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京大生二人が恋を委ねたスティルインラブ【人生競馬場 第7回】

「スティルインラブが勝ったら二人同時にメールを送ろう!」

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 そして私の方も同様、私の知性が爆発していないからか、あるいはそれを補完するような野生味や面白みもないからか、知性爆発系女子との関係は危ういものになっていった。その後の細かい経緯は伏せさせてもらうが、2005年秋、私とNは完全なる失恋状態にあった。私はNやその友人らと「地球防衛軍」というゲームで地球を守ったり、PSPのダビスタで馬を育てて戦わせたり、マンガ・アニメオタクの友人に激烈に勧められて「こどものじかん」、通称「こじか」と呼ばれるマンガを読んだり、パチンコ海物語を打ちに行って爆負けしたり、カラオケでスピッツの『楓』を十連続で歌ったり、相手にもう一度メールを送る送らないで幾夜も話し合ったりしていた。

「これはいかん」

 私たちはそう思っていた。どう考えてもすべてが時間の無駄だった。いや、無駄でないものもあったのかもしれないが、本当にすべきことから逃げているという感覚があった。そう、私たちがこうして真っ暗な虚無のなかにあるのは、明らかに知性爆発系女子/クリエイティビティ爆発系女子と歩む未来を失った巨大な喪失感のためである。もうどこかで踏ん切りをつけるしかない。このままでは本格的にヤバい!

 そこで私とNが選んだのは、ちょうどそうした決意を固めた10月に行われることになっていた「府中牝馬ステークス」であった。なぜ府中牝馬ステークスか? 

 三冠馬スティルインラブ(=今でも愛してる)が出走するからである。

 すでに簡単に触れたが、秋華賞で三冠を達成した後、スティルインラブは2003年エリザベス女王杯の2着を最後に精彩を欠いたレースを続けていた。2004年金鯱賞8着、宝塚記念8着、北九州記念12着、府中牝馬ステークス3着、エリザベス女王杯9着、2005年金鯱賞6着、宝塚記念9着……はっきり言って、三冠を獲った2003年の輝きはそれ以降完全に失われていた。私もNも自らの浪人時代を支えてくれたスティルインラブが好きだったが、さすがに他の競馬ファンと同じくもうピークアウトしてしまったと考えていた。しかし、それはおそらく身体面の問題ではなく精神面の問題であると見てもいた。馬にも当然やる気が出る時出ない時があり、足がいくら速くてもメンタル大敗を喫するということがあるのである。裏を返せば、やる気さえ出ればまだスティルインラブに勝機はあるということだ。スティルインラブが勝ったらもう一回だけ知性爆発系女子/クリエイティビティ爆発系女子に連絡してみよう、スティルインラブが勝ったら二人同時にメールを送ろう! 私とNは淀(京都競馬場)に向かった。その日、京都競馬場は秋華賞が行われるとあって激混みしていた。私たちは一応秋華賞も買ったが、真の目的は東京競馬場で行われる府中牝馬ステークスの方だった。おそらく2005年10月16日の京都競馬場の大観衆で、目の前の秋華賞ではなく東京の府中牝馬ステークスをメインと考えている人間は私たち二人だけだっただろう。私たちは競馬場内の上の方にあるちっこいテレビで府中牝馬ステークスを観た。

 いけ、スティルインラブ、お前はまだやれる……!

 そして発走と同時に、私たちは血の気が引くのを感じた。なんと、スティルインラブが完全に出遅れたのである。その後のレースはあまり覚えていない。たぶん私たちは「どこ?」「スティルどこ?」とずっと言っていた。そして勝ったのは1番人気のアマニンアラバスタ、2着マイネサマンサ、3着オースミハルカ……なんと、驚くべきことに、私たちの夢を乗せて走ったスティルインラブは、2003年牝馬三冠馬は、牝馬限定GⅢの府中牝馬ステークスで、17頭立ての17着に終わったのである。あまりのことに私たちは顔を見合わせ、「いや、秋華賞秋華賞! 秋華賞始まる!」と言って人でごった返すスタンドに躍り出て、人の頭であまり見えないレースを観た。私たちはアホだったので「1番人気を買うのはダサい」という謎の信念のもと、「シールビーバック」という馬(16番人気)を中心に買っていた。「彼女は戻ってくる」……スティルインラブがだめならシールビーバックしかない! そう、ダサいことに私たちの「賭け」は府中牝馬ステークスのスティルインラブがメインだったものの、保険として秋華賞のシールビーバックを確保していたのである。しかしレースは1番人気のエアメサイア・武豊が優勝。2番人気のラインクラフト・福永祐一が2着。シールビーバックは14着だった。

 私たちはすかんぴんになって、激混みの京阪淀駅のホームに立っていた。疲れもあって、私たちはあまり喋らなかったと思う。「あかんか」「あかんな」……それでもそのまま帰る気にはなれず、そこから四条まで出て飲みに行き、カラオケに行ってスピッツの「楓」を歌いまくった。こういう時には「楓」が一番いいのである。私のその確信は四十歳になっても変わっていない。

 この府中牝馬ステークスを最後に、スティルインラブは引退してしまった。そして非常に残念なことに2007年、腸閉塞によって7歳という若さでこの世を去ってしまった。私はやっぱりスティルインラブが好きだったので、かなり好きだったので、この報せには非常にへこんだ。サンデーサイレンス産駒のスティルインラブは繁殖牝馬としても活躍する可能性が十分にあると思っていたし(残した産駒はキングカメハメハとの仔一頭のみ)、その産駒が大舞台で駆け回るところも見てみたかった。もちろん競走馬に限らないことだが、命というのは非常に儚いものである。ちなみに、ライバルだったアドマイヤグルーヴ(サンデーサイレンス×エアグルーヴ)は繁殖牝馬として二冠馬ドゥラメンテを残している。

 次回連載第8回は3/14(土)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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