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「間借り営業」のカレー屋さんが増えている納得の理由!『そこそこ起業』としての〈間借り〉を考える

昨年7月に発売された高橋勅徳さんの『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』は、先月12月にAmazon売れ筋ランキング〈起業・開業ノンフィクション〉で1位になるなど、ロングセラーとして読まれ続けています。

今回、『そこそこ起業』刊行の後日談として、高橋勅徳さんの新年特別エッセイを掲載します。
テーマは〈間借り営業〉についてです。
イメージ画像/PIXTA
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休日の午前中に下北沢を訪れた理由は……

 私の自宅から自転車を20分ほど走らせると、下北沢にたどり着きます。10年前に今の家に引っ越してから昨年まで、この街に足を運ぶことはほとんどありませんでした。下北沢駅で降りたのは、家探しで不動産屋に行ったときの一回だけです。その時の感想は、20代の頃なら楽しい街だけど、40代の私には「街が若すぎる」というものです。それがここ一年ほど、月二回ほどのペースで下北沢に通い詰めています。

 土曜日の午前10時半過ぎ、駅前の駐輪場に自転車を停めて、若者たちが楽しげに闊歩しているメインの通りから一本外れた、飲み屋さんが軒を並べる少し猥雑な裏通りに足を進めていきます。夜になれば人通りも増え、幾分華やいだ場所になるのだけど、ランチタイムには少し早い時間帯だと、ほとんどのお店がシャッターを締めていて人通りもまばらです。
 駅前の駐輪場から5分ほど歩くと、目的地にたどり着きます。目的地は裏通りに有る、隠れ家的なバーです。北風が冷たくなると焼き鳥屋で焼酎のお湯割りを舐めている私にとっては、この手のバーは誰かに誘われないと足を踏み入れない類のお店です。お店の前には、既に5名ほどの待ち行列が出来ていました。時計の針が11時を指して少しした後、扉の鍵が開き、行列が店の中に飲み込まれていきます。

 店内はカウンターとテーブル席を併せて、20人ほど入れば満席になる程度の広さです。カウンター越しに見える店にはウィスキーとバーボンが並び、ベルギービールの樽が置かれているところを見ると、表通りよりは少し年齢層が高めのお店でしょう。開店と同時に入店したのでテーブル席が空いていましたが、私は調理の様子を見ながら料理が届くのを待つのが好きなので、あえてカウンター席に座りました。
 カウンターの中には、バーには不似合いなコックスーツに身を包んだ男性が一人、フライパンを振るい、鍋をかき混ぜながら忙しなく動いています。私はセルフで冷水をグラスに注ぎつつ、店主の手が止まる頃合いを見て注文しました。
  
「本日のカレー、大盛りでお願いします」

 私が下北沢詣でを繰り返すようになったのは、この街に「カレー」があるからです。
 下北沢といえば、神田・神保町と並んで都内のカレー店の集積地として有名です。名店として名高い老舗から、北海道に本店を持つスープカレーの名店、この10年ほどの間でトレンドになっているスパイスカレー(インドカレーの調理法をベースに日本風にアレンジしたカレー)で注目のお店まで、多種なカレー専門店が集積しています。実際、下北沢に通うために、この近辺に家を購入したカレーマニアの教授もいらっしゃいます。
 
「はい、お待たせいたしました」

 大振りな白いお皿に雑穀米と二種類のカレーが盛られています。一つは大ぶりに切られた鶏もも肉がゴロリとしているチキンカレーで、バターとヨーグルトが効いたスタンダードなもの。もう一つは魚介系の出汁とココナッツミルクをベースにトマトの酸味を効かせた野菜カレーで、酸味とスパイスのバランスはタイ料理のテイストに近いもの。付け合せに添えられていたキャベツの炒め物は、ココナッツシュレッドとカレーリーフとマスタードシードを効かせたトーレン(ミールスで定番の野菜の炒め物)に近い調理がされています。

 なるほど、今回の店主はこの方向で攻めてきたのか……調理人の狙いを謎解きするような気持ちで、スプーンを口に運びました。「お洒落なカフェがランチタイムに提供するスパイスカレー」に見えますが、北インドのチキンカレー、東南アジアのカレー、南インドのミールスと違う地域のカレーを日本人の好みに合うようにスパイス感をアレンジしたものが、一皿に盛られていて、店主の深いこだわりが見え隠れします。

 さて、私が下北沢詣でを繰り返すほどはまり込んだのは、「間借りカレー」というコロナ禍の前から目立ち始めた営業形態に注目したのがきっかけです。ランチ営業の時間帯だけバーや居酒屋の店舗を間借りして、他所の店主がオリジナルカレーを提供する営業形態になっています。この日に訪問したお店は今のところは土日のランチタイムのみの、間借り営業を続けています。
 この「間借り営業」というのが曲者で、一ヶ月ほどカレーが提供されないことがあるかと思えば、平日に突然、提供が再開されることもあります。提供されるカレーもスパイスが効いたエスニックなものなのか、フォンドボーを効かせた欧風のものなのか、それともスープカレーなのか、とりあえず行って食べてみないとわかりません。SNSで注意深く情報を探索していないと、いつどこでカレーが提供されるのかわからないし、大抵は期間限定ですぐに消えてしまいます。そんな一期一会のカレー屋さんとの、宝探しのような出会いに、この一年、私はのめり込んでいるのです。
 
 さて、この間借りカレーですが、ビジネスとして考えていくと、なかなかうまい仕組みではないかと思います。
 お店のオーナーからすると、飲み屋さんがお店を開けるのは日が暮れてから終電までの間で、日中はお店を閉めています。とはいえ、閉めている時間も家賃や維持費(ガス光熱費)は発生してしまいます。ランチタイムに食事を出して売上を増やすのは簡単ですが、その分、労力もコストもかかってしまいます。万が一お客が入らなかった場合は、赤字が発生してしまいます。それなら、お店の常連さんや知人で希望する人がいれば、ランチタイムにお店を提供し店舗の利用料を頂戴したほうが楽に収益が上がるでしょう。

 他方で、間借りカレーを出す人の目的は、様々なものであると思います。
「いつかカレー屋を始めたい人」にとって、間借り営業は「自分のカレー」で何人のお客さんを呼べるのかを、身を持って体験できる貴重な機会です。調理人として独立するまでの「王道」の過程は、どこかのお店に弟子入りして皿洗いから初めて、仕込みからお店のオペレーションまで身につけるという膨大な時間がかかるものです。間借りカレーなら、実際に稼ぎながらお店のオペレーションを身を持って体験できて、お客の反応からレシピを改良することが出来るのは貴重な機会になるでしょう。
 それなりに腕のある人ならば、定期的に間借り営業できれば出店リスクを背負わずに現金収入を得られます。もちろん、間借り営業で貯めた資金と獲得した常連さんをベースに「自分の店」を出店する助走期間にできるのは言うまでもありません。実際、間借り営業で評判を得た後、実店舗に転身して人気店になったカレー屋さんが、何店も都内に出現し始めています。

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高橋勅徳

たかはし・みさのり
東京都立大学大学院経営学研究科准教授。
神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程修了。2002年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。
専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。
2009年、第4回日本ベンチャー学会清成忠男賞本賞受賞。2019年、日本NPO学会 第17回日本NPO学会賞 優秀賞受賞。
自身の婚活体験を基にした著書『婚活戦略 商品化する男女と市場の力学』がSNSを中心に大きな話題となった。

Twitter @misanori0818

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