2023.8.2
モデルになった人の許諾を取りながら私小説を書くということ【シン・ゴールデン街物語 最終回】
掲載の許諾を取ること
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さて、困ったのはそれからだった。たまたま一言目で「抱いていい?」と誘ってくれたボブカットの女性がデートをしてくれたから1話目を書くことはできたが、当然のことだが、そんな面白い出来事は何度も何度も自分の身に降りかかってくるものではない。何か面白い出来事が降りかかってきたときにだけ更新すればよいブログと違って、月1の連載には締め切りというものが必ずやって来るから、それまでに物語を1つ書き上げなければならなかった。それは言い方を変えれば、物語を書くことを意志しなければならない、ということだった。
連載を始めると決まってから、それまでは人に連れてかれるだけだったゴールデン街に、週に3~4回、多いときには週に7回ひとりで通うようになった。お酒を飲んでいても、物語を求めながら他人と接するよう集中した。物語を求めるように他人と接するということはどういうことかと言えば、何か興味深いと少しでも自分が思えることがあったら、その顛末を見届けることができるような行動を積極的に選択するということだ。
『人見知り克服養成所』というよくわからない店名のお店に入って店番の女性が『ちくび神』という映画を撮ってる監督だということがわかったときには、大阪までその映画を見に行った。
5年前にロフトプラスワンでイベントをやったAV監督である二村ヒトシさんから「今夜はゴールデン街にはおられませんか?」と連絡が来たときには、すぐに家から飛び出してゴールデン街に向かった。
ゴールデン街で店番をしているという見知らぬ風俗嬢から急にDMが来て「よかったらゴールデン街で飲みませんか」と誘われたときには、二言返事でOKをして飲むスケジュールを立てることにした。
朝方までゴールデン街で飲んだ帰り、プチ文壇バー『月に吠える』の窓から店内を覗きこみ、中澤雄介というゴールデン街で10年店番をしている男がドアの鍵を閉めた状態で店内で女と2人楽しそうに喋ってるのを発見したときには、こういう風に店という箱と店番という地位を利用しながら恋愛を楽しむのがこの街のやり方なのかと思い、オーナーにお願いして自分も『月に吠える』で店番として働かせてもらうことにした。
そんな風に、物語の萌芽を見つけてはそれを育てるように飲み歩いた。幸いなことに、ゴールデン街には文章のモデルにしたいような興味深い人はたくさんいた。ゴールデン街をテーマに文章を書いていることを話すと、そんな自分のことを面白がってくれる人もたくさんいた。
しかし、いくらゴールデン街がそういった土壌のある街と言えども、出版社の連載で他人のことを文章のネタにして発信するということは、書かれた人の失礼に当たるかもしれなかったし、実害が生じる可能性だってあった。そうならないために唯一できることと言えば、文章のモデルにしたいと思った人に、自分が書いた文章を事前に全文見せて掲載の許諾を取ることだった。時にはデートをし、時にはセックスをし、そのあと、1万字から2万字くらいの文章を書いて、文章が出来上がったところでモデルにさせてもらった人に全文を見せて許諾を取るということを繰り返した。
自分が書いた長文をいきなり全文見せるという行為は、毎回ひどく緊張した。自分が尊敬の念を抱く人しかモデルにしたいとは思わなかったから、そう思っている相手に自分が書いた文章が受け入れられなかったら単純にショックを受けるという恐れもあったし、毎話ごとにモデルにする人も違うから、慣れることもなかった。
想定外だったことは、そのようにモデルになってくれた人に掲載の許諾をとる過程の中で、連載当初に思い描いていた「ノンフィクションの物語を書く」という考えを捨てようと思うようになったことだ。自分が書いている文章はノンフィクションではなく、フィクション(虚構)とはっきり立場を決めるべきだろう、と。
ゴールデン街ではいろんな人が酒を飲んでいた。作家、役者、映画監督、記者、フリーライター、アイドル、AV女優、風俗嬢、YouTuber。この人を文章のモデルにしたいと思った人の中には、既に自分でSNSで積極的に発信してファンを抱えている人もいたし、お店や事務所に所属している人もいた。文章のモデルにするために本人だけではなく事務所に許諾を取る必要があった人もいた。そうした様々な事情によって、自分から見たありのままの現実をノンフィクションと銘打って書くという選択肢は無くなっていった。モデルになってくれた人の職業や容姿を文章の中で偽ることもしたし、複数の人間のエピソードを組み合わせて一つの物語を創ることで特定の人の身バレにならないようにもした。モデルになってくれた人の要望に応えるかたちで、自分が書いた文章を修正したり、削除することもあった。
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