よみタイ

群ようこ「いかがなものか」
ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。
世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、
違和感と疑問をスパッと投げかける。
群ようこ流、一刀両断エッセイ。

第5回 感嘆詞

 驚いたときに、
「ワオ」
 という女性がいる。十代、二十代の若い女性はまあ、よしとしても、四十代の女性が意外にも多いのである。それを耳にするたびに私は、
「ああ、こういう人とは友だちになれないなあ」
 と思う。生粋の日本人なのに、
「ワオ」
 なのである。
 私が見聞きしたのは女性ばかりだったのだが、昨日、テレビではじめて芸人の男性が、そういっているのを観た。それは手作りのおいしそうな料理が、皿に盛られる瞬間だった。ちなみに彼はお笑いコンビの「ますだおかだ」の、いつも「ワァオ!」と叫んでいる岡田圭右ではなく、彼よりも少し若い人だった。私は「ワオ」といっていた人たちが、ハーフ、クオーター、あるいは留学経験があるかどうかを調べてみたら、ハーフ、クオーターは皆無で、若いときに留学経験のある人は三分の一だった。経験がなくても英語は得意なのかもしれない。ちなみに岡田圭右は英検2級だそうである。留学経験等がある人は、「ワオ」が習慣になるのかと思ったが、常にそういうわけではないところをみると、その場で気まぐれにいっているらしかった。いういわないの違いがどこにあるのかは、私にはわからない。
 私は二十歳のときにアメリカのニュージャージー州に三か月間滞在していたが、英語はほとんど話せなかった。英語は話せるようになりたいと思っていたが、留学で行ったわけではなかったので、日常生活のなかで周囲の地元の人たちの会話を必死でヒアリングしては、
(ほほう、そういうふうにいうのか)
 と脳にたたきこみ、宿泊していたモーテルに戻ってから、英和辞典で調べて確認する毎日を送っていた。
 日常のフレーズはともかく、彼らの会話のなかでいちばん困ったのが、会話のそこここに差し挟まれる、感嘆詞だった。「ワオ」「ウップス」といった短い言葉はともかく、
「キディング」
「オーマイゴッド」
「ジーザス」
「ホーリーカウ」
 などといわれるととても困った。とにかく英語に無知だった私は、最初に、
「ホーリーカウ」といっているのを聞いて、(えっ)
 と一時思考が停止した。ホーリーもカウも単語の意味は知っていた。ホーリーは「きよしこの夜」の、「サイレントナイト、ホーリーナイト」のホーリーだし、カウに関しては私が小学生のときに、アメリカのカウシルズというファミリーバンドの「雨に消えた初恋」という歌が大ヒットした。それを紹介するのに、大橋巨泉がいつも「牛も知ってるカウシルズ」といっていた。実はカウシルズさん一家だったから、そういうグループ名になっただけなのだが、牛=カウはしっかりと頭にたたき込まれていた。
(神聖な牛って何? いったい牛がどうしたんだ。近くに牛なんかいないぞ)
 聞き耳を立てていた私は首を傾げ、もしかしたら牛がいるのかと、きょろきょろとあたりを見回したりもした。そして部屋に戻って辞書を引いてやっと意味がわかり、
「なるほど、そういうふうにいうこともあるのか」
 と学んだのである。
 地元の人たちの会話から、私は細々と英語を学習していたが、これから必死に勉強をして、万が一、英語が話せるようになったとしても、もともと英語を母国語としていない私は、感嘆詞をどのように使えばいいのかと、ろくに英語をしゃべれないのに考えていた。驚いたり、あせったり、喜んだりするときに使う感嘆詞は会話のなかでは欠かせない。それが一切なく、文章のみの羅列だったら、会話の相手も、
「この人、無愛想ね。何の感情も表さないし。私の話をちゃんと聞いてるのかしら」
 と疑いたくもなるだろう。
 しかし私は無信心なので、「オーマイゴッド」だの「ジーザス」だの「ホーリーカウ」などとはいえない。「キディング」も無理だ。口先だけでいおうと思えばいえるかもしれないが、自分の生きてきた根底に、そういう言葉を発する核みたいなものがないので、気恥ずかしいのだ。
「そういった場合はどうしたらよいのか」
 そんなことを考えている間に、会話のフレーズのひとつでも覚えればいいのに、私はまずそんなところでつまずいてしまった。英語的心情というかメンタルというか、それが皆無の外国人の自分には、とてもいえないという気持ちを持つと同時に、どうやってそういった言葉をカバーしたらいいのかを考えていた。そして滞在三か月後の私の英語力はといえば、ヒアリングはできるけれど、スムーズには話せないという状態で帰国せざるをえなかった。

 日本に帰ってから何年か経って、私は広告代理店の同期入社だった女性にその話をした。彼女は英語も話せるけれど、フランス語のほうがより得意の人だった。すると彼女は、
「私も外国の人と話すときに、そんな言葉は使わないよ。恥ずかしくて使えないよね」
 といった。
 彼女の実家の近くに、英語が堪能な老婦人がいて、長年、自宅の敷地内にある家を外国人相手に貸しているという。その外国人と老婦人が話しているのを彼女は何度も見かけたが、老婦人は相手が英語で話しているのを聞きながら、
「そうですか」「ふーん、なるほど」「あら、まあ」
 などと日本人と話しているのと同じようにうなずいたり、驚いたりしていた。もちろん会話は流暢な英語である。
「それがかっこいいのよね。私たちはあれでいいんだと思う。だいたいこんな平たい顔をして、ワオとかオーマイゴッドとかホーリーカウなんて、似合わないよね」
 そうだ、日本人の英語はそれでいいのだと、私たちは意見の一致をみたのだった。
 それから四十年以上経ち、うちの近所にも日本人女性と外国人男性が結婚して、住んでいる家が多くなった。外国人男性が路地に面した家の前で、幼い子供を遊ばせているのをよく見かける。子供は路地に三輪車を放置し、おもちゃや遊び道具を広げて、はしゃいでいる。それでも人が歩けるスペースはあるので、気にせずに歩いていると、彼は子供には英語で話しかけ、私には、
「スミマセン、スミマセン」
 と何度もいう。私のほうは、
「いいえ、大丈夫ですよ」
 といって通り過ぎる。そして歩きながら、曖昧で様々な意味に使える日本語の「すみません」という言葉は、彼がどこの国の出身の人かはわからないけれど、生まれ育った国にはない言葉だろう。それを使うようになったのは、日本で暮らしているから、郷に入っては郷に従えということなのだろうか。
 ずいぶん前に、日本に住んでいる外国人が、母国を去るときに、日本に行った経験のある人から、
「日本では『すみません』『愛してる』『便所、どこ』さえ覚えていれば、暮らしていけるといわれた」
 と話しているのをテレビで観て、笑ってしまった。それが定説として行き渡っているわけではないだろうが、彼の周囲の住人への気遣いはありがたいと思いながらも、ちょっと面白かった。しかし私がアメリカに滞在して、「ホーリーカウ」というよりはずっとましなような気がした。
 これは私基準だけれど、日本人の会話のなかでの、
「ワオ」
 はやっぱり変だし、どうして彼女、彼たちは「わあっ」「あっ」「まあ」ではなく、「ワオ」を使うのだろうか。驚いたときの「わ」の後に「お」をつけるだけなので、他の英語の感嘆詞よりは、わざとらしくないと考えているのか。それとも、
「感嘆詞に英語を使える、ちょっとアメリカナイズされたかっこいい私」
 をアピールしたいのだろうか。
 私にとってはそういう人たちは、関西出身でもないのに、自分のたいして面白くもない話を関西弁で話したり、相槌を打ったりして、相手に自分を面白い人と錯覚させ、自分もまた面白いことをいう奴と錯覚している輩と同じ枠内に位置している。人物の底が浅いのである。
 十五%の割合でいる自分の心のなかのもう一人の自分は、そんなにいちいちつっかからなくてもいいのではとたしなめてくる。しかし八十五%を占めているもう一人の私が、
「いや、これはだめだ」
 と譲らない。そして「ワオ」を見聞きすると、びくっと反応して、
「おいおい、ちょっと待て」
 とその言葉を発した人に対して、突っ込み、
「あー、こいつはだめだ……」
 とため息をつくのである。

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社、84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。同年に同社を退職し、専業作家となる。小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』『咳をしても一人と一匹』『散歩するネコ れんげ荘物語』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『かるい生活』『まあまあの日々』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事