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国見、早稲田、F・マリノスでもキャプテン。「考えるマルチロール」兵藤慎剛が意識していたコミュニケーション法

2008年11月23日、第32節アウェイでのジェフ市原戦。兵藤(背番号17)はリーグ戦初ゴールをあげ3-0の勝利に貢献。コミュニケーションをとってきた田中隼磨(背番号7)とハイタッチ。(写真/©J.LEAGUE)
2008年11月23日、第32節アウェイでのジェフ市原戦。兵藤(背番号17)はリーグ戦初ゴールをあげ3-0の勝利に貢献。コミュニケーションをとってきた田中隼磨(背番号7)とハイタッチ。(写真/©J.LEAGUE)

ルーキー時代から中澤佑二、河合竜一らにプロの厳しさを学ぶ

「F・マリノスは僕がサッカー選手を夢見たときから日本を代表するトップクラブでしたし、ヴェルディ川崎と戦った1993年5月15日のJリーグ開幕戦をテレビで観てあこがれを持っていたことも大きかったと思います。最初は試合に出られないかもしれないけど、ここで頑張ることが何よりも自分のためになるという思いが強かった」

 晴れてF・マリノスの一員になった。トップ下のポジションは絶対的な存在である山瀬功治のほか、ロペス、狩野健太らと激しく争うことになった。
 プロとは何か。考える人はアンテナを広く張って吸収していく。
 背中で教えてくれた一人が、そのストイックさで知られるベテラン、中澤佑二だった。大学まで大きなケガもなく、練習開始の30分前からストレッチや体幹トレーニングをしてから全体練習に臨んでいたものの、クラブハウスに一番早く到着して念入りに準備している中澤の姿勢を見て「自分はまったく足りない」と素直に思うことができた。

「佑二さんは練習前だけじゃなく、練習後のケアを含めてしっかり体をつくっていくことがルーティンになっていて、1日をどう過ごすかのデザインが確立されていました。ただ、佑二さんだけじゃなく、そういう人たちが多かった。誰かに何かを言われたというわけではなくて、あらためて自分の取り組みが問われている気がしました」

 そしてもう一人がキャプテンの河合竜二である。

「ピッチ上で生半可なプレーはしちゃいけないという考え方の最前線にいた人。F・マリノスのピリつく空気感をキャプテンとして大事にされていました」

 ある日、2対2のトレーニングで、河合に対して背後からボールを奪い取ろうと「ガシャッとなった」場面があった。何やってんだ、とばかりに河合に詰め寄られたが、兵藤は一歩も引こうとしない。キャプテンとルーキーが一触即発の雰囲気になった。
 兵藤は苦笑いでこう振り返る。

「自分のなかでは今でもノーファウルだと思ってます(笑)。僕はボランチもやるのでポジションがかぶるところもあったけど、竜二さんからはきっとまだ認めてもらっていなかった。後ろから思い切り削られたみたいになったことで、『ふざけんな』となったんじゃないか、と。たぶん、そこで僕が引いたら何も起こらなかった。身をもってプロとしての厳しさを教えてくれたのは間違いなく竜二さん。その根幹にあるものって、やっぱりこのクラブを勝たせるため。だから厳しく、腹を括ってやらなきゃいけないっていうところにつながっていました」

 河合は浦和レッズを戦力外になってトライアウトから2004年に加入。まさにパスがズレただけで舌打ちされ、文句を言われた。そこで萎縮しては何も起こらない。強い意志を持たないと、ここでは生き残れないのだと誰よりも肌で分かっていた。
 練習後、兵藤は人知れず、涙を流したという。自分は絶対に間違ったプレーをしていない――、その悔し涙だった。だが、そのほとばしる熱こそ河合から評価され、すぐさま距離を近づけていくきっかけにもなった。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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