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熊本地震、北海道地震、能登半島地震・・・なぜ発生確率の低い地域ばかりで大地震が起こるのか? 【科学ジャーナリスト賞・菊池寛賞・新潮ドキュメント賞 トリプル受賞で注目の新聞記者が語る】

誰も「一次情報」に当たっていない

南海トラフだけに適用されている予測モデルは、「時間予測モデル」と呼ばれるもので、これは1980年に島崎邦彦東京大学名誉教授(当時は助手)が論文で発表したものです。確かにこのモデルを適用すると、過去に起きた地震の発生時期をうまく説明することができた。

しかし、この「時間予測モデル」は高知県の室津港の水深データなどを根拠につくられているのですが、室津港の水深データは1930年に旧東京帝国大学の今村明恒教授が発表した論文に掲載されたものを引用していて、その出典をさかのぼってみると、江戸時代に書かれた古文書に行き当たります。

さらに取材を進めると、その古文書のデータは、また別の人物が記した「手鏡」と題された史料を引き写したもので、この手鏡に書かれたデータも、また別の文書の写しであることがわかりました。ただ、その元となった文書までは見つけることができませんでした。このあたりのことは、『南海トラフ地震の真実』に詳しく書いています。

つまり、島崎教授が「時間予測モデル」の根拠としたデータには、原典(今村論文)の原典(江戸時代の古文書)の原典(手鏡)のさらにまた原典が存在し、大元の原典までは誰もたどれていないのです。転記に次ぐ転記で、写し間違いも散見され、これでは信頼に足るデータとは言えません。それに江戸時代のことですから、測量の精度にも限界があったことでしょう。これに加えて、海外でも「時間予測モデル」に否定的な論文が複数出されています。

このように、非常にあやふやなデータをもとに「時間予測モデル」がつくられており、それが南海トラフ地震の地震発生確率70~80%の根拠となっているのです。

確率信仰の罠

問題は、やみくもな確率信仰にあると考えています。防災関係者は、高確率(70〜80%)でなくなると、国民の防災意識が低下したり、予算が削られると考え、低確率(20%)の公表を渋りました。

図2を見てください。日本の面積は世界の面積の0.25%しかないにもかかわらず、世界で起きたM6以上の地震の20%は日本の周辺で起きています。マークされた部分を見ると日本は覆いつくされていますよね。だから日本地図だけを見て、その中で発生確率が高い、低いと論じることは、テストの点数が10点なのか20点なのかを争うようなものです。いずれも赤点です。意味がないどころか害ですらあります。日本のどこにいても大地震に遭う可能性があると思って行動したほうがいい。

図2 世界で起きたM6以上の地震の震源地(出典/防災白書)
図2 世界で起きたM6以上の地震の震源地(出典/防災白書)

現在の科学で30年発生確率を出すことは限界があり、社会的にも弊害が大きいと考える地震学者は多く存在します。確率を出すとしても、それはどのような科学的根拠に基づいて計算されたものなのか、前提となる仮説に誤りはないのかなど、政府や専門家の発表を鵜吞みにせず、きちんと検証することが欠かせないと考えています。

――「時間予測モデル」を南海トラフ地震の発生確率の算出根拠にすることは、以前から多くの地震学者が異議を唱えていたそうですね。

はい。たとえば、先ほどご紹介した鷺谷教授は、さまざまなメディアの記者にたびたび訴えていたそうです。しかし報道されることはなかった。報道することにリスクがあると考えたからでしょう。東京・中日新聞でも、この事実を報道することについて、かなり議論が紛糾しました。確率が低かったとしても、もしも地震が起きれば、甚大な被害が想定されることから、この報道によって命を落とす人がいるのではないか、かえって悪影響を与えるのではないか、と。

しかし、これまで報道されなかったことで実際に起きたことは、能登半島地震でもわかるように、低確率地域での深刻な被害です。南海トラフ地震の危険性だけをことさら大きく取り上げることで、他の地域に油断が生まれた。私が言いたいのは、南海トラフ地震が過大評価されているということではなく、それ以外の地域もきちんと対策をしないといけないということです。

――受賞された新潮ドキュメント賞の選評では、「地震の発生確率が、これほどまでに危ういデータに基づいていたことを告発する内容は圧倒的」(池上彰氏)、菊池寛賞の選評では、「一人でひたすら問題を追いかけた。専門家という言葉、政府の発表に、私たちが惑わされやすいことに大いなる警鐘を鳴らしている」(阿川佐和子氏)など、丹念な調査報道が評価されました。

そのようにおっしゃって頂けるのはありがたいことですが、本来これは記者として基本的な仕事だと思います。むしろそうした当たり前のことが報道できなくなっているメディアの現状に危機感を覚えます。

それに、これは私一人で真実を突き止めたというわけではなく、多くの地震学者が問題だと訴えてきたことです。私は追加で取材や調査をしたにせよ、その声を拾い上げたに過ぎません。今回の一連の報道で、たくさんの読者の方々から応援のメッセージを頂きました。やっぱり皆さんこうした報道を求めてくださっているんだなと嬉しくなりましたね。報道には自由度が必要で、その意味で東京新聞は、いろいろ議論しながらも自由に書かせてくれる風土があります。

大規模災害に対応するには

――地震発生確率を公表することの問題点については『南海トラフ地震の真実』によって広まりつつあると思いますが、今後取り組みたいテーマはありますか?

今後は防災の観点からの取材も強化したいと考えています。海外では、アメリカの連邦緊急事態管理局(FEMA)、イタリアの市民保護局など、防災を専門とした省庁があります。日本には、各省庁に防災を担う部署がありますが、縦割り行政の弊害があり連携が不十分です。国土交通省が担っている部分が大きいですが、取りまとめているのは内閣府です。しかし内閣府は南海トラフ地震関連の予算が国全体でどれだけあるのか、きちんと把握できていません。部署が細かく分かれているために、政策としても筋が通っていません。果たして、これで南海トラフ地震や首都直下地震に対応できるのか疑問です。防災担当を一元化した「防災省」の必要性を長年訴えている関西大学の河田恵昭特任教授(防災・減災学)も、「今のままでは大規模災害には絶対対応できない」と言っています。

9月の自民党総裁選で石破茂氏が選ばれましたが、9人も立候補した中で、唯一、「防災省」の創設を掲げていたのが石破さんでした。各省庁にまたがる防災関連の部署を一つに束ねるには強力なリーダーシップが必要です。静岡県で40年近く防災担当を務めた静岡大学の岩田孝仁特任教授は「総理クラスのパワーを持った人がトップダウンで改革しないと(防災省の)実現は難しい」と言います。

防災は「命を守るため」という大義名分があるため、政策を批判しにくい側面があります。しかし、国民の命や生活に影響するからこそ、防災行政が一人歩きしないよう、メディアとしてしっかり監視していく必要があると思います。一筋縄ではいかないでしょうが、これからもこの動きを注視しつつ、私たちが知るべき情報を発信していきたいと思います。

科学ジャーナリスト賞、菊池寛賞、新潮ドキュメント賞 トリプル受賞した話題作

1650円(税込)東京新聞(中日新聞東京本社)刊
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小沢慧一

おざわ・けいいち
1985年名古屋市生まれ。大学は文系の学部を卒業。コスモ石油株式会社から転職し、2011年中日新聞社(東京新聞)に入社。名古屋社会部などを経て東京本社(東京新聞)社会部。東京地検特捜部・司法、科学、23区担当など。南海トラフ地震の確率問題に迫った報道で2020年に科学ジャーナリスト賞を受賞。その後、これらの報道に追加取材を加えてまとめた『南海トラフ地震の真実』を刊行。その功績で2023年に菊池寛賞、2024年に新潮ドキュメント賞を受賞。

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