よみタイ

”天職”のマッサージに導かれ、タイからフィンランドまで来てしまったプイン(第3回 前編)

 プインは1980年にタイ東北部、ブリラム県の村に生まれ、教員の両親と二人の弟に囲まれて育った。家は裕福ではないが田畑もやっていて、両親は明るく教育熱心だった。「学校に通えない子や靴のない子もいたけど、私はとても幸せな子ども時代だった」と彼女は言う。

 11歳から進学のために、大きな町に住む伯母の家に住んで、大学では観光学を専攻した。タイの伝統的な踊りと音楽サークルの部長もやっていた。そんな彼女が、観光学を生かすべく、大学3年のときにインターンシップをした旅行会社の体験は最悪だった。

「ホテルの予約とか連絡とか、ミスをするのが許されないし、すごく忙しかった。会社の経営がうまくいってなかったせいか、お金の取り立ての電話も多くて『払え! 払え!』と言う相手に、『私はインターンなので分かりません』って答えるしかないのもいやだった。交渉するとか、ごまかしたりするのは苦手なことだから」

 観光地として人気のタイだったが、旅行会社の間の競争は激しくなっていた。また団体旅行に代わって個人旅行者が増え、インターネットでホテルなどを直接予約する人が増えてきた時期だった。夏休みが終わって大学に戻る前に、その会社はつぶれた。プインも疲れ果てていた。「ストレスで、もう人に会いたくなくなった。それで、あまり人と話さないですむような仕事に就きたいなと思うようになったんだ」

 何か別の仕事をしようと、英語専攻の学生仲間と一緒に英語を勉強し始めた。ある日、その友だちが「マッサージに行く」というので、自分のバイクに2人乗りで連れていってあげた。そのマッサージは大学の農場にあって、庭から田園風景が見える。タイの伝統的なマッサージを提供するその空間には、レモングラスや生姜、タマリンド、ユーカリ油の香りが静かに混じった香りがしていた。プインは同じ部屋で、友だちがマッサージを受けているのを見ながら、そこでおしゃべりをしていた。とてもリラックスできるひととき………その時プインは、 突然「これいいね!」 とひらめいた。自分の天職に出会ったと思った。この仕事なら、真摯に向き合える。

「大学の最終年には授業が少なかったので、空いた時間はマッサージセラピストとして働いた。30代、40代の先輩たちは親切で優しくて、マッサージの技術以外にもたくさん教えてくれた。給料も1時間300バーツで、当時の最低賃金の1日分あった。マッサージの場所に200バーツ払っても悪くなかった。そのうちに5つ星のホテルのスパで働くようになり、150時間の経験を積んで資格証ももらったの」

「でもプイン、そんなに小柄なのに、よくマッサージなんてできるね」と私が言うと、 「そうだね! 最初にマッサージを始めたころは、仕事が終わるともう腕を回せないぐらいパンパンに張って、痛くて眠れなかったな。でも体重や、手や指をどうやって使うのか練習したら、だんだん疲れなくなったんだよ」と、手を見せてくれた。指が細くて、二度見てしまうほど長い。こんなに優美な指をどこかで見たことがあるなと思ったら、仏像だった。

「パワーじゃなくて、テクニックを使うの。マッサージって、アートでサイエンスなんだよ。知識も、技術も必要だし、芸術だしパフォーマーだし。『そう、そこそこ、なんで分かるの』って思える人とそうじゃない人がいる。誰でもできるわけじゃなくて、才能がある人しかできない。今はそう思うようになった」

彼女は大学の成績もよく、両親は大学の教授になってほしいと願っていた。卒業試験の前日に、両親は数時間かけて故郷から卒業のための必要な書類を持ってきてくれた。友だちも「プイン、試験を受けよう」と言った。けれども、同じ日にマッサージの試験があって――、彼女はマッサージのほうを選んだのだった。後編では、プインがフィンランドにやってくることになった経緯、そこでアジア系や職業への偏見を経験しながらも、「自分は自分。変えられない」と進んできた道のりを紹介する。

後編につづく
(連載の文中の肩書や組織、値段や為替レートなどはそれぞれ2025年の取材時点のものです)

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第3回後編は2026年1/13(火)公開予定です。

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堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

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