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1998年の田臥勇太と能代工バスケットボール部が達成した3年連続3冠「9冠」の熱狂!【田口元義『9冠無敗』一部試し読み】

 田臥たちのいた能代工が成し遂げた「9冠」は、高校スポーツ界における金字塔でもあった。
 男子バスケットボールでは能代工のほかに3冠を獲得したことのあるチームは4校あるが、複数回は達成できていない。女子では愛知県の名門、桜花学園高等学校がインターハイ25回、国体22回、ウインターカップ24回と、日本一の回数では能代工を上回っているとはいえ3年連続の9冠はなく、2年連続の6冠が最多である。

「3冠」のタイトルが掲げられているメジャースポーツに目を向けてもそうだ。
 バレーボールでは、今の日本代表を支える石川祐希を擁した星城高等学校(愛知県)が、2013年からインターハイ、国体、「春高バレー」と呼ばれる全日本バレーボール高等学校選手権大会を2年連続で全て制した唯一のチームとなっている。
 サッカーではインターハイと全国高校サッカー選手権大会、そして、もうひとつのタイトルが国体から高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグと認識が改められた今でも、3冠は22年の青森山田高等学校を含め4校のみで複数回を達成したチームは出現していない。
 高校スポーツ界で影響力の強い野球も同じだ。阪神甲子園球場で開催される春の選抜高等学校野球大会と夏の全国高等学校野球選手権大会で優勝する「春夏連覇」を達成したのは7校のみで、複数回は大阪桐蔭高等学校の2回が最多。新チーム最初のビッグタイトルとなる11月開催の明治神宮野球大会が、1996年に各地区の優勝校のみで争われるようになってから春夏の甲子園を含め「3冠」と称されるようになったが、97年から98年にかけてエースの松坂大輔を中心とした横浜高等学校が成し遂げただけである。
 つまり、能代工の9冠を超えるだけのチームは、高校では存在しないということになる。
 
 50回も頂点を極めた能代工においても、初めて到達できた最高峰。この頂までチームを導いた監督の加藤三彦の彼らへの賞賛が、9冠の重みを打ち出しているようだった。

「3年連続3冠のチャンスを与えられた田臥たちが背負っていたプレッシャーというのは、経験した人間でないとわからないほど計り知れないものだと思います。そんななかでも結果を成し得られたというのは、彼らが1年生から気概を持ってバスケットに打ち込んだからこそなんです。あえて言わせてもらいますよ。こんなすごいチームはもう現れないです」

 スポーツの歴史書には、プロ、アマチュア問わずあらゆる快挙や出来事が刻まれる。
 その1ページに色濃く綴られた、能代工の9冠。
 
 96年から98年までの3年間、秋田県の北部にあるさほど大きくはない街の高校生たちが巻き起こしたのは、確かな「現象」だった。

 

文中、敬称略。本記事は、『9冠無敗 能代工バスケットボール部 熱狂と憂鬱と』(集英社)を編集部が一部抜粋・再構成したものです。

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田臥勇太とともに9冠を支えた菊地勇樹、若月徹ら能代工メンバーはもちろん、当時の監督である加藤三彦、現能代科技監督の小松元、能代工OBの長谷川暢(現・秋田ノーザンハピネッツ)ら能代工関係者、また、当時監督や選手として能代工と対戦した、安里幸男、渡邉拓馬など総勢30名以上を徹底取材!
最強チームの強さの秘密、常勝ゆえのプレッシャー、無冠に終わった世代の監督と選手の軋轢、時代の波に翻弄されるバスケ部、そして卒業後の選手たち……秋田県北部にある「バスケの街」の高校生が巻き起こした奇跡の理由と、25年後の今に迫る感動のスポーツ・ノンフィクション。

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田口元義

たぐち・げんき●1977年、福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て2003年からフリーライターとして活動する。
著書に「負けてみろ。聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム)などがある。

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