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【村井理子さん×ジェーン・スーさん『実母と義母』刊行記念特別対談 】 「親の顔」以外の父母のことがわからない~近くて遠い家族との過去、現在、未来

なぜか助けてくれる人がいる不思議

村井 スーさんの御著書『生きるとか死ぬとか父親とか』を拝読していると、お父さま、かなりチャーミングな方でもありますよね。

スー 「人たらし」で、客観的に見たら面白いんですよ。他人の父親だったらよかったのに、っていつも思います。

村井 わかります。私も、兄が「私の兄」じゃなかったらよかったのにって思ってましたから。

スー 村井さんがお兄さまのことを書かれた『兄の終い』を読んでると、苦しくて。あの弱さとずるさが、ウチの父ととても似てるんです。ごめんなさい、「ずるい」なんて言って。

村井 いいえ。弱くてずるかった、ほんとに。

スー だけど、なぜかいつも助けてくれる人がそばにいるんですよね。

村井 そうなんです。周囲に女性が必ずいるの。しかも何人かいる。

スー 父もそう。85歳の今も、身の周りの世話を焼いてくれる人がいるんです。それがまた、娘としてはありがたくも腹立たしくもあって。でもね、モテてるんじゃないんです。「依存できる女を見極める目」が人並外れてあるの。めざといんです。

村井 それから、けっこう粘り強い。文字数(口数)多いの。

スー そう。依存できる女を見抜いて、口で優しい。どこまでも優しいから、一定の女性は引っかかるんですね。なんでわからないんだろう、って思うけど。村井さん、お兄さまから次々にLINEやらメールが届くじゃないですか。「ちょっとでいいから何とかしてくれないかな」とか。あれを読んでてゾッとしました。父もそうだから。「おまえに言うと心配させるから言いたくないんだけど」とか言いながら、結局は言ってくる。

村井 そうなんです。母が亡くなったときは、本気で兄から逃げようと思いました。母のお葬式で兄は号泣しながら「理子、これで俺たち二人だけになっちゃったな」と言って、私をじっと見たんです。心底、ゾッとした。そこから毎日メールが送られてきて。ずっと母に依存してたのを、今度は私? 冗談じゃない! って。

スー ウルトラあるあるですね。私も父に、常にそういう思いを抱いてます。その一方で、村井さんのお兄さま、もし生きた時代が違ってたら、もっと違う人生を送られたんじゃないかなと、お会いしたことはないけど、読んでいて感じました。

村井 そうですね。兄は生まれてくるのが30年早かったかもしれない。滅茶苦茶な兄だったけど、手先がすごく器用で、根気のいる作業に何時間でも集中できる人でした。大人も驚くほど精密なプラモデルを完成させたり、絵や書道など得意なこともいろいろあったのに、まったく生かせなかった。それは私も残念に思っています。

がんの家族を看取るということ

スー 私たち、若いころに親をがんで看取っていますよね。私は24歳のときに母を、村井さんは19歳でお父さまを。

村井 スーさんの御著書の、手術後のお母さまの描写、読んでいて父のことを思い出しました。父も内臓のがんで、進行が速くて。当時はがん治療というと、バッサリ切って、中身を根こそぎ取ってしまうような治療でしたよね。そんなに取ったら、体の中が空っぽになっちゃうんじゃないかと思ったのを覚えてます。

スー 何から何まで取っちゃって、そりゃ、生きられないわって。正直、がんで死んだのか、あれで死んだのかわからないって思う。

村井 スーさんのお母さまが手術を終えて一時退院されているとき、体を起こしているのもつらいのに、友人が長居してなかなか帰らなかった話、あれもよくわかります。

スー さっさと帰れ! ってずっと思ってた。

村井 私も同じようなこと、ありました。

スー 当時のことを思い出すと、どれも「つらい」と「怒り」がセットになってます。あのときウチは、父と母が同時期に倒れたんです。母のほうが深刻だったので私が付き添い、父の看護は親戚に助けてもらいました。あと、悔しいけれど父の女性たちにも。私は主に母に付き添ってはいましたが、まだ若かったのでうまくできなくて。ふとした瞬間に母のつらそうな顔を見てしまって、そのときの表情が今でもときどき浮かんでくるんです。

村井 当時は、今とは病院の体制も全く違って、家族がずっと横に付いて世話しましたよね。朝、病院に行って昼までいて、午後、ちょっと休憩して夕方また行く感じ。ずっと一緒にいるから、嫌な部分も見えてしまう。突然、何かを思い出したように怒り出したりね。

スー そして、急に何か言い出す。あれはどうしたとか、これ買ってきてとか。

村井 一度、病室で父に付き添っていたら、父が急に怖い顔して「俺の病気は何なんだ?」と言い出したことがあったんです。「言わなきゃ、今すぐ俺はここから飛び降りるぞ!」って。私は、一世一代の大ウソついて、そしたら父はホッとした表情になって「もう帰れ」と。逃げるように走って帰りました。

スー 当時はまだ、がんは死ぬ病でしたから、本人への告知があまりされなかったんですよね。あの日々はほんとつらかったです。やっぱり「つらい」と「怒り」がセットだった……。

村井 すごくわかります。2カ月ほどの闘病だったのに、3年ぐらいに感じました。終わったときは悲しいより先に、ホッとした覚えがあります。でも、がんの人を介護した後の痛みは、何十年も残りますね。

スー そう、引きずります。これは何だろうと考えると、後悔なのかな……って。今ならできることがあるのに、という後悔。医療の進歩もそうだし、介護者としての私自身の能力も。

村井 私、10年以上、悪夢を見続けました。

スー 私、いまだに見ます。あのときできることは100%やったつもりだけど、失敗したことばかり思い出すんですよ。あのとき私、なんで母にあんなこと言っちゃったかなぁ……とか。こういう後悔をしたくないから、いま、父と関わっているのかもしれません。

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ジェーン・スー

1973年、東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。
TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『生きるとか死ぬとか父親とか』『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』『これでもいいのだ』『私がオバさんになったよ』『ひとまず上出来』『きれいになりたい気がしてきた』『おつかれ、今日の私。』『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』、のほか『女に生まれてモヤってる!』『女らしさは誰のため?』(共著)など多数。

X:@janesu112

村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』など。主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』など。

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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