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アフォリズムとは何なのか?「『東京』というゲーム」の炎上を生んだ切り抜き【小川哲×長瀬海 対談・前編】

小川哲さんの箴言集『屁理屈と哲学』に収録されているアフォリズムのうち約50編は、書評家の長瀬海さんが選定しています。
長瀬海さんの初めての著書『僕と「先生」』も同時期に発売され、両者の刊行記念として、渋谷・大盛堂書店で刊行記念イベントを行いました。
今回、そのイベントの一部をご紹介します。
そもそもどうして『屁理屈と哲学』という不思議な本が出版されることになったのか? その裏側が率直に語られます。
(構成:長瀬海)
2026年9月13日、大盛堂書店で刊行記念イベントが行われた。
2026年9月13日、大盛堂書店で刊行記念イベントが行われた。

二人の出会い

小川 『屁理屈と哲学』という変わった本が出ました。これまで僕が書いた文章からの「切り抜き」を集めて編まれた本ですが、その作業をしてくれたのが書評家の長瀬海くんと編集者の稲葉努さんです。僕は「あとがき」を書いたくらいで、ほかには何もしていません。ちょうど同じタイミングで長瀬くんの初めての単著『僕と「先生」』が刊行されたので、二つの本の編集/執筆をめぐる話をしましょう。

長瀬 小川くんとは長い付きあいなんですが、まずは二人の出会いから話しましょうか。確か小川くんと初めて会ったのは、豊﨑由美さんと大森望さんが開催した「文学賞メッタ斬り!」イベントの打ち上げだったよね。あれが2016年だから、ちょうど小川くんが『ユートロニカのこちら側』でデビューしたばかりの時期でした。僕も書評家として書評を書きはじめた頃だったから、お互いまだ駆け出しのときに出会ったことになる。

小川 そうだね。長瀬くんは書評家見習いと名乗ってた気がする。

長瀬 あの時期は兼業でやっていたアイドルライターの仕事のほうが多くて、小川くんに地下アイドルシーンについて雄弁に語ったら若干引いてたのをおぼえてる(笑)。でもそこから親交が深まったわけじゃなくて、お互いが作家と書評家として再会したのはその3年後、Tokyo FMのラジオ番組に出演したときでした。『僕と「先生」』の主役の一人でもあり、僕の学生時代からの「先生」だった批評家の加藤典洋さんが亡くなり、その追悼番組をTokyo FMが制作してくれたんだけど、そのMCが小川くんだったんだよね。

小川 不思議な番組だったよね。「ねじれちまった悲しみ」という番組名だったけど、ふつう文芸批評家の追悼番組なんてラジオ局が作ることはない。でも、長瀬くんの大学時代のゼミの同期であるFさんがTokyo FMで働いてて、彼と同局の名プロデューサーである故・延江浩さんの尽力で制作された。

長瀬 あの番組は放送文化基金賞「ラジオ番組部門」も受賞して、反響も良かったね。

小川 ゲストも豪華で、長瀬くんのほかに、上野千鶴子さんや翻訳家で加藤典洋さんとも親交のあったマイケル・エメリックさんが出演してくれた。あの番組のことで思い出すのは、次のような上野さんとのやり取り。
番組自体は加藤典洋の人となりや思想についてゲストにインタビューしながら進む内容だったんだけど、その少し前に上野さんが東京大学の入学式で述べた祝辞(注:教育や入試における男女間の格差に関して厳しく問いかけた)がバズったんだよね。番組の収録中、僕は上野さんから加藤さんの話を聞き出そうと頑張っていたんだけど、ふとスタッフの方を見たら、延江さんがカンペで「祝辞の話を聞け」って出してるの(笑)。いやいや、加藤さんの話をしてるのにそんなの聞いたら上野さんがどうなるかくらいわかるでしょ……って思いながら、無視してた。でもカンペをぐいぐい出してくるから、仕方なく祝辞について質問したら、上野さんにめっちゃ怒られた(笑)。なんて理不尽な展開なんだと思ったね。

長瀬 小川くんとは何度も一緒に仕事しているけど、あんなにたじたじになっている姿はそのあとも見たことない(笑)。

小川 俺は悪くないでしょと思いながらなんとかやり切りました。

長瀬 でも、あの番組がきっかけの一つとなって、小川くんの冠ラジオ番組「Street Fiction by SATOSHI OGAWA」がはじまったんだよね。その最初のゲストに呼んでもらい、村上春樹の『街と不確かな壁』が発売した二日後に最速レビューをしたのはいい思い出です。

アフォリズムとは何か?

長瀬 そういう経緯で小川くんとの付きあいがはじまり、今回の『屁理屈と哲学』にも関わらせてもらいました。この本の企画が動いたのは、去年の暮れ。『地図と拳』の担当編集者だった集英社の稲葉さんからメールが来て、小川くんのアフォリズム本を作ろうと思っているから、正月明けまでに全著作からアフォリズム的な文章を50個抜き出してくれませんか、と依頼された。できるかな……と思ったのがメールを読んだ最初の感想でした。
 有名なアフォリズム本には、稲葉さんも参考にしたという芥川龍之介の『侏儒の言葉』やラ・ロシュフコー『箴言集』がある。でも、『侏儒の言葉』も『箴言集』も、過去作からの抜き出しじゃないんですよ。もともと短文として書かれた文章を並べているわけだから、過去の小説から切り取るのとは少しスタイルが違う。50個もアフォリズムを見つけることは可能なのかと思った。
 そもそもアフォリズムとは何かというと、単なるかっこいい名言じゃないんですよ。ただパンチの効いているだけでは文学的な強度に欠ける。仮に世界の真理の総数が100だとしたら、1を言うことで10を伝える……のみでなく、そこから残りの90を読者に考えさせる。それくらいの言葉の力がないとアフォリズム足りえない。いくら小川哲でも、そんな文章をはたして残しているのだろうか。引き受けたものの不安だった。でもやってみたら、ばんばん見つかった。さすが小川哲だと思ったね。

小川 きっとその作業は僕にはできないと思う。書いた本人は、長瀬くんが言ったような言葉が持つ余韻の部分ってわからないから。小説家にとって文章って、一つのストーリーを展開するうえで必要なパーツなんですよ。何かを主張するためのものじゃない。物語全体のなかでの役割を持たせているから、切り抜かれてどういう効果を持つのかは想像がつかないわけ。だからこの本は誰かに選んでもらうというかたちじゃないと成立しなかったね、きっと。

長瀬 僕もできるかどうか半信半疑なまま、デビュー作『ユートロニカのこちら側』から読みなおしていった。そのとき割とすぐに見つけたのが「創造的な『仕事』と排便はよく似ている──どちらも日々蓄えたものの搾りカスだ。」というアフォリズム。クリエイティヴな仕事と排便が結びつくなんて、ふつうは思わない。でも、それを結びあわせることで、前者の本質を捉えなおしている。これならイケる!と確信したね。

小川 全然おぼえてないんだよね。こんなの書いたっけなと長瀬くんが集めたのを見て思った。でも、10年前の自分が書きそうな言葉ではある。今だったら絶対に書かないけど。

長瀬 確かに今回、言葉を集めていくなかで、初期の方が見つけやすかったんですよ。それはなんでだと思う?

小川 初期の方がパーツでかっこつけようとしてたからだと思う。さっき文章は物語全体のなかで機能するものと言ったけど、最初の頃、おそらく『地図と拳』の連載を書いているときくらいまでは、小説の良し悪しは一つひとつの文章の強さの合計値で決まると思っていた。でも、5年くらい前から一つひとつの文章は弱くてもいい、むしろ物語全体との関係が大事だと考えるようになった。だから近作からの方が見つけにくかったかもしれない。

長瀬 なるほど、パンチラインをいかに要所要所に仕込むかが初期の小川くんの書き方だった、と。

小川 そう。僕は昔から一文一文の強さの合計値を測るように本を読んできたんだよね。どのページにもいい文章が散りばめられている本こそが優れていると考えてて。でも、ある時期から、むしろどこにでもあるような普通の文章が輝いているのがいい小説なんだと思うようになった。
喩えて言うなら、昔の自分は最強選手ばかり集めたレアル・マドリードのような銀河系軍団のサッカーにしか面白味を感じてなかった。だけど、今は世界的には無名の選手たちの集まりでもめちゃくちゃいい試合をするオシムサッカーが好きになった。だから近年の自分の作品でアフォリズムが見つかったとしたら、それは無意識のうちに書いたものだと思う。

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長瀬海

(ながせ・かい)
1985年、千葉県出身。ライター、書評家。著書に『僕と「先生」』、翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)、共著に『韓国文学ガイドブック』(P-VINE)などがある。

小川哲

(おがわ・さとし)
1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。2017年『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。2022年『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、翌年同作で第168回直木三十五賞を受賞。同年『君のクイズ』で第76回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞。他の著作に『嘘と正典』、『君が手にするはずだった黄金について』、『スメラミシング』などがある。

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