2023.7.27
ゴールデン街というパサージュの生ける商品たち──作家・倉数茂が読む山下素童新刊
今回、作家の倉数茂さんが、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンの言葉を入口に、本作を読み解いてくださいました。
嘘と真実はメビウスの帯のように繋がっている
本と娼婦は、ベッドに引っ張り込むことができる、と批評家のヴァルター・ベンヤミンは書いた。あなたも新宿ゴールデン街に来れば、誰かをベッドに引っ張り込めるかもしれないし、もしできなくても、この本となら楽しい夜を過ごすことができるだろう。
かつて私小説が盛んに書かれた時代があった。私小説とは、自分の人生を、それも普通ならあまり人前に公開したくないような痴情や不倫やどうしても諦めきれないような恋情を赤裸々に描くものだ。いや、恋にまつわるものでなくてもいい。父親との葛藤や母親との感情のもつれ、兄弟間の愛憎など、誰だって思い当たる節があるが、あえて思い出したり、言語化したりするのが難しい出来事を語るものだ。
私小説が盛んに書かれた時代は過ぎ去ってしまった。いま小説誌を開いても、私小説らしき作品は見あたらない。
だが私小説は滅びてないと思う。むしろ活字という枷から解き放たれて、広大なネットに広がっていったのだ。ブログで、SNSで、匿名の人々が家族や身近な人には話しづらいけれど、どうしても言葉にせずにはいられないことを綴っている。
ずっと好きだった人、良かったセックス、悪かったセックス、一瞬触れ合っただけですれ違っていってしまった人。だからネットはそれ自体が巨大な私小説なのだと言える。そこに綴られた言葉の中には、再び活字の世界に帰ってくるものもあるだろう。
山下素童もそうした作家の一人である。山下は、ITプログラマとして働きながら、風俗店での体験をブログに書いていたのだという。それが編集者の目にとまって本になり、やがて山下は勤めを辞めて、新宿ゴールデン街で働き出した。
ゴールデン街も伝説的な街だ。2000坪ほどの土地に集まった約300店舗の飲み屋では、芸術家の卵や物書き志望者や編集者たちが夜っぴて、酒を酌み交わし、喧嘩したり、誰かを口説いたり、へべれけになったりしている、らしい。
山下は新宿には「自分の心と身体をコンテンツ化し、互いのことを進んで消費し合うような種類の人たちが集まっている」という。ゴールデン街では、そんな風に、心と体を消費したい、消費されたい、と願っているものたちが出会う。この本には、ゴールデン街で山下が体験した、優しい愛撫のようであり、傷つけあってるようでもある、四つの出会いが書かれている。
もちろんそれがどこまで事実かはわからない。「本と娼婦は、自分のこれまでの身の上話を、真っ赤な嘘を交えて語るのが大好きだ」(ベンヤミン)。しかしそれは重要なことではないだろう。小説ではつねに嘘と真実はメビウスの帯のように繋がっているのだから。