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【酒井順子さん×麻布競馬場さん『消費される階級』刊行記念特別対談 】〝みんな平等、みんな違っていい″は受け入れられているかー無数で多様な格差の取り扱い方

『負け犬の遠吠え』の〝負け犬″=30代以上・未婚・未出産の女性と同じ悩み

酒井 実生活ではどうしているのでしょう? たとえば、会社での付き合いとか。

麻布 それが面白くて、一部の若者は、真正面からぶつかっていくスタイルの昔ながらのコミュニケーションで乗り切っていますね。なんだかんだいっても、今でも体育会系の学生が強いのはそこで、自分で努力して勝ち上がってきた自負と同時に「痛み慣れ」みたいなものがある気がします。

酒井 痛み慣れ。

麻布 多少ケガしてでも、コミュニケーションによる果実を取りに行こうという経験の慣れがあるというか。「会社の先輩に教わらなくたって、YouTubeでビジネススキルを学べるじゃん」と体当たりのコミュニケーションを避ける人もいますが、やっぱりどんな会社にもローカルルールはあるし、ビジネスには寝技的な部分もあるじゃないですか。そこでまた分断が生まれる構造になっちゃうんですけれどね。

酒井 一周回って体育会系が見直されているわけですね。

麻布 ある意味、反動なのかもしれないですね。逆に、朗らかな学歴いじりができた時代って、非体育会系の人たちってどうしていたんですか? 

酒井 実は私も体育会だったので、当時は文化系のみなさんを下に見ていました。というか、存在が目に入って来なかった。正直に懺悔します。文化系の方々のことを押し並べて「漫研」、と呼んでおりました。昔の芸風については、いろいろと反省しております(笑)。

麻布 変わらないなぁ! 世の中は(笑)。

酒井 それが非常に偏った見方であって、体育会の人はそれこそジャイアン的存在だったことは、社会に出てすぐに学んだわけです。が、人間を一皮むくとそのような乱暴な感覚が存在しているという視点から、現在の、ポリコレ意識によって様々な凹凸が隠された状態を見た結果として、このような本ができたのでしょうね。

麻布 ちなみに当時、酒井さんのおっしゃる「漫研」の方々との交流は?

酒井 ゼロでした。やはり同じような人たちと一緒にいるほうが楽だったし、未知の世界に対する恐怖心もあった気がします。私はずっと同じ私立の学校を上がっていったので、非常に狭い世界の中でしか生きていなかったのだと、今になって分かります。だから、社会に出て広くて多様な世界を初めて目にしたときの驚きといったら、人生最大の衝撃だったといっていいかもしれない。ヘレン・ケラーのように、声が出そうなレベル。そこから徐々に視界を慣れさせていった感じですね。

麻布 なるほど。環境がガラリと変わるタイミングで、自然と世界は広がるものなのでしょうか。これから先、ずっと狭まる一方なのかと不安になることがあって。

酒井 広がっていきますよ。でも、年を取ると心身の力が衰えてくるので、「でも、やっぱり楽な関係が一番」と狭まってくるんです。今の私がまさにそうで、ここ数年の間に急速に中高時代の友達との「リユニオン」が進んでいます。みんな子育てが落ち着いたり、離婚して実家に戻ってきたりして、再結集が始まるんですよね。地元でヒップホップ教室に一緒に通ったりして昔からの友達とばかり遊んでいると、はたと「これってヤンキーと同じでは?」と我に返ることも……。

麻布 ヒップホップでズンズンしてるんですか!(笑) いやー、希望だな、これは。実は、軽くお悩み相談になっちゃうんですけれど、僕は今32歳のシングルなんですが、周りの同級生が20代のうちにあらかた結婚していて。

酒井 早いですね。女性が早く囲い込みたくなる恵まれた男性達、ということですね。

麻布 そうなのかもしれません。若いうちに結婚を決められるくらいの経済的余裕があるということで。早めに狩りとられた結果、すでに子育ても始まっていて、妻と子とその周辺の新しい世界へと突入していく。第2子も生まれると完全シフトで全然遊んでくれなくなるんですよ。

酒井 え、それって、私が21年前に書いた『負け犬の遠吠え』の〝負け犬″=30代以上・未婚・未出産の女性と同じ悩みじゃないですか。

麻布 どこかで読んだ覚えがあると思ったら(笑)。性別を変えて、同じ現象が起きていますね。

酒井 特に最近の若いお父さんは、子どもへの熱の入れ方がすごいですよね。「子育てハイ」状態とでもいうべきか。

麻布 子どもが通う保育園や学校、習い事の世界に突入していって、それが異様に楽しいみたいなんですよ。自分の人生で高い点を取るゲームから降りて、子どもの人生で点を取るゲームに乗り換えているとしか思えないです。ハイスペックな習い事を調べまくったり、お受験の勉強に猛烈に注ぎ込んだり。なんか「ポケモンみたいだな」と思って見てます。

酒井 私の母校の女子校でも、娘を入学させたお父さんたちの中には、異常に盛り上がっている人もいるみたいで。同窓生の私たちは、昭和人からすると見慣れないそのタイプに、学校名を冠した病名を密かにつけているのですが、そんなお父さんはどこの学校にもいるみたいですね。

麻布 風土病なんですね、それ(笑)。微笑ましいことだと思いつつ、同世代が楽しそうに盛り上がっている様子を見ていると、複雑な感情が湧いてきて。羨ましいわけではないけれど、どこか「お前は正しくない」と言われている気がして。

酒井 麻布さんの『令和元年の人生ゲーム』にも、結婚しようとする男性の親友が寂しがる描写がありましたよね。あの感覚でしょうか?

麻布 まさにずっとあの繰り返しです。離婚すると一時的に戻ってくるんですが、一度結婚する男は二度結婚するので、またあっちに行っちゃうんです。「お前とは〝同質″ではない」と言われた気がして、なんとなく、寂しくなるんですよね。

酒井 男性も女性と同じ感情を抱くんですねぇ。

麻布 僕は幸い、執筆業を始めたおかげで新たに同業の友人も増えているんですが、それがなければ友達は減る一方ですよ。今の40代手前の独身男性って、相当孤独なんじゃないかと思います。

酒井 女性も同じだと思いますよ。それで同じ独身者同士で仲良くなって、また同質性を強固にしていく……。

圧倒的にモテているのは「エンジニア」

麻布 結婚に関しては、新しい「階級」も生まれています。かつて合コンで一番モテるのは商社・外銀・外コン(外資系コンサルタント)でしたが、それらを抑えて圧倒的にモテているのは「エンジニア」なんです。それも「IBMから転職してGoogleにいます」みたいなGAFA系エンジニアが最強で。めちゃめちゃ稼いでいますからね。

酒井 やっぱりお金と美女がくっつくという定理は不変なわけですね。

麻布 見た目は真面目で丸い眼鏡をかけて、酒井さんがおっしゃるところの「漫研」風のいでたちなのですが、隣に連れてくるパートナーはばきばきの美人だったりして……あ、これもルッキズムで、いけませんよね(笑)。「体育会系エリートの上に立つインターネットギーク」という階級変動が起きています。

酒井 稼ぐ女子がモテる、という現象にはならないんですか(笑)。

麻布 『消費される階級』の一番目にある「男高女低神話のゆらぎ」の問題ですね。まさに書かれていたとおりのことが、僕の周りでも起きていて、「もともとは男の自分のほうが稼いでいたけれど、転職を機に妻の収入のほうが高くなった途端、家事分担の見直しを迫られて……なんかモヤモヤする」みたいな。妻からしたらシンプルに「管理職になって忙しくなったからよろしく」という合理性の問題なのに、男は自分の価値が下がったように思えて受け入れられない。

酒井 でも、さすがに昔と比べると意識は変わってきているんじゃないですか。

麻布 はい、高収入女性が冗談半分に「ヒモを飼いたい」と言っているのを何度か聞きましたね。

酒井 そうなりますよね。

麻布 「お金は私が稼いでくるから、感じよく家で待ってくれる人がいてほしい」って。猫を飼うみたいな感覚で結婚相手を探す女性が増えている気がします。

酒井 言葉もしゃべれる猫ですね(笑)。

麻布 そうです。掃除も買い物だってできます(笑)。

議論をしなくなるのが一番怖い

酒井 より若い層の現象で、私が気になるのは「階級」に対する耐性が弱まっているのでは? という点です。世の中の「差」がどんどん平らに直されて、〝表面ツルツル″の社会に向かっていく中で、さぞ平穏な社会になっているのかと思いきや、近所の高校生の女の子の話を聞くと、学校のクラスの中の地位を異常に気にしていたりするんですよ。「陽キャの子が……」とか言って。

麻布 今どきのスクールカーストですね。

酒井 我々昭和世代から見たらものすごく優しくて平和に見える世の中で、若者はまだ「陽キャ」だ、「陰キャ」だなんて細かいことを気にしているのかと驚くばかりで。昔より繊細になっているのは、むしろ免疫不足で弱体化しているからでは、と心配になるわけです。

麻布 子どもの社会はある意味、人間の本質が現れるもので、今の大人たちは残酷な格差や階級を小学校〜高校くらいまでで味わってきていますよね。大学生くらいになると、「差別・区別はよろしくない」という社会ルールがだんだんと下りてきて、意識が変わってきたのかもしれませんね。子どもの頃から「ツルッツルの平等教育」に身を浸した世代が、どういう大人になって、どういう社会をつくるのか、かなり気になりますね。

酒井 確実に存在する「差」が無いもののように扱われた結果、人知れず蹴つまずく人が大量発生するのではないかと。

麻布 いずれにせよ、議論をしなくなるのが一番怖いなと思っていて。格差って社会に公認されると保護の対象になるから、それをまた「差別だ」と批判する意見が出ることがありますよね。たとえば、「弱者男性」問題。女性が社会で活躍する上でのハンデを補うアファーマティブアクション的な制度整備の流れに対して、「ずるい。男にも強い男と弱い男がいる。弱い男も救済せよ!」という叫びは存在するという問題です。
 しかし、これはほんの一例であって、酒井さんが本で連ねてくださったように世の中には多様な格差が無数にあるのです。その中で、特定の格差について、当事者がその不条理を表明したからといって優先的に是正されるのは果たして平等なのか? という議論も当然出てくるわけで。直面するのは「弱者のトリアージ」というとてつもない難題なんですよね。

酒井 そもそも強者と弱者の違いというのも曖昧ですよね。白黒ハッキリつけられるものではなくてグラデーション上のものですから。それにLGBTQのような比較的目立つ違いはよく知られるようになったけれど、「目立たない違い」もたくさんあるはずです。

麻布 まさに。でも、だからといって「優先順位をつけられないから全員黙れ」と抑えつけるのは、あまりにも乱暴。「みんな平等で、みんな違っていいよね」「強弱含めて多様性を守ろう」という美しい号令の中で、現実的なつらさを生む格差をどう取り扱うべきなのか。難しいし、多分、答えは出ないのですが、この議論が止まるのはよくないなと思います。

酒井 強者がハッピーとも限らないですよ。昔も今も子ども同士のいじめは存在しますが、高校生の話を聞いていると、その構造が変わってきているんです。昔は「地味な子」がいじめられていたけれど、今はむしろ「目立つ子」がいじめの対象になるみたいで。

麻布 それもいわゆる同調圧力なんですかね。「みんな平等でそこそこでいようよ」という圧力。上も下もなんだか希望がないですね。

酒井 多様性を認めようとしているはずなのに、かえって同調圧力が蔓延するって、矛盾していますよね。「みんな違ってみんないい」という考えは、果たして受け入れられているのだろうかという疑問があります。

麻布 なかなか受け入れられないから、いろんな問題が起きているんでしょうね。もし受け入れられたとて、「私とあなたは違うから、このままでいいじゃん」という反応って、ある意味「拒絶」とも言える。そうすると、ますます差が発見されなくなっていく。

酒井 さっきおっしゃった弱者男性の苦しみも、「弱さをずっと無視されてきた」という苦しみだと思うんです。それって、発見されなければ永遠に続く苦しみですよね。

麻布 やっぱり他人の苦しみは究極的には理解できないものなのでしょうね。黙っていたら、苦しみの存在にさえ気づけないし、もし教えてもらったとしても、相手の苦しみと自分の苦しみのどちらが重いかは測りようがないですし。「私のほうがつらいんだよ」と、不幸競争のカードを切り始めるのはあまりにも不毛で、そんな世の中にはなってほしくないですね。

酒井 決着のつけようもないですしね。そういう意味で、同質が集まるよさは「差を感じにくいから、つらさも感じにくい」という点なのでしょう。だから安心して集まれる。

麻布 なるほど。案外、同調圧力ってそういう文脈で生まれた知恵なのかもしれないですね。みんな引き分けにしようぜっていう。

自分もどこかで「下に見る」側に立っている

酒井 とはいえ、生きていればずっとそのままではいられないのも現実です。人が二人いれば、そこには上とか下とかの違いが生まれてしまう。「自分は下にいた」と気づくのもつらいですが、「誰かを下に見ていた」と気づくのもなかなかショックですよね。

麻布 でもきっと、気づくことから始まるんじゃないかと僕は思います。『消費される階級』に書かれていることって、今は誰も見ず、言わず、触らずで気づかないふりをしている現実ばかりじゃないですか。無理やり透明化させている事実に向き合って、重い腰を上げて、議論のきっかけをつくることが大事なんじゃないかなというのが、今日これだけ酒井さんと話して得られた収穫です。他人と議論するのにためらうのなら、自問自答するでもいいと思いますし。

酒井 そうですね。私たちは日常のいろいろな瞬間で「上に見たり、下に見たり」を繰り返しているわけですが、特に「誰かを下に見ている自分」、つまり、差別する側に立っている自分を自覚したときの戸惑いは表明しづらいものです。でも、これだけ世の中に格差の問題があるということは、やっぱり自分もどこかで「下に見る」側に立っている可能性を無視しない必要があるのかなと思います。

麻布 上下どちらの立場もあって、一人の人間はバランスを取ろうとしているのかもしれないですね。

酒井 誰しもそうですよね。もっというと、清少納言や紫式部のような今に伝わる平安時代の作家は、「上の下」クラスのB級お嬢様だったんです。トップ・オブ・トップではなく、中途半端な位置。上も下も見られるから、あれだけの人間模様が描けたはず。

麻布 なるほど。そう言われてみれば、僕も慶応に入って衝撃を受けたんですよね。苦学生から幼稚舎育ちの内部生まで、ものすごい差のグラデーションの渦に巻き込まれて。僕はそこで上にも下にもいけない孤独な漂流者だったんですが、コンプレックスを抱いたというより、図鑑におさめる昆虫採集をするかのごとく観察に徹底するスタンスで面白がれたんですよね。自分は悲しき中流だと思っていましたが、実は平安作家もそうだったのかもと知って、少し救われました(笑)。

酒井 『令和元年の人生ゲーム』で重要な役割を果たしている沼田のキャラクターも「観察者」ですが、彼の姿は、三島由紀夫の最後の作品『豊饒の海』四部作で「観察者」の役割を引き受けている本多を思い起こさせました。沼田にしても本多にしても、物語における「観察者」役って、たいてい内向的で不幸ですけど、今日、麻布さんにお会いしたら、明るくてコミュニケーション能力が高いことにびっくり。外交的観察者って、とても新しい存在だと思います。集団の端っこから不完全な滑稽さを眺めることによって、自分も含めて笑うことができるのかも。

麻布 ああ、なんだか道筋が見えてきました。僕からすると酒井さんは「天上人」のような文芸界の大先輩で、実はお会いするまで「どれだけ怖い方なんだろう」と震えて緊張していたんです(笑)。じっくりお話しできて、ずいぶん視界が明るくなった気がします。明快な答えがなくても、扱いづらいテーマに向き合おうとする。こういう対話が大事なんだなとあらためて分かる時間でした。ありがとうございました。

酒井 こちらこそ刺激的で楽しい時間でした。麻布さんの次の作品も楽しみにしています。

異世代、異質性がありながらも話題は尽きず。
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1,540円(税込)
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麻布競馬場

あざぶけいばじょう
1991年生まれ。慶応義塾大学卒業。
著書に『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)、『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋)。

Twitter@63cities


(イラスト:岡村優太)

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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