よみタイ

【酒井順子さん×麻布競馬場さん『消費される階級』刊行記念特別対談 】〝みんな平等、みんな違っていい″は受け入れられているかー無数で多様な格差の取り扱い方

世間をざわつかせた酒井順子さんの連載エッセイ『消費される階級』が書籍化されました。
現代社会に存在するさまざまな「差」をあぶり出す注目作です。
「よみタイ」連載時から注目していたという麻布競馬場さんと、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を驚きつつ読んでいたという酒井さんとは、この対談が初顔合わせ。
司会進行がカットインする間もないほど、初対面とは思えない盛り上がりを見せました。
50代、30代と世代の異なるお二人の「上に見る/下に見る」感覚とは。

構成/宮本恵理子 撮影/馬場わかな
酒井順子さん(左)と麻布競馬場さん
酒井順子さん(左)と麻布競馬場さん

あ、これはちょっとヤバいやつだ

麻布競馬場(以下、麻布)はじめまして。今日はお会いできて光栄です。『消費される階級』は連載中から愛読していたのですが、ある回を読んだときに「あ、これはちょっとヤバいやつだ」って気づきまして。たくさんの人に読んでほしいと思ってX(旧Twitter)で紹介したら反響が大きくて、今日の対談にもつながったそうでうれしいです。

酒井順子(以下、酒井) ありがとうございます。ちなみに、どの回を?

麻布 「『ドラえもん』が表す子供社会格差」というタイトルの回ですね。『ドラえもん』は言うまでもなく子どもの頃から親しんできたコンテンツですが、のび太やジャイアン、スネ夫ら登場人物が大人になったときにどんな社会的評価を浴びるのかという〝階級″に置き換える視点は新鮮でした。しかも、酒井さんの考察が結構えげつないなと(笑)。

酒井 あら。えげつなかったですか(笑)。

麻布 素晴らしかったです。「階級」や「格差」の問題って、最近かなり扱いづらい題材だなという実感があるのですが、酒井さんはここまでストレートに、現世日本に存在する「階級問題」をこれでもかと明らかにしていらっしゃる。あらためて、すごい方だなと。

酒井 私も麻布さんの作品は『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)や最新作の『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋)を拝読しましたが、「この手の問題をここまで書いた作品は、バブル崩壊以降、ほとんど存在しなかったのでは?」と、衝撃を受けました。麻布さんが描く物語の根底にも、「格差」があるように感じるのですが、いかがですか?

麻布 まさに、おっしゃるとおりです。ただ、格差はどんどん書きづらい題材になっていますよね。学歴や就職の格差を語る上で「親ガチャ」の問題が声高らかに語られたりなど、本人の努力次第でどうしようもない環境要因がより強調されるようになってきて。昔はもっと無邪気に、「お前が真面目に勉強しないからだ!」って言えたはずなんですけれど、今はそれを控えるべきだという空気が張り詰めている。みんな言いづらくなっている中で、久しぶりに酒井さんのド直球の考察を読んで、「うわ、面白い!」って素直にSNSでシェアしたところ、やっぱりすごく賛否入り混じった反応がありました。

酒井 どんな賛否だったのでしょう。

麻布 酒井さんが書いた「子どもの頃にはジャイアンのような『力の強さ』が武器になるが、大人社会では換金価値が下がっていく。しかし……」という論に対して、「そのとおり! だから、もっと冷静に備えるべきだ」「いや、特に地方の労働サイドにおいて力は相当の武器になるぞ」といろんな意見が巻き起こっていったんですよね。触りづらいけれど、誰にとっても深く刺さる。それだけ強い引力をもったテーマを扱っていらっしゃるのだなと肌で感じて、ますます注目するようになりました。

酒井順子さん
酒井順子さん

書きづらいからこそ、小説にしている

酒井 麻布さんの作品の場合は、日本の小説には珍しく、実在する大学や企業がほぼそれだと分かる形でバンバン出てきますから、風景が現実のように迫ってきます。麻布さんがどういう狙いで、こういった物語を書いているのか、ずっと聞いてみたかったんです。書きづらくはなかったですか?

麻布 書きづらいからこそ、小説にしているのかもしれないですね。つまり、「階級をめぐる言説の難しさ」をフィクションという手法によって解決している。僕はこの難しさの根底には、「苦しみの表明しづらさ」があると思っているんです。
 たとえば、『この部屋から〜』に出てくる人物たちは、地方出身ですがそれなりに裕福な家で育ち、親からお金を出してもらって予備校にも行き、いい大学に入り、それなりにいい会社に就職した先で、「上には上がいるんだな」と気づいて、ちょっとした苦しみを抱えているような人たちです。
 それは本人からすると確かに存在する苦しみなんですけれど、世の中からは「お前は恵まれているんだから、弱者の模倣をするんじゃない」と批判される。一言で言えば、「お前、黙れ」という圧力ですよね。
 でも僕は、一見満たされている人の中にも苦しみが存在するのは嘘じゃないと思うし、それを無理やり透明にされるのは間違っているんじゃないかなと。なので、彼ら彼女らの豊かさのリアリティも含めて、濃淡はあれど誰もが抱えている苦しみを描きたいという気持ちは常にあります。
 ただ、そこに直接触れる勇気はないから、「小説」というフォーマットに逃げていたんですけれど、酒井さんはご自身の視点でド直球に書いている。いや、あらためてすごい重みです。

酒井 私は、デビュー当時の40年近く前から同じようなことを書いているので、これが平常運転なんですよね。麻布さんがご出身の慶応のカルチャーについても、昔は泉麻人さんや田中康夫さんが『POPEYE』などで面白おかしく書いていて、「慶応の内部生と外部生の格差って、つらそう。アハハ」と笑っていたんですよ、当時は。今は、同じ格差は存在し続けていても、笑いのニュアンスで書くことはできなくなっていますが、それを麻布さんは現代の苦しみの一つとして表現したという点が私にとっては驚きでした。

麻布 うーん、どうしてもムードが暗くなってしまうんですよね。僕も泉麻人さんの本は好きで読んでいましたが、あの頃に描かれていた「完璧な慶応ボーイ」みたいな人物って今は存在していない気がして。昔から「勝者に対しては石を投げていい」という暗黙の了解がありますが、30年前くらいのテレビや巷での〝高学歴いじり″って、対象が圧倒的勝者であるという前提があったと思うんです。「相手は強いから、多少石を投げても笑って許してくれるだろう」と鬱憤を晴らすみたいな感覚。でも、今は「高学歴という結果は本人の努力だけではない巡り合わせによって得られるものであり、裏を返せば、学歴を得られなかった人が努力をしなかったわけではない」という認識が広がってきたから、高学歴いじりはタブーになりつつある。石を投げる人にも、投げられる人にも余裕がなくなっているというか。

酒井 勝者が強者であるとは限らないわけですね。慶応生の中にもつらさを抱える人はいるのだと伝える物語に対して、反論はなかったですか。「そうは言っても、慶応じゃん」みたいな。

麻布 いろんなところから〝怒りの声″が届きました(笑)。地方在住の人からは「地方の状況はもっと過酷だ」と怒られ、東京人からは「東京を港区だけで語らないでほしい」と怒られ、慶大の教授を名乗る人からは「うちのゼミ生はこんなにおちゃらけていませんッ」と怒られ(笑)。たしかに慶応生を一括りにできないのは事実なんですよね。以前よりも、ある特定の階級について一人の人物に語らせることは難しくなっているのでしょうね。ある特定の階級パッケージの中はものすごく細分化されているのに、周りから一緒くたにされて石を投げられる。そこに苦しみを感じる人の声も可視化されやすくなったというか。
 酒井さんは、今の社会に存在するさまざまな「差」をこれでもかとあぶり出していらっしゃる点で「えげつないな」とリスペクトするわけですが、一方で、この「差」がすれ違いにくくなっている気もするんです。

酒井 すれ違いにくくなっている、というと?

麻布 本来、社会は多様な属性や背景の人たちの集合体だと思うのですが、自分と似たような人たちとばかり会って、一緒に過ごしている。自分自身を振り返っても、出身や所得、職業観、性的志向……だいたい同じような属性の人たちとしか会っていないなぁと。たとえば、僕が住んでいるマンションも、高所得の人ばかり住んでいるから、ゴミ置き場に(高級ワインの)「オーパスワン」とかしょっちゅう転がっているんです。
 会社に行ったら行ったで、同じような学歴の人たちが揃っているから「世間はこういう感じだ」と勘違いしちゃうんですよね。実はものすごく小さな泡の中に閉じこもっていることに無自覚になりがちで、「階級の差」を意識することなく暮らせてしまう。だからこそ、変な摩擦を生じずに日常生活を過ごせるし、〝非日常″であるインターネットは炎上するのではと。

酒井 その辺りは、昔と今とあまり変わらないのかもしれない。私の時代は女子の大学進学率は15%ほどでしたが、大学時代のある女友達は、ほとんどの女子は大学に行くものだと思っていました。自分が付属からするっと大学進学して、同じような人ばかりと付き合っているので、世の中も皆そうだと思っていたわけです。ただ、我々の代はネットがなかったので、〝泡″の中でだけ安寧に過ごしていて、炎上することがなかった。

麻布 インターネットの中で絶えずケンカが起きるのは、「小さな泡の入り混じり」が原因だと僕は思うんです。

酒井 同質性の高い付き合いというのは、属性が異なる人への想像力を持つ必要もなく、ある意味で平和の遠因になるというわけですね。

麻布 はい、よくも悪くも。

酒井 みんな、その方が楽だから狭い世界で生きる選択をしているのかもしれないですね。

麻布競馬場さん
麻布競馬場さん

コミュニケーションを避けるほうがコスパがいい

麻布 自分より「上の人」を見たところで壁を打ち壊せるわけじゃないし、「下の人」を見て優越感に浸れるかというと、そこに潜む背景や事情を想像すれば単純には笑えない。かといって、対話ができるかというと、やっぱり持っている固有名詞が違うから話も合わない。なんなら、一緒に飲みに行く店探しから気を遣うから面倒くさくなって。結局は、やっぱり似た者同士で集まるのが〝最適解″になるのではないでしょうか。

酒井 ここ10年くらいで急速に「コンプライアンス」やポリコレに対する意識が高まってきて、昔だったら気にせず発していた言葉が言えなくなったりしている流れがありますよね。でも、だからといって人間の本質はそう急には変わらないから、「あの人と私は違う」と上や下に見る感情は存在しているはずなんです。表に出せなければ、水面下に潜るだけだと思うのですが、今の若者たちはそうした感情をどう処理しているのでしょうか。

麻布 「触らないようにする」という方法をとる人がほとんどだと思います。たとえば大学の友達が単位取得に苦しんでいたとして、「お前、普通に授業に出て、ちゃんと課題も出せよ」と言えるかというと言えないですよね。だって、何か生まれながらの体質や経済的な事情があるかもしれないから。間違っても「頑張れ」とは言えない。だから、黙るしかない。何かできるとしたら「大変だよね」と寄り添うか、大学側に「彼にはこういう事情があって」と代わりに説明して介助をつなぐか。でも、そこまでする義理もないから、最終的には「触らない」に行き着くのが大半になる。コミュニケーションを避けるほうがコスパがいいからです。

酒井 そういう感覚ですか! それでまた同質化が進みそうですね。余計なお節介ができなくないとなると、ますます事情をよく知っている仲間とだけといることになる。

麻布 差を乗り越えようとしないから、当たり障りのないコミュニケーションしかできないんですよね。僕の周りを見回しても、「痛みを伴うコミュニケーションはパートナー(恋人や配偶者)としかできない」と言っている人は多くて。友達同士ではやさしい声かけくらいしかしない。でも、それも彼らなりの心の守り方なんですよ。

酒井 パートナーっていっても、相当信頼できると確信できる相手じゃないと本音は吐露できないでしょうね。3ヶ月後に別れそうな相手だとなかなか……。

麻布 インスタでも「親しい相手限定」で表示する機能を使って投稿を分けている人、結構いますね。つまり、「親しい人にしか見せられない自分」を明確に持っていて、そこではわりと熱くて過激な発言もするんですよ。「俺はこんなに頑張っているのにあいつは」って、サークルのメンバーをディスったり。切磋琢磨する姿でさえ、オープンにできない窮屈さがある気がします。

酒井 そういう感覚って、きっと若い方ほど敏感だと思います。となると、その手の感覚が異なる上や下の世代との付き合い方も簡単ではなさそうですね。

麻布 同世代との付き合いでさえ難しいので、異世代となるともう大変過ぎますよね。

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麻布競馬場

あざぶけいばじょう
1991年生まれ。慶応義塾大学卒業。
著書に『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)、『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋)。

Twitter@63cities


(イラスト:岡村優太)

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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