2025.12.1
出る出るって、出るわけないやろ!「空木平避難小屋」が見つめてきた、さまざまな悲劇【山の名&珍プレイス 第1回後編】
本連載では、アウトドア雑誌や山登りの指南本、TV番組や各種イベント出演でもおなじみの山岳ライター・高橋庄太郎が、豊富な山経験をもとに、自分の足でわざわざ見に行く価値がある、こだわりの山の名スポット・珍スポットを紹介していきます。
連載第1回は、勇壮な山容を誇る日本百名山・空木岳(長野県/駒ケ根市)の道中にひっそりと佇む、噂の心霊スポット…。前編と後編に分けてお届けします。前編はこちら。
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遭難者を荼毘に付した、小屋前の窪地
じつは、現代では考えられないことだが、数十年前の山では遭難死した登山者を山中で火葬することが珍しくなかった。要するに、人体を燃やすために大量の燃料が必要で、そのために火葬を行なう場所の近くの木々が切り倒されて薪となったのである。ヘリコプターがあまり普及していなかった時代には高山で亡くなった人を人力で担ぎ下ろすことは困難で、現地で焼いて骨にすることは合理的な判断だったのだ。脂が多いハイマツはよい燃料になったが、山頂や稜線で利用できる量には限りがあり、遺体をなんとか森林帯まで下ろしてから火葬することも多かったという。空木平避難小屋はそんなときの拠点として使われ、遺体を小屋のなかに安置して準備を行ない、その後に小屋前の窪地で遺体を荼毘に付した。つまり、空木平避難小屋は樹林帯にあったからこそ遺体を火葬するのには都合がよく、そんなことが怪奇現象の多発する原因と結びつけられていったのである。
ちなみに、中央アルプスではなく北アルプスの話ではあるが、木村殖 著『上高地の大将』(山と渓谷社)には、遺体を荼毘に付すためには4~5石(約600~750㎏)の薪が必要で、夏で3時間半、冬はそれよりも30分から1時間ほど多くかかったという記述がある。薪の総量の2/3を積み上げ、その上に遺体をうつ伏せに寝かせ、さらに残り1/3を覆いかぶせてから点火するのが効率のよい方法だったらしい。




遭難者を荼毘に付すときに使われた場所は、小屋前の窪地だったという。現在の小屋の周囲を眺めわたしても、“ここで燃やしたんだな”と明確に判断できる場所は見つからない。“ここじゃないか?”と想像できるような平坦な場所はいくらかあるが、その当時を知らない僕はただ想像するしかない。以前は白骨が見えていたという話もあり、少し掘り起こせばなにか出てくるのかもしれないのだが。


火葬を行なっていた時代は知らないものの、僕がはじめてこの場所を通ったのは1990年代。周囲の木々を火葬に使ったためか、そのころの空木平には緑が少なく、小屋は改築前で荒れており、今よりも殺伐としていて恐ろし気な雰囲気だった。しかし2003年に改装工事が行われ、少なくとも現在の外観はそれほど古びた印象はない。ただ、内部には昔の雰囲気が残っており、天井近くには昭和44年(1969年)新築当時の現場監督や建築に関わった職人の名前が書かれた大きな板が飾られている。木材も一部は交換されたようだが、柱や梁に使われている錆びついた鉄柱は当時のままだ。そもそもこの小屋の前身は大正5年(1916年)に作られた石室で、優に100年以上も昔。これだけの歴史があれば、この小屋はさまざまな悲劇を見てきたことだろう。





現在の空木平避難小屋の近くの山頂直下には駒峰ヒュッテという山小屋があり、シーズン中は管理人が常駐している。だが、避難小屋とはいいつつも、実質的には管理協力費1000円で誰もが寝泊まりできてリーズナブルな空木平避難小屋を利用する登山者は思いのほか多い。この小屋の怖さを知りながら宿泊する人と、何も知らずに気楽に寝泊まりする人と、どちらのほうが多いのかはわからないのだが。
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