2018.11.20
全てのコンテンツメーカーに伝えたいこと「同じものをひたすら繰り替えせ」
作り手のエゴからくる「新しいものを出し続けたい病」
「新しいことを提案しなければ顧客に飽きられてしまう」
「新しいことを書かなければ読み手が離れてしまう」
謎の使命感にさい悩まされて常に新しい内容・新しいサービス・新しい商品を提供しようとする事業主あるある。
でもよく考えてみて欲しい……新しいことってそんなに必要でしょうか?
自己啓発カテゴリでは圧倒的な発行部数、コンテンツ量を誇る苫米地英人さん。
200冊以上の本を書き、オウム真理教の脱洗脳に関わった世界トップクラスの認知科学者ですが、彼の書籍を何冊か読んでいくと言いようのない既視感を覚えます。
苫米地さんの書籍を数冊でも手に取った方なら理解できると思いますが、彼の主張は毎度同じです。手を変え品を変えアプローチ方法は変化させていますが、本質的な主張は全て同じ。読めば読むほどそれが理解できるはずです。

考えてもみてください。
名作であるほど銘品であるほど優秀であるほど、ひたすら同じものを提供し続けているではありませんか。
ユニクロはヒートテックを何年展開しているのでしょうか。
バーバリーは何年トレンチコートを提案しているのでしょうか。
「同じものを出してはいけない」
「同じ内容のものをリリースしてはいけない」
その思考の大半は「作り手側のエゴ」だと私は考えています。本当に世の中に伝えたいことがあるならば、本当に世の中に広めたいモノならば、本当に多くの人に触れて欲しいサービスならば「同じものを提供し続ける」方が重要ではないでしょうか。
去年と違うものを、去年とは違う内容を、去年とは違うサービスを、と思う人の大半は自分の生み出すものに自信がないのです。世の中に広く受け入れられるほどの自信を持っていないからこそ、コロコロと内容を変えてしまう。結局一貫性を失い「この人は何が言いたいのか分からない」と評価を下されてしまうわけです。
街の居酒屋が潰れる理由
実は私のブログ 「KnowerMag」は7年間一貫して「ドレスとカジュアルのバランス」を言い続けています。
発売している18冊もの書籍は、漫画で表現したり小説で表現したり、写真で表現したり文章で表現したり、スーツで表現したりカジュアルで表現したりするものの……根幹は全て同じです。
しかし、だからこそ私は世に出ることが出来ているのです。
同じ内容をひたすら繰り返すメリットは2方向から説明できます。
1つは「街の居酒屋」に例えることができます。
私はサラリーマン時代出張族だったので日々知らない街を転々としていました。夜ホテルに戻って小腹が空いたら地元の居酒屋にふらりと行ってみるのですが……カウンターとテーブルで数席しかないこじんまりとしたお店では、一見である私を怪訝そうに迎えることがほとんどでした。
「固定客を大事にしすぎるとお店は潰れる」
極めてありふれた論ですが、まさにその通りです。固定客ばかりを大事にし、扱い方がわからないからと一見さんを置いてけぼりにすれば、いつの間にか新規客は途絶え、店の売上はジリ貧となるでしょう。
地方のアパレルショップでもこの傾向は見られます。
常連のお客さんとスタッフが店先でゲラゲラと笑いながらタバコをふかしている光景が、これだけマーケティングが浸透した現代においても見られるのだから驚きです。
どう考えても新規客が入りにくくなるに決まっている。新規の数が落ちれば落ちるほどいかに顧客重視の商売であったとしてもジリ貧になることは明白です。
「同じ内容ばかり発信していると顧客に飽きられてしまうのではないか」
そう考えてコロコロと内容を変えていたら顧客には飽きられないかもしれませんが、新規客を掴むことができません。
同じ内容を発信し続けるからこそ、毎年毎年修正改善することができ徐々に完成度を高めて優れたモノやサービスを生み出すことができるのです。すると仮に顧客は一定期間で離れていくとしても、新規客を掴むことが出来るようになります。
もちろん同じ内容でもアプローチを変えることは重要です。苫米地さんも私も同じですが、何も全く同じ内容の書籍をリリースし続けているわけではありません。
時には文章で時には画像で時には漫画で時には小説でアプローチするからこそ、また違う新規客を獲得することができます。
「小説は読まないけど漫画は読む」
「カジュアルは着ないけどスーツは着る」
こうして「市場は変えるけど主張は同じ」を繰り返していくことで新規はどんどん増えていくのです。また上記の通りですが、同じ内容だからこそブラッシュアップを重ねることができ、より良いものを提供し続けることが出来るわけです。
肚で理解するには時間がかかる
同じ内容をひたすら繰り返すメリットのもう一つは「頭で理解しても、肚で理解することは難しい」ということ。
私はよく自分の論を数学の方程式に例えるのですが……教科書で方程式を覚えたからといって、それに類するあらゆる設問が全て解けるようになるでしょうか?
みなさん学生時代に数学はどのように学習したか思い出してみてください。
方程式をまず覚えて、そこから無数の設問を解き、繰り返し繰り返しなじませるように理解したはずです。因数分解を覚えたからといって、すぐにそれを使って解くグラフ問題が出来るようになったでしょうか? そんなのはほんの一握りの天才だけのはずです。
人は頭で理解することはできても、それが肚で理解できているとは全く限りません。

ドレスとカジュアルのバランスと言われて、すぐに理解はできますが、実際にお店で洋服を選んでコーディネートをしようとしても、なかなか上手くいかないのです。
何度も繰り返しケーススタディなどをふまえてなじませるように理解することで、会得したと言えるのです。
空手の型を覚えたからといって免許皆伝にはなりません。血のにじむような反復を行い、初めて型が身体に馴染むのです。
つまり、同じ内容を手を変え品を変え読ませなければ、手を変え品を変え提案しなければ、本当の意味では理解されないのです。
飽きられるどころか記録更新し続けている現状
同じ内容を繰り返すからこそ広く多くの人にしみわたり、また、ファンに深く理解され、強い支持を得ることができるのです。
私は3~4年前に「同じような内容ばかりですぐに飽きられるだろう」「この人はすぐに消える」などの声を頂戴したことがあります。しかし私はそうした声を完全に無視して同じことを繰り返し続けました。
結果、書籍は出すたびに圧倒的なスピードで増刷がかかり、今や累計100万部を突破しています。メルマガは先月も単月で1000名もの登録があり、過去最高記録を更新しています。飽きられるどころか規模は拡大するばかりです。
自分のサービスやモノや論に自信があるのならば、それを曲げることはありません。
ひたすら繰り返し世の中に広めていくことが大事です。
ユニクロはどうして同じモノばかりリリースして飽きられないのか。
ダチョウ倶楽部はどうして同じ芸しかできないのに消えないのか。
こち亀は同じオチが多いのにどうして200巻まで続いたのか。
考えてみてください。
「新しいものを出し続けなければならない」そこに本当に論理性がありますか?
考えれば考えるほど「優れたものをひたすら繰り返す」方が合理的であるはずです。