれないなあと、今となっては思うのです。
 でも猫沢さんは違った。猫沢さんはまるで自分の「罪悪感」を一生消えないタトゥーのようにあえて生生しいままに本の中に刻みつけて表現したのでしょうか? 目には見えないけれど心の傷からはどくどくと血が流れています。でも、いつのまにか血は止まり、かさぶたとなって、そして気がつけば傷があったことを忘れてしまうようになるものです。僕は今そのことが少し怖いのです。猫沢さんはどうですか? そうならないためのタトゥーなのでしょうか。

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 すみません、気がついたら原稿がガラス越しのセーフティーゾーンを突き破りそうな勢いで、かなり暑苦しい感じになっちゃいました、お恥ずかしい。実際、朝なのに東京は30℃もあって暑いのですけどね。だんだんとMacのキーを叩く音が激しくなってきたせいか、気づくと犬も猫も全員が目を覚まして僕のそばに集合してきちゃったので、少し早いですがこの子たちに朝ごはんをあげることとします。

 そうそうパリのアパルトマンにはエアコンがないんですよね? 猫沢さんは慣れたものだと思いますが、どうぞ熱中症にはお気をつけてお過ごしください。ピガ、ユピ、青い目の大きな猫様にもよろしくお伝えください。

 オリンピックのせいか早朝に走る人が増えた気がする8月の東京より
 小林孝延

追伸:人生のひと区切り、俺おつかれさまという意味をこめて退職記念に椅子とテーブルを新調しました。届いてすぐにウエスにオイルを染み込ませて丁寧に拭きあげ、大切にしようと心に誓ったのも束の間、僕より先に猫たちにわがもの顔で占領されました。猫と暮らすとはつまりそういうこと……。

次回、猫沢エミさんからの返信は10/26(土)公開予定です。

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破天荒で規格外な家族との日々を振り返ると、そこには確かに“愛”があった。
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猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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