2020.6.21
紫式部vs.樋口一葉~結局どちらが超一流? 時空を超えて天才女流作家の人生を徹底比較してみた
一方、樋口一葉は大変な才女で、最高のストーリーテラーだった。この人は五千円札になっていますが、ご本人は本当にお金に縁がなく、非常に貧乏でした。しかも彼女は、ひどい偏頭痛に苦しみ、最期は肺結核を患って、24歳の若さで亡くなってしまいます。そうした一葉について「運命にふりまわされた、かわいそうな人」というイメージはありませんか? 僕なんかは正直、そう思っていました。しかし彼女は運命に対して決して受け身ではない。前向きに、果敢に闘って生きた人なんです。
もともと樋口家は、山梨の豊かな農家で、彼女のおじいさんが江戸に出て学問を修めた。父親も勉強をして、東京の士族として役人になる。この人が真面目に働いてくれさえすれば、樋口家がどん底貧困生活に陥ることもなかったのですが、お父さんはいろいろなことに手を出しては、ことごとく失敗してしまいます。
そんな父親ですけど、でも人脈だけはあったんですね。その人脈を駆使して一葉を中島歌子という人の私塾に通わせる。彼女はそこでめきめき頭角を現すのですが、まずお兄さんが世を去り、そしてお父さんも借金だけを残して亡くなってしまう。一葉のお母さんは昔風の女性で「女に学問なんか要らない」と言っていた人なんだけど、こうなるともう、しっかり娘にぶら下がってくる。若い彼女は「私がお母さんと妹を養う」と決意し、戸主として家を背負って立つことになります。彼女には、そうした強さがあったんです。
一葉には一時、正式に婚約した相手がいた。しかし樋口家が傾いたことが原因で、その婚約を破棄されてしまう。その男は後に検事、やがては県知事にも出世して、一葉とよりを戻そうとしてきたのですが、「自分を辱めた男なんぞの妻になる気はない」ときっぱり断った。結婚すれば樋口家のビンボー生活も楽になる。「貧困女子」から脱出できるでしょう。でも一葉にとって大切なのはお金じゃないんだ。プライドを持って、貧乏でいる道を自ら選んだ。そこが彼女のすごいところ、偉いところだと僕なんかは思います。
戸主となった一葉は、先輩に文章を書いてお金を稼いでいる女性がいたのを見て、自分も職業小説家になって収入を得ようと考える。そうして彼女が作品を発表しはじめると「これはすごい才能だ」と、森鷗外や馬場孤蝶、島崎藤村などそうそうたる人たちが彼女に注目し、作品を支持することになります。彼らは一葉の家に集まり、当時、彼女の自宅があたかもサロンのようになった。そうして一葉は後に「奇跡の14ヵ月」と呼ばれる短い期間に、次々と名作を世に送り出していくのですが、しかし彼女は結核に倒れてしまう。軍医だった森鷗外が、当時最高の医者に診せたところ、すでに手遅れだったそうです。
彼女の書いた不朽の名作『たけくらべ』の中に、少女と少年の、恋を知らない人にはとても書けないような描写が出てくるんだよね。だから文学畑のほうでは「彼女が実際に恋をしていたのかどうか」という議論があります。私塾時代に師事した半井桃水と親密だったという話もあるし、後に『一葉全集』を一生懸命校訂した斎藤緑雨が最後の思い人だったという人もいる。僕としては、そのへんの詮索は野暮かなと思っています。もうちょっと彼女に時間があればどんな素晴らしい作品を書いたんだろう。でも24年の短い生涯の間に精一杯闘って、僕たちに不朽の名作を残してくれました。