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何故違う意見の人がいるのか、自分と異なるものに対する攻撃性や不安や反発はどこから来るのかを考えなければ――池澤春菜が読む『SISTER“FOOT”EMPATHY』

雑誌『SPUR』にて連載中の同名コラム3年分を1冊にまとめたブレイディみかこさんの新刊が6月26日に発売になります。
「多様性」の中で揺れ動くいま、これからの世界を多角的に、そして広い視野で考えるヒントとなるエッセイ39編を収録しています。

発売に伴い、声優・作家・書評家として活躍中の池澤春菜さんによる書評を公開します。

 いつかフェミニズムという言葉がなくなれば良い。フェミニズムは不均等なヒューマニズムを正すまでの、一時的な言葉にすぎない、と思っているから。
 未来のどこかで、わたしたちの遠い娘たちが「昔、フェミニズムってのがあったんだって。いちいちそんな当たり前のこと言わなきゃいけないなんて、変だね」と言う日が来るかもしれない。わたしたちが今、「女性に参政権がなかったって、どういうこと?」「明治時代って女性に親権がなかったの? なんで?」と訝しく思うように。
 そうじゃない方を想像するのは難しい。どうやったって、自分の頭、自分の体に閉じ込められているわたしたちは、そうじゃない方を実感できない。子どもの頃よく言い聞かせられてきた「自分の嫌なことは人にもしない」という言葉の危うさを昨今感じている。「自分は嫌じゃないから、人にしてもいい」「自分は嫌じゃないから、これを嫌だと感じる方がおかしい」と考える人は意外と多い。
 そうじゃない方を考えることは、エンパシーという言葉にもできる。自分と相手の価値観が同じ場合に覚えるシンパシーと違い、エンパシーは自分とは異なる価値観を持つ相手を理解しよう、共感しようとすること。その感覚を「他者の靴を履く」と言い表したブレイディみかこさんの言葉を初めて読んだ時、なんて鮮烈な考えを持ち、痛快な文章を書く人だろう、と感嘆した。
 そのブレイディみかこさんの雑誌『SPUR』の連載をまとめたものが本書である。二〇二二年から二〇二五年までの、ラディカルな言動やバックラッシュやSNSの暴走や、政治や宗教や経済、さらにはパンデミックでぐわんぐわん揺れる世の中。その中でフェミニズムやシスターフッド、わたしたちがわたしたちとして生きること、今に続く足跡、続かなかった足跡、言葉や思想、そういったものを丁寧に掘り起こし、書き表していった三九本のエッセイは「そうだったんだ」と「そうそう、そうなの!」に充ちている。
 アイスランドの九〇%の女性が参加したという一九七五年のストライキ。二〇一二年ロンドンオリンピックで住むところを追い出された女性たちが起こしたスクウォッティング運動(これに関しては『リスペクト──R・E・S・P・E・C・T』という同著者の小説が素晴らしい)。波乱万丈な人生を歩んできたおばあさまが教えてくれる、正解は必ずしも正しくない、という生き方。オンラインで加速するミソジニー(女性嫌悪)は実は仕込まれているものかもしれない、という示唆。日英どっちにもある、キラキラ意識高い系への疲れ(最近日本でも、風呂キャンセル界隈、という言葉が流行っていた)。一〇年目のアナ雪。historyからHERstoryへ。赤い靴がシンボライズするもの。
 日本とイギリスでは違うことも多くある。けれど、だからこそわかることもある。女性参政権はおよそ三十年、男女雇用機会均等法はおよそ十年もイギリスの方が早かった。イギリスでは女性首相が今までに三人いた(レタスに負けた首相もいたけれど)。フェミニズムや女性の権利は日本よりずっと尊重されている。でもまだ問題も残る。進んでは後退し、またじりじりと進み、時には乱暴なまでの力に突き動かされて飛び出す。
 日本が遅れている、イギリスは進んでいる、と思うのではなく、国ごとの違いを超えて同じ足に合わない靴を履き続ける痛みを持つものとして、エンパシーを持って共闘できれば、と思った。
 日本も、きっと、いつか、もっと。前に進もうとする背中を押してくれるブレイディみかこさんの言葉が、今のわたしたちには必要だ。

 折しも、少し前に宇多田ヒカルが新曲の中で「令和何年になったらこの国で/夫婦別姓OKされるんだろう」と歌い、賛否両論を巻き起こした。わたしが見ているSNSもエコーチェンバーはあるだろうけれど、概ね反応としては「よくぞ言ってくれた」「お守りみたいな歌」「さすが宇多田ヒカル、ありがとう」と受け止める人もいたが、反対に「アーティストが政治的なことを歌詞に盛り込むのダサい」「売れなくなったから左翼にすり寄っているのでは?」「残念な人になった」「考えが浅い」と批判する声もあった。両者は感情的に罵り合い、お互いを腐すことで自分を保とうとしているように見える。
 人々の意見が可視化されるようになった今だからこそ、何故違う意見の人がいるのか、自分と異なるものに対する攻撃性や不安や反発はどこから来るのかを考えなければいけない、と本書を読んで改めて思った。

 この本は、そうじゃない方の人にぜひ読んで欲しい。『SPUR』連載時は手を伸ばせなかった人も、本になったらきっと買いやすい。自分と違う性別、考え、生い立ち、立場の人たちの靴を履いてみること、何ならそれで歩いて世界の見え方の違いや、歩きやすさ歩きにくさを感じてみて欲しい。もしこの本を読んで、違和感や反発やめんどくささを感じたら、それは自分の靴がいかに歩きやすいか、ということかもしれない。
 誰かの靴を履いたり、自分の靴を履いてもらったりしながら歩んでいく道の先に、フェミニズムという言葉がなくなる未来があるのだと思う。

SISTER“FOOT”EMPATHY』好評発売中!

2025年6月26日発売 1,760円(税込)
2025年6月26日発売 1,760円(税込)

シスターフッドがポリティカルになりすぎると、それはシスターたちのあいだに分断や対立をもたらすことにもなりかねない。その一方で、シスターフッドが政治に無関心になりすぎると、互いの涙を拭い合うばかりで、(中略)つらい日常を変えていこうという動きに発展しない。
 無駄に分断されず、むしろ二つの意味を結合させたものとしてシスターフッドをパワーアップさせるのは可能だろうか。そんなことをわたしはずっと考えていた。(本書「はじめに」より一部抜粋)

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新刊紹介

池澤春菜

いけざわはるな●声優・書評家・エッセイスト・作家。幼少の頃より年間300冊以上の本を読み、とりわけ海外SFとファンタジーを偏愛している。著作に『わたしは孤独な星のように』、『SFのSは、ステキのS+』(ともに早川書房)などがある。

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