よみタイ

今日も明日も、動画のネタ探しは終わらない 【第10回 息切れしがちのユーチューバー】

本当の〝自分の旅″ではない

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 そんなユーチューバーの気持ちが、私には少しわかる気がします。それというのもユーチューバーの動画というのは、映像で表すエッセイのようなものではないかと、かねて思っていたから。
 私もまた、仕事のための旅をすることがあります。その時、書くための題材作りの旅だと思うと、個人としての旅行の時より、やけに活発になったりするのでした。普段だったらしないような行為、たとえば地元の人に声をかけるといったことをしつつ思うのは、「これは本当の〝自分の旅″ではない」ということ。
 エッセイの場合は、書き手が思ったことやしたことを文章で表現しますが、ユーチューバーは、自分の思いや行動を動画によって示しています。個人で活動しているユーチューバーの動画は、だからこそ極めてエッセイ的。YouTubeのような動画共有サービスができたことによって、個人的感覚を文章以外でも不特定多数に対してアピールできるようになったのです。
 それは良いことに違いないと思う一方で、動画撮影の現場には苦悩も少なくないのだろうな、と私は思っています。たとえばそれは、題材探し。
 動画制作者達も、最初のうちは、表現したいことが自分の中にあれこれとたっぷり溜まっているはずです。溜まっているものを動画にして世に出すのは快感でしょうし、多くの視聴者を得たり、視聴者から褒められたりするのは、楽しくてたまらないことでしょう。
 しかし時間が経つにつれて、「何を撮ろうか」という題材探しに苦労するようになってきます。より新鮮で、視聴者の心を動かすことができるような題材を、大量に見つけなくてはならないというプレッシャーが、のしかかってくるのです。

自分が削られていく感覚に

 たとえば私は卓球が好きなので、卓球系ユーチューバーの動画も見るのですが、色々な場所で開催される試合に出たり、たまには趣向の違う面白動画も撮ったりと、とても大変そう。卓球がある程度上手でなくては試合の動画は面白くありませんから、技術の研鑽も欠かせません。「これだけで食べていけるのかしら」「怪我をしたらどうするのだろう」「年をとったら?」などと余計なことを心配しながら、私は動画を見ているのです。
 中には、燃え尽きてしまう人も見受けられます。動画制作者には顔出しをしている人としていない人がいますが、いずれにせよ動画で表現しているのは「自分」です。料理であれ旅であれ卓球であれ、好きな何かを通じて浮かび上がってくるのは、制作者自身の人間性。
 だからこそ、せっせと動画を撮ることによって、自分が削られていく感覚に見舞われるのではないかと、私は老婆心とともに推察するのです。動画を撮影したとて何も減らない、と思うかもしれませんが、何かを表現することは、自分の中から何かを排出すること。確実に何かが減少するのであり、補給をしない限りは、自分がやせ細ります。
 ユーチューバーの中には、
「しばらく動画の更新をお休みします」
 といったコメントを突然出す人もいます。それを見ると、「きっとこの人も、すり減ってしまったに違いない」と私は思うのでした。

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先達のいない職業

 視聴者の側は気楽に動画を見飛ばしていますが、一本の動画を撮るための題材探しは、簡単ではないはずです。動画を更新する頻度が遅いと視聴者は離れていく、などと言われると、「面白い題材を見つけなくては」というプレッシャーはますます強まりそう。
 たとえば動物系のユーチューバーだと、題材を増やすためなのか、次第に飼育しているペットの数が増えていったりもします。撮影のために、生活の中でネタ作りをしていかなくてはならないのです。
 視聴者からの心ないコメントで傷つくことも、あるでしょう。また家族など身近な人を映している場合は、
「もうやめて」
 などと言われるケースもありそう。
 ユーチューバーの多くは、ドラマや映画を撮っているわけではありません。エッセイ的、すなわち物語ではなく、本当のことを表現しているとされるが故に、「これはフィクションです」とは言いづらい。だからこそ制作者には次第にストレスやら疲労やらが降り積み、動画の制作をしばらく休むといったことになるのではないか。
 YouTubeのような動画共有サービスはまだ歴史が浅いため、先達の数も多くありません。これがエッセイであれば、たとえば清少納言先輩は千年前からエッセイを書いて自身をアピールしていたのであり、先達がたくさんいる世界。そんな人々を見ることによって、
「そうか、エッセイというのは本業を持った上で副業として書いた方がいいのだな」
 といった知恵を得ることができるのです。
 対して動画制作者という職業は、子供達の憧れになっているとはいうものの、まだ職業としての評価も定まっていなければ、これからどうなるかも、よくわからない立場。困難に陥った時の解決法も確立されていないことでしょうし、「この先、どうなるんだろう」と思うこともあるでしょう。先端を走っているが故に、孤独を感じることも多々あるのではないか。
 ユーチューバーはしばしば、同ジャンルの他のユーチューバーとのコラボ企画を行っていますが、その気持ちもわかります。先達がいない職業であるが故に、同業他者との結びつきは大切になってくるはず。コラボ時は、ユーチューバーあるあるなどを話すことによって、日頃の孤独感を癒やしているのではないか。
 手段は違えど、していることは意外と似ているユーチューバーの皆さんに、そんなわけで私は密かにシンパシイを覚えているのでした。心の中を自由に表現する「枕草子」のようなまったく新しいタイプの作品が登場した時、平安時代の人々は「わかる」と夢中になって読んだものと思われますが、今もまた、エッセイの動画バージョンが登場したことによって、同じような現象が起きているのです。
 質の高低はあれど、そして見る者の時間がどんどん溶けていってしまうという難点もあれど、ユーチューバーが作成した動画は多くの人にとって時に救いとなり、時に何かを気づかせ、そして見ている者の孤独感を少しばかり軽減させる役割を果たしています。生まれた頃からその手の動画に接しているネイティブユーチューバーがこれから誕生すれば、その質はもっと高まっていくはず。古典的手段をもってエッセイを書く者としては、動画で編まれる新しいエッセイの未来に、ひそかに期待しているのでした。

 

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*次回は3月23日(月)公開予定です。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』『ひのえうまに生まれて 300年の呪いを解く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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