2026.2.14
京大生二人が恋を委ねたスティルインラブ【人生競馬場 第7回】
前回は、日本競馬史上屈指のアイドルホースであるオグリキャップのエピソードでした。
今回は、スティルインラブと佐川さんの学生時代の恋についても綴っています。

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京大生時代の恋
みなさんはスティルインラブという馬をご存知だろうか。ちょっと現在の知名度がどうなのかわからないのだが、スティルインラブは2003年、1986年のメジロラモーヌ以来二頭目となる牝馬三冠を達成した名馬である。ちなみにメジロラモーヌ時代には現在三冠目となっている「秋華賞」が存在せず、エリザベス女王杯が三冠目だったため、現行の体制では初の牝馬三冠馬だった。
スティルインラブが三冠を取ったのは私がちょうど浪人している頃で、楽しみが競馬を観ることぐらいしかなかったので結構テレビを観ており、やや小柄で栗毛のかわいらしい馬だなと思っていた。スティルインラブを語る時に外せないのは、ライバルであるアドマイヤグルーヴの存在である。このアドマイヤグルーヴの母は第四回で紹介したバブルガムフェローに引導を渡した(?)エアグルーヴであり、牝馬三冠レースの一番人気はすべてスティルインラブではなくアドマイヤグルーヴだった。
しかしアドマイヤグルーヴは桜花賞では出遅れて3着、オークスではレース前に興奮して落ち着かず7着。その後秋華賞トライアルのローズステークスでスティルインラブを5着に抑えて優勝したものの、秋華賞では差し切られて2着。三冠レースのすべてでスティルインラブの後塵を拝したが、その後のエリザベス女王杯でやっとスティルインラブを2着に抑えてG1初制覇を成し遂げることになる。
個人的にはなんとなく、世間での馬としての人気はアドマイヤグルーヴの方が上で、なぜか三冠馬スティルインラブのほうの影が薄かった、という気がしているのだが(そこには秋華賞以来勝ち星がなく直後のエリザベス女王杯2着以外ほぼ連に絡まない、つまり3着以内にも入らないまま引退してしまったという事情ももちろん関係してはいるだろう)、なんといってもナリタブライアンのせいで三冠と聞いただけで興奮する体質になってしまった私は当然のようにスティルインラブ派だった。そしてまた、大学時代に仲の良かったNも同様にスティルインラブ派であった。
私とNはともに浪人して2004年4月に京大文学部に入っており、私は京都大学にいた知性爆発系女子に恋に落ち、Nは京都造形大学(現・京都芸術大学)にいたクリエイティビティ爆発系女子に恋に落ちていた。私たちはともに男子校出身だったので、その恋一発の重みは堀川高校(京都)や膳所高校(滋賀)や北野高校(大阪)をはじめとする共学野郎どものそれとはまったく違うものだった(※主観です)。私は特に堀川高校の男を敵視していた。サブカルに造詣の深かった堀川高校のオシャレ眼鏡は最初期の一瞬私たちのグループと仲良くなり、グループ内にいたかわいい女の子と五月には付き合い、なんと七月には別れていたのである。それも堀川高校の方から振って女の子がマジヘコみしていたので、私やNは堀川高校を指定ヤ○チン高としてマークし、堀川高校を見つけるとかなり警戒しながら接するようになったのである(ちなみに初期の私は周囲の様子を観て洛星高校も指定ヤ○チン高に認定していたのだが、洛星から『学歴狂の詩』で取り上げた「京大卒無職〈哲人王〉栗山」というケタ外れのスーパースターが登場したため、現在では認定を外れている)。
私とNは恋愛について夜通しキショく語り合いまくったり、カラオケでラブソングを歌いまくったりしながら、どうしよどうしよとクネクネしていた。はっきり言って、2004年の私はほとんどクネクネしていただけだった。大学の講義は真面目に出るほうだったが単位を取るためだけの勉強に終始し、そこで研究者になろうなどとは露ほども思っておらず、将来のこともまったく考えていなかった。小説は周りが賢すぎてヤバいという感じで読みまくり始めていたが、小説家になりたいと言っている人間のことは本気で冷笑していた。いやいや、もう世の中にこんだけスゲー小説があって、あなたたちは一体何を書くのですか? すでにあるスゲー小説読んでるだけで、人生終わりますよ? と思っていて、自分が小説を書くことになろうとは想像もしていなかった。そういうわけで、大学卒業後のことなんて、何かのゲームで設定されている世界の端っこに来て「ん、この先は真っ暗やな」となるような、ああいう感じでしか捉えていなかったのである。当時のNもおそらく、それは同じであった。Nはさらにゴミで、講義にも来ず単位も落としまくっていた。一回生の前期は9単位しか取れておらず、それをネタにがんばって女の子を笑わせたりもしていた。
私たちは競馬も好きだったので、競馬場に一緒に出かけることも少なくなかった。私がNのサークル仲間や文学部の仲間にも競馬のことを教え、ちっちゃい競馬サークルみたいなものができた時期もあった。とにかく競馬の話が一番通じる相手がNであり、競馬のマジの話はN以外にはしても仕方ないと私は思っていた、とにかくNはそういう稀有な存在だったのである。
2004年、私と知性爆発系女子はいい感じになり、Nとクリエイティビティ爆発系女子もいい感じになっていた。私はその年、塾講師や家庭教師の仕事をしながら、知性爆発系女子のことばかり考えていた。二人でデートに行くとなれば(これは相当なアホにしかできないと思うが)、事前にそのデートコースを実際に歩き回ってできる限りすべてを把握した上で、じっさいのデート本番では「はじめて来た」みたいな顔をしていた。もちろん、一人で来るのと二人で来るのとでは景色の見え方がまったく違うので、私の考えではこれは「はじめて来た」のと同じなのである。
Nもまたクリエイティビティ爆発系女子といい感じになったものの、クリエイティビティ爆発系女子はNともう一人、いい感じになっている京都造形大学のクリエイティビティ爆発系男子Hがおり、NとH二人の一騎打ちという感じになっていた。正直言ってNにクリエイティブの香りは皆無であり、勝負するなら知性で行くしかなかった。しかし私もそうなのだが、Nは話し方がアホそうだった。というより、長く付き合っているとNの頭が相当いいことはわかるのだが、頭がいい故にインテリぶるやつらが多くて静かになりやすい空間でどう振る舞うべきか、その足りないピースを埋めるという動きを選択しがちで、それが染みつきすぎたが故にしゃべり方がアホそうになったまま戻らなくなったのだ、と私は思っていた。これはおそらく令和ロマン高比良くるま氏がどこかで言っていた、自分がどう振る舞えば「全体」がいい感じになるかをつねに考えながら行為選択している、というようなやり方に似ているように思うのだが、くるま氏が何をやっても全身から知性が漏れ出してしまうのと反対に、Nが何をやってもその知性はN内部に密封されたままだった。道化を演じ続けるNの知性を読み取るには、長く深い関係性と、その中でNを読み解こうとする意志、いわば批評的感性が要求されるのである。
一方で、京都造形大学のHは話しているだけですぐに頭の回転が速いことがわかり、その喋りの巧みさを利用して当時「ねとらじ」だったか何だったかでラジオ配信までやっていた。私は何度かそれを聴いたが、はっきり言ってマジで面白かった。野良でラジオをやって一、二時間喋ってずっと面白い一般人がいるという事実は、環境が整備され参加人数も爆発的に増えた現在では当然のこととして認識されているかもしれないが、二十年前の私には結構な衝撃だった。そしてHのラジオで大笑いしながら、これはNにとってはかなり厳しい相手だぞ、と思っていた(ちなみにインターネットで個人がラジオをやれるなんてHを知るまで想像もしていなかった私は、その後有名な配信者「永井先生」の配信を視聴しまくる廃人になってしまう。ここらへんから私は「廃人日記」というブログを始めてまとまった文章を書くようになったのだが、「廃人日記」はヤプログのサービス終了とともにこの世から消滅した)。
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