よみタイ

「私の自宅の玄関で会いませんか?」マッチングアプリで見つけた奇妙な誘い。その裏に隠された”衝撃の真実”とは?

冷蔵庫の稼働音だけが、闇を震わせるように響いていました

「いらっしゃい」

暗闇の中から高音のアニメ調の声が聞こえてきました。声のする方へ目を凝らすと、どこからか差し込む月明かりのおかげで、玄関をあがってすぐのところに女性のシルエットが微かに見えました。髪型はロングヘアで、正座をしているようでした。しかしいくら目を凝らしてもその女性の顔は黒塗りのままで、どんな表情をしているかまではわかりませんでした。

私はどうしていいかわからずその場に立ち尽くしてしまいました。部屋の奥の方から聞こえてくる冷蔵庫の稼働音だけが、闇を震わせるように響いていました。

ふいに、女性の首がこちらを向きました。

「お金はここに置いてくださいね」

女性は高音のアニメ調の声でそう言いながら、彼女の隣に置いてある椅子のほうを指差しました。真っ暗な部屋の中でも、真っ白な椅子だけは月明かりをよく反射していてその姿を視認することができました。座面のところは丸く、そこから細い脚が4つ地べたに向かって伸びていました。その白い椅子の上に1万円札を置くと、

「お釣りは最後に渡しますね。それでは私の目の前に立って、下を脱いでください」

と言われました。その言葉通り、女性のシルエットの正面に立ってズボンとパンツを下ろしました。すると、彼女が両手を私の太ももに当てたようで、冷たくなっていた内腿がじんわりと暖まっていくのがわかりました。

「それでは、舐めますね」

と彼女が言うと、男性器が先のほうから暖かい感触に包まれました。それから彼女が頭を前後させると、ブフォッ、ブフォッ、ブフォッ、ブフォッ、という荘厳な音がリズムよく響き渡りました。真っ暗な空間で感触と音だけが織りなす時間がしばらく続くと、その気持ちよさからか、あるいは、非日常な状況に対する恐怖からか、私の脚が少しずつ震えはじめました。

「横になる? お兄さん、脚が辛そうだから」

脚の震えに気づいた彼女はそう言って、少し横にずれました。私は靴を脱ぎ、彼女が空けてくれたスペースに足を踏み入れることにしました。さっきまで彼女が座っていた位置には、縦長のヨガマットのようなものが敷いてありました。
そのマットの上に腰かけ、横になろうとしたときでした。隣に座っていた彼女の顔がちょうど目の前にやってきたので、どんな顔か気になって眼を凝らしながら覗いてみると、彼女の目がはっきりと見えました。魚のように丸く飛び出た目で、その中にある黒目もこちらのことを見ていました。
そこから少し顔を引き、彼女の顔の全体像を見ようとしましたが、目以外の部分は真っ暗でよく見えませんでした。それと同時に、なにか違和感に気づきました。どうも彼女の顔周りの髪がぺちゃんこというか、頭部に沿うようにベッタリとへばり着いていて、それとは対照的に、首下からはそのロングヘアが急にふわっと柔らかく広がっているのです。

なにかおかしいと思いました。目は見えたのに少し引いただけで顔は見えなくなってしまう。顔周りの髪が頭部にベッタリとへばりついている。首下からは髪が急にふわっと広がっている。そうしたひとつひとつの違和感を整合性をもって理解しようとしながら改めて彼女の顔を見ると、その違和感の正体に気づきました。彼女は、目と口の周りだけ穴の開いた黒いマスクを被っていたのでした。

「じゃあ、そこに仰向けになってくださいね」

黒いマスクから露出した口が高音のアニメ調の声で言うので仰向けになると、

「お兄さん、キス好きでしょう?」

と言いながら、彼女が私に添うように寝そべってきました。そのままキスをしようと顔を近づけてくる彼女の首の下に腕を回すと、あまりにも大きくて硬い首や肩周りの筋肉の感触が腕に伝わってきました。私はこのとき初めて、彼女の体の大きさに気づきました。

彼女の体は、ラグビー選手のように筋骨隆々としていました。
もしかして彼女は男なのではないかと思いましたが、そんなことを考える間もなく彼女が唇を重ねてきました。押し付けられるように彼女の唇が私の唇に触れてきたかと思うと、今度は彼女の口元の皮膚とゴムマスクのちょうど境目の部分の感触が、私の口角のあたりに伝わってきました。ゴムマスクが皮膚に擦れる痛みを少し感じながら舌を絡めると、彼女の口の中からミンティアの味が広がってきて、やがてその奥のほうから、嗅いだことのある匂いが漂ってきました。

それは男の口の匂いでした。
例えば学校の休み時間に男友達と喋っているとき。例えば職場で男の上司と立ち話をしているとき。例えば飲み屋のカウンターで隣に座った男とお酒を飲んでいるとき。ふと顔が近づいた瞬間に相手の口から漂ってくる男特有の匂い。同じ状況であっても女の口からは一度も漂ってこない、男の匂いとしか言えない匂いが、彼女の口の奥の方から漂ってきたのです。

「ほら、お兄さん、自分でやってみてよ」

一瞬だけ唇を離した彼女がそう言いながら、私の手を掴んできました。そしてその手を私の男性器のところに誘ってきたので、私は自分で自分の男性器をしごきました。それから再びキスをすると、今度は彼女が自分の手を自分の股間のあたりに持っていき、腕を前後に動かしはじめました。もしかしたら彼女も、自らの男性器をしごいていたのかもしれません。ただ、股間の部分は暗闇のなかにあったので、本当のところはどうかわかりませんでした。

正直、私はパニック状態に陥っていました。電球のひとつも点いていない真っ暗な玄関で、男か女かもよくわからない、自分より遥かに体が大きなゴムマスクをした人間の前でマスターベーションをさせられる。こんなことになるとは思ってもいませんでした。パニックというのは興奮にも似ているからか、あるいは、恐怖ゆえにものすごく強い力を自分の手に込めていたからか、私はいつもより何倍も勢いよく射精しました。

「あははっ、いっぱい出たね」

彼女が相変わらず高音のアニメ調の声でそう言うと、どこからか出てきたティッシュ数枚を私に手渡してくれました。

「あ、そうだ。お釣りだよね。ちょっと待っててね」

思い出したように立ち上がった彼女は、冷蔵庫やダイニングテーブルのシルエットが浮かぶ部屋の中へと歩いていき、その姿は闇に溶け込んで完全に見えなくなりました。私は玄関に脱ぎ捨てていたズボンとパンツを手探りで拾いましたが、暗くて裏表がよくわかりませんでした。それでもなんとか着替えをしていると、

「あー、おもしろかった」

という男の低い声が、真っ暗な部屋の奥のほうからかすかに聞こえてきました。それからフローリングの上を歩く足音がこちらに近づいてきたかと思うと、

「ここに置いておくから忘れないでくださいね」

玄関に戻ってきた彼女はまた高音のアニメ調の声でそう言いながら、白い椅子のうえに千円札を5枚置き、その場に正座しました。「すいません、ありがとうございます」とお釣りを手に取ると、

「よかったら、また来てくださいね」

彼女は首を折るように頭を下げました。玄関のドアを開けると、外の月明かりが彼女のことを微かに照らし出しましたが、やはりシルエット以上のものは見えませんでした。玄関のドアが閉まるまで、彼女は頭を下げたまま動きませんでした。

エレベーターで1階まで降りマンションのエントランスから外に出ると、入口の花壇のところに、黒色のコートを羽織った30歳ほどの男が腰かけていました。その男を横目に、私は来た道を引き返しました。さっきまで真っ暗なところにいたからか、来たときよりも夜道というものが明るく見えました。もしかして、と思ってしばらく歩いてから後ろを振り返ると、花壇のところに座っていた男が、灰色の鉄筋コンクリートのマンションへ吸い込まれるように入っていきました。

前を向き直し、自宅の方角をGoogleマップで調べようとスマホを起動しました。すると画面に映ったのは、開きっぱなしだった「はるちゃむ」さんのプロフィールページでした。

「秘密厳守でお願いてへぺろっ🥺」

(了)

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山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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