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ジャンプ台や氷上で絶対的一人の胸中は【第11回 敵は自分のみの個人種目 】

団体戦は特別に燃える?

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 昨今は、冬季オリンピックの種目でも、団体戦が増えているようです。たとえばスキージャンプでは、男子、および男女混合の団体戦が行われていたし、フィギュアスケートでも、団体戦がありました。
 団体戦では、個人戦の時よりも選手達の表情がいきいきとしているのが、印象的です。普段は一人ぼっちで戦っている選手達だからこそ、チームとして戦う時は「仲間がいる」「みんなで戦う」という安心感を得ることができるのでしょう。
 私は卓球をしているのですが、普段は一人でプレイしているため、たまにダブルスの試合に出てみると、この上ない〝バディ感″を得ることができるのでした。味方がいるって、何て心強いの! と。
 私の卓球コーチは、
「団体戦に出ると、もっと楽しいですよ。シングルスの時とは違う力が出る」
 と言います。いやーそうでしょうね、と私。チームの仲間を応援するのは、さぞかし楽しかろう。
 夏季オリンピックでは卓球にも団体戦がありますが、その時の選手達は、個人戦の時とは異なる生気を帯びています。日本人は、一人で何かをするよりも集団で力を合わせた時に、いつも以上の力を発揮する傾向を持っていますから、選手達にとっても、団体戦は特別に燃える場なのではないか。
 私が今までしていたスポーツは、このようにどれも個人種目。仕事も一人でしている身としては、「みんなで頑張る」「一緒に戦う」という状況が、少々羨ましいものです。もしも卓球の団体戦に出場したら、「チームメイトのために」と、拾えなそうなところに飛んできた球も、打ち返すことができそうな気がします。
 対して普段からチームスポーツをしている人は、異なる思いを持つのかもしれません。常に団体でプレイしているバレーボールチームの人は、「私のミスのせいで逆転されてしまった」とか「セッターのトスが今ひとつだったから、うまくスパイクを打つことができなかった」などと、団体であるがゆえのストレスを感じることでしょう。チームの中で感じる孤独は、個人競技のプレイヤーが感じるそれよりも実は深いのかもしれず、「一人で完結する競技をしてみたいものだ」などと夢見ることも、あるのかもしれない。

夫の孤独を妻が一手に受け止め続けていた

 チームの中での孤独について私が思うようになったのは、二〇二五年に長嶋茂雄さんが亡くなり、ミスターに関する多くのエピソードがメディアに流れた時でした。
 長嶋さんと言えば、常に明るいスター、という印象の方でした。が、テレビで流れた追悼特集においてチョーさんは、
「孤独もあった。しかし、それを見せないようにしていた」
 とかつて語っていた、と報じられたのです。
 常に明るく華やかな活躍を見せなくてはならなかった、選手時代。プロスポーツの世界では、チームのメンバーは仲間であると同時にライバルでもあります。人気も実力もトップをキープするための努力もまた、チョーさんは一人で行っていました。
 長嶋さんは、王さんと共に「ON」と称されたスターでしたが、そんな王さんとも、二人で食事をしたことはほとんどないとのこと。ONは仲良しコンビではなく、ライバル同士だったのです。
 監督になってからも、選手時代とは別種の孤独を感じ続けなくてはなりません。プロ野球の監督というのは、毎日戦争の指揮をとっているようなもの。負ければ、
「どうしてあそこで継投させたのだ」
 などと、ファンから好き勝手なことを言われます。かと思えばオーナーなどの「上」からも様々な文句を言われるという、中間管理職のような立場でもある。
 昭和の有名監督達は、長嶋さんをはじめとして、王さん、野村さん、星野さんなど、妻に先立たれる人が多い印象を受けるのですが、それは夫の孤独を妻が一手に受け止め続けていたからではないかと私は思うのでした。浴びる光が強ければ強いほど、引き受ける孤独もまた深まるのです。
 しかし野球などプロスポーツの世界では、人気者であるが故に孤独を感じても、その見返りとして人々の記憶に深く残ったり、経済的な恩恵を受けたりすることができます。では、オリンピック選手はどうなのだろう。……と考えてみると、我々国民は、選手達のことを案外すぐ、忘れてしまうのでした。
 開催期間中は、日本中が夢中になるオリンピック。昨日までほとんどの人が知らなかったスノーボードの選手も、メダルをとった瞬間からヒーローそしてヒロインとして、まつりあげられます。
 帰国した空港には、カメラの放列。花束を渡され、サインをし、表彰され、パレードをし、時にはテレビに出演して明石家さんまや浜田雅功から名前を呼び捨てにされ……と、祝福の嵐の中で、しばしの時を過ごすのだと思う。

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勝敗ドラマで生まれるヒロインやヒーローに夢中に

 しかしその嵐が過ぎると、国民はもう、メダリストの名前を忘れているのでした。オリンピックでは、過去のオリンピックに出場した人がテレビの解説者として登場しますが、名前を聞いても、「そんな人、いたっけ?」という感じ。
 我々は、常にヒーローそしてヒロインを求めています。オリンピックの時はメダリストに熱狂しても、時が経てばWBCだのサッカーやラグビーのワールドカップだの芸能スキャンダルだの選挙だのと、また別の勝敗ドラマで生まれるヒロインやヒーローに夢中になっているのです。
 かつてのオリンピック選手が、引退後にタレントとして活動しているケースもあります。が、どんなに活躍した選手であっても、かつて選手だった時と同等の人気を得ることはできないのでした。きちんとメイクをしてきれいな服を着てテレビに出ているその人より、ノーメイクで髪はボサボサでも、ユニフォームを着てただひたすら勝つことだけを考えていた試合中のその人が美しかったと、人々は思っている。
 たった一人で試合の開始を待つアスリートの姿を、我々はテレビでじっと眺めながら、貪欲に消費しています。同じように、プロスポーツのスター選手に声援を送ることもまた、その人を応援しているようでいて、消費する行為でもあるのでしょう。
 試合に臨むアスリートの成功を祈っていると、他者のために良いことをしているような気持ちになるものです。が、それは自分が気持ちよくなるための行為でもある。そんな我々の気持ちがアスリート達をますます孤独に陥れているのではなかろうか、と思いつつ、私は大きな大会があるたびに、
「がんばれー!」
 と、テレビに向かって叫んでいるのでした。

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*次回は4月27日(月)公開予定です。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』『ひのえうまに生まれて 300年の呪いを解く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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