2026.1.10
「成り上がり」と「アイドル的人気」で競馬界を塗り替えたオグリキャップ【人生競馬場 第6回】
競馬の社会的地位を一気に向上させる役割
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私の感覚では、もう現代人に「ハラハラドキドキ」している余裕はほとんどない(その点において、第三回でハイセイコーになぞらえた格闘家・朝倉未来の人気はやはり特筆すべきものだが、これは彼のYoutubeなどを通じた自己プロデュース力によるところも大きいだろう。そんな彼もまた「田舎のヤンキーが勢いで天下を取る」という昔ながらの構図でずっと売っているわけでなく、早い段階で格闘技に対する自身の知性や分析力、つまり「コントロールできてる感」を押し出している)。どうせ自分の人生が不安定で、生きているだけで否応なく「ハラハラドキドキ」させられるのだから、圧倒的な強さを持つ人間の安定的なパフォーマンスを観たい、と人々が思うようになっても不思議ではない。半端なエリートではなく、勝ち負けの不安すら吹き飛ばすエリートの最上位層──ディープインパクトや大谷翔平──を見ること、何ものにも脅かされない不動の存在を確認することが精神の安定につながる、という傾向が時代とともに強まってきたのではないだろうか。
さて、そろそろオグリキャップの話に戻ろう。バブル景気とともに走ったオグリキャップは大きな競馬ブームを巻き起こしたが、実際にブームを見ていた人々はどのように感じていたのか? オグリキャップが中央競馬に参戦して四戦目、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走した時の様子を、文化人類学者の長島信弘はこう振り返っている。
その日東京競馬場に着いた私は、いつもと雰囲気が一変していることに驚いた。理由は、それまで競馬場で見たことのないほど多くの女性が詰めかけていたことである。それに、若い男性の数もいつもより多いと感じられた。これがオグリキャップ祭祀の関東での始まりだった。
パドックでは「オグリちゃーん」という女性の声が飛んでいた。面白かったのは聞くともなしに耳に入ってくる中年男性たちの声だった。
「世の中変わってしまったなあ」
「あの連中ときたら競馬のことなんかなんにもわかっちゃいないんだ」
「ガキどもが大人の場所で何やってんだ」
このレースを楽勝したことで加速したオグリ・フィーバーは、秋になって毎日王冠を勝つと全国に拡がっていった。
(『新・競馬の人類学』)
基本的に、オグリキャップを男性は下剋上の象徴、自己投影の対象として消費していたのに対し、女性はアイドル的に消費していた、と整理しても的外れではないだろう。ここで競馬界を大きく転換させたのは、言うまでもなく女性の方である。オグリを見に行った女性たちは、それまで日本社会に根強くあった競馬という興行の「鉄火場」感をまったく共有していなかったことによって、競馬の社会的地位を一気に向上させる役割を果たした。はっきり言ってしまえば、「汚いオッサンがなけなしの金を握りしめてギャーギャー騒ぐ、治安の悪い地獄みてえなクソみてえな場所」というイメージが変わったのである。男性がいくら「競馬は単なるギャンブルではない!」と熱く語っても一般社会は聞く耳を持たなかったが、女性が競馬を受容する姿が目立つようになると、競馬を道徳的な理由で否定してきた層も徐々に勢いを失っていった。「日本の良心の代表」として競馬の存在を否定し続けた朝日新聞が競馬記事を掲載するようになったのもこの頃のことらしい。
そんな現代競馬界の礎を築いたと言ってもいいオグリキャップの社会的影響力について、ぬいぐるみをもらって喜んでいた当時の私がはっきり意識していたわけではないが、とにかくオグリのぬいぐるみを枕元に置いて高校受験を頑張ったのは事実である。そもそも父親が元ドヤンキーだということもあったかもしれないが、家に置いてあった「サラリーマン金太郎」を読む時も、私は自然に東大卒ではなく金太郎を応援していた。自分がその東大卒の側、つまり「いけすかないエリート」の側に立とうとしていたにもかかわらず、エリート金持ち家庭から軽く東大に行くようないけすかないお坊っちゃまを田舎出身貧乏家庭の俺がブチのめす、という筆記試験ヤンキー気質が──少なくとも大学に入るまで──抜け切らなかったのである。
オグリキャップは1990年、当初は調子が上がらずレースに出走しなかったものの安田記念でG1戦線に参戦し優勝、宝塚記念も2着と順調な成績を残したが、宝塚直後に故障。秋に復帰して天皇賞(秋)、ジャパンカップと出走するも6着、11着と結果は芳しくなかった(ちなみにこの2レースに騎乗したのはハイセイコーの主戦騎手だったベテラン・増沢末夫である。ハイセイコーにもオグリキャップにも乗った人がいる、と考えると、歴史の重さに圧倒されてしまうような気がするのは私だけだろうか?)。この覇気の感じられない敗北を重ねた時点でオグリキャップは引退すべきだという声が大きく上がり、さすが社会現象を起こした馬といったところか、馬主に脅迫状が届く事態にまで発展した。
そんな中、オグリキャップはラストランとして有馬記念に出走することを決める。鞍上は第二次競馬ブームをともに牽引した武豊である。有馬記念のファン投票では1位に選ばれたオグリキャップだったが、当日のオッズは4番人気。オグリは好きだがさすがに自分の金を真剣に賭けるとなると選びにくい、という競馬ファンの素直な選択の結果だったのだろう。レースは極端なスローペースで進み(ペースがどうと言われてもよくわからないという方はぜひ、オグリキャップの出走した伝説の1989年超絶ハイペース世界レコードのジャパンカップと、この1990年有馬記念を見比べてみてほしい。距離は2400、2500メートルとやや異なるものの、レース展開の違いがよくわかるはずである。あと1989年のマイルチャンピオンシップでもバンブーメモリーとの鳥肌モノの競り合いが観られるのでぜひ。しかもこの時ライバルのバンブーメモリーに乗っていたのが、ラストランで組むことになる武豊なのである。これはもう、私にしてみればロマンを感じるなという方が難しい)、他馬がうまく流れをつかめずにいる中オグリは好位置で折り合いながらレースを進め、直線に入ると宝塚記念で後塵を拝していたオサイチジョージやクラシック戦線で活躍していたメジロライアン、ホワイトストーンらを抑えて見事優勝。時代を代表するスターホースらしい見事な花道を飾ったのだった。
この時、オグリキャップはなす術なく敗北した天皇賞(秋)、ジャパンカップに比べれば状態を上げていたにせよ、やはり本調子ではなかった。良く言って七、八割の仕上がりだったというのが関係者の見解である。二着メジロライアンとの着差は3/4馬身だったが、鞍上の武豊もピーク時のオグリキャップならぶっちぎっていただろうと語っている。オグリキャップに乗り、またオグリキャップと戦ってもきた武豊は、本来のオグリの強さをよくわかっていたのだ。
オグリキャップの何がすごいか、と言われれば私は全盛期の沈むこむような根性丸出しの走りだとずっと思っていたが、この歳(四十歳)になってみると、ラストランとなった有馬記念での──奇跡の復活とされる「優勝」という劇的な結果の方よりもむしろ──「八割程度しか力が出ない中で勝つ」ための技術、様々なレースで培った経験を生かして走るクレバーさの方にも目が向き始める。作家という職業について言えば、スポーツほど顕著ではないにしても、執筆の体力は二十代よりも三十代、三十代よりも四十代の方が落ちる。この場合の体力というのは、前に書いたものや読んだものを記憶しておく力、選び取った文体を最後の一文字まで徹底させる力、長い物語の複雑な構成をイメージし続ける力などのことを指しているのだが、そういったものは明らかに年齢とともに落ちていく。これを補うものこそが技術や経験であり、それだけが過去の自分を超える作品が書ける可能性を担保してくれるのである(まあ小説家の場合、それを何歳の人間が書いたかという読者のイメージも作品の受容に関係してくるので、年齢が上がれば上がるほど書きやすくなるテーマも確実にありはするのだが)。
オグリキャップは下剋上の物語から復活の物語まで、若者に見せる夢から中年に見せる夢まで、競馬で表現可能なほとんどすべてを表現しきったアーティストだと言ってもいいだろう。最近競馬に興味を持ち始めた、という人にはぜひ稀代のスーパーホース・オグリキャップのレースを観てもらいたい。そこには競馬がなぜこれほど多くの人々に愛され続けているか、その理由がはっきり映し出されているはずである。
次回連載第7回は2/14(土)公開予定です。
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あまりの面白さに一気読み!
受験生も、かつて受験生だった人も、
みんな読むべき異形の青春記。
——森見登美彦(京大卒小説家)
最高でした。
第15章で〈非リア王〉遠藤が現役で京大を落ちた時、
思わず「ヨッシャ!」ってなりました。
——小川哲(小説家・東大卒)
ものすごくキモくて、ありえないほど懐かしい。
——ベテランち(東大医学部YouTuber)
なぜ我々は〈学歴〉に囚われるのか?
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