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死を「準備」して受け入れてしまったことへの違和感と後悔【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡2】

愛猫「イオ」との出会いと別れを赤裸々に描いた『猫と生きる。』の著者・猫沢エミさんと、パートナー・薫さんの闘病と旅立ちについて綴った『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』の著者・小林孝延さん。
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。
前回の猫沢エミさんからのお便りへの、小林孝延さんからの返信をお届けします。

第2便 悲しみの温度

 未来の東京からおはボンジュール猫沢さん、お手紙ありがとうございました。この返事を書いている東京は午前5時。今まさにパリオリンピックが閉幕するところです。お手紙にあった、東京はパリより7時間だけ未来に進んでいるって考え方、おもしろいですね。それだけで謎の優越感がじわりと湧いてきます。が、でもやっぱりオリンピックをみるにつけ、あらゆる面で、こりゃあ、この人たちには勝てないわな、と、感じてしまう今日この頃。パリのアイコニックなランドマークを背景に繰り広げられた阿鼻叫喚のギロチン血飛沫、さらには物議をかもしたフィリップ・カトリーヌのパフォーマンスと、のっけから賛否両論巻き起こした世紀のイベントは、猫沢さんがいつも僕に話してくれる、個人の自由や多様性、そして制限のない表現を大切にする誇り高きフランス人の気質がぎゅぎゅっと凝縮されているようでしたね。

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 さてこの春、僕は長年勤めていた出版社を辞めました。学生時代に雑誌作りに関わってから30年以上。超マイナー専門誌から100万部女性誌の編集まで、編集という仕事に人生を賭けてきた僕の突然の決断に周囲はずいぶんと驚いたものです。きっと猫沢さんも「え? 今更なんで辞めるの?」と思ったのではないでしょうか。でも、ここで初めてお話ししますが、僕がふいにその決意を固めたのは2年前の秋、パリを訪ねたあのときだったのです。コロナ禍で海外からしばらく遠ざかっていた僕が企てたひさしぶりの旅はブローニュの森とセーヌ川で釣りをしまくるという、ちょっと普通のパリ好きからしたら「は?」と言われちゃいそうな、ぶっ飛んだものでしたが、もうひとつの目的は50歳という節目にパリ移住を決意した猫沢さんに会いに行くことでした。
 10月のセーヌ川は朝7時でも真っ暗闇。そぼふる雨の中、ヘッドライトを灯して釣竿片手に石畳を歩く東洋人の姿はどうみたって不自然なはずなのに、そこはさすがパリ。だれひとり好奇の目を向けることはなかった。それどころかサンルイ島にかかるマリー橋の下に暮らすムッシュから「でっかいパイク(カワカマス)を狙うなら時期が少し早すぎるな」とアドバイスまでいただきました。そんな自由すぎる時間を謳歌した後、メトロを乗り継いで訪れた猫沢さんのアパルトマンで、集まった友人たちと明け方までワインを飲み、騒いだひとときは本当に楽しかったですね。長くパリで暮らしていたり、留学していたり、日本と二拠点で暮らし始めていたり、それぞれの距離感で自由にパリとつながっている友人たちとテーブルを囲み、小ぶりないちじくとフロマージュを齧りながらワインをいただくと、お酒にさして強くはない僕も気分がよくなってつい飲みすぎてしまいました。いかん、いかん、と我に返ってテーブルを囲むみんなの顔をみると、どの顔も誇り高く、自由を愛する瞳がきらきらしてみえたのは酔ったせいばかりではなかったでしょう。旅先の非日常が僕のロマンチックスイッチをオンにしたといえばそれまでなのですが、妻を亡くしたこの先にある人生が、もはや消化試合で余生にすぎないと思っていた、いや思い込もうとしていたのかもしれないけれど、そうではなくて、もっとやりたいことに正直になって人目を気にせず生きていけばいいじゃない。な、こばやし!! ケセラセラ!と、ぽーんと背中を押してもらったような気持ちになったのです。今、当時の写真を見ていて思い出しましたが、ステーキの付け合わせに出してくださったジャガイモがかりかりでとってもおいしかったなあ。レシピ、今度教えてくださいね。

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 前置きが長くなってしまいましたが、猫沢さん、往復書簡の第1便、いきなり直球ド真ん中の質問がきましたね。いつか飲んでいた席で、僕が余命宣告を受けた妻を見送る日々を振り返りながら「冷たい人間なのかもしれないな」と呟いた、と。

 正直、そのときのことはあまり覚えてはいないのですが、でも「冷たい人間かも」という感覚はずっと僕の中にあるのです。
 僕も数年の間に猫沢さん同様、母、父、そして薫と立て続けに3名を見送る経験をしました。かけがえのない人の死に静かに向き合いその人と過ごした時間をゆっくりと嚙み締めることもできないうちに、次の死のための準備。そしてまた次……。しかたがなかった状況とはいえ、この「準備」という感覚を持ってしまったことへの違和感と後悔。愛や情という高温のエネルギーを保ち続けなければいけない局面で、逆に心がすーっと低い温度で「準備」してしまうことへの嫌悪感、これをずっと抱えているのです。母は腎臓がん、父は前立腺がん、そして薫は乳がん。宣告されてから時間の差こそあれ、死に向かって進んでいく時計の針を、猫沢さんがイオちゃんの病気を知って戦士のように立ち上がり、なりふり構わずがむしゃらに止めようとしたように僕もすべきだった。いや、するか、しないかを選ぼうとしている時点でなにかおかしい。大切なものを奪われるなんてそんなことは断固許さない! 事実を受け入れてなるものか!!となるのが当然だと思うんですよね。でも僕はただただ呆然と立ち尽くして、それを受け入れてしまったんです。そしてだれにも知られないように、そっと死への準備を始めました。だから「本当にやれることは全部やったのか?」という問いかけに胸を張って「やり尽くしました」とは言えない後ろめたさ。猫沢さんはイオちゃんを苦しませずに天国へ送り出すために自ら決断を下したことを罪のように感じているのかもしれない。けれど、僕だって、薫ががんの宣告を受けてからというもの、来るべきそのときのために、苦しまず、安らかに、そして本人が「もう十分だよ」と納得して死を迎えるにはどうしたらいいのか?を考え、それに向かって治療方針も進めていたように思うのです。しかも、もしかしたらそれは死を迎える本人のためというより、残される自分と家族のために、だったのかもしれない。こうして書きながら改めて思いますが「死」っていったいだれのものなんでしょうね。このことを考え出すといつも頭の中がぐるぐるして息がはあはあとしてしまいます。

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猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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