2024.11.24
気仙沼の自称「田舎のおばちゃん」集団が、なぜ日本を代表する写真家たちと『気仙沼漁師カレンダー』を作れたのか?【唐澤和也『海と生きる』試し読み】
企画・制作は気仙沼で2009年に発足した「気仙沼つばき会」
そんな『気仙沼漁師カレンダー』には、注目すべき事実がふたつある。
ひとつは、この輝かしい受賞歴を誇る『気仙沼漁師カレンダー』をうみだしたのが、大手出版社などのノウハウと予算を兼ね備えたプロフェッショナルではなく、この道のど素人たちだったということ。
ど素人集団の名は「気仙沼つばき会」という。
地元の気仙沼で、旅館や民宿や商店の経営に携わる女将を中心として、2009年に発足した女性だけのグループである。多くが経営者でもある彼女たちにとってのカレンダーは、年末にもらったりプレゼントするものであって、作るものではなかった。
ではなぜ、彼女たちは『気仙沼漁師カレンダー』を制作しようと思ったのか。
きっかけは、2011年の東日本大震災だった。
海に面する、というよりも、海とともに生きてきた漁師町・気仙沼は、甚大な被害を受けた。2024年版の2月で「船とは?」との問いに「宝物だっちゃ」と答えていた、てづいっつぁんこと小野寺哲一は、同カレンダーでこんな言葉を続けている。
「前の船は震災でやられて。漁に出ていた石巻で被災したんだけど、そのあと、何回探しに行ったべな。5回は行ったけど見つからなくてね。自宅も津波で天井が浮いてさ。家は自分で直したよ」
海で生きる漁師たちに「船とは?」と問うことは、彼らの人生について尋ねるのとほとんど同義だ。あの日、漁師たちもまた被災していた。にもかかわらず彼らは、いち早く海との共生をリスタートした。そんな漁師たちの生き様のようなものもまた、『気仙沼漁師カレンダー』には描かれている。
ふたつめの注目すべき事実は、『気仙沼漁師カレンダー』が営利目的ではなかったということ。「気仙沼つばき会」は、このカレンダーの売り上げで一切の収入を得ていない。写真家やスタッフとの打ち合わせ、撮影させてもらいたい漁師のセッティング、撮影当日の現場立ち会い、写真やデザインの確認、漁師や船の名前などを間違えぬよう文字校正、そして営業と販売活動。それらの仕事を、彼女たちは無給、すなわちボランティアとして向き合ってきた。本業が多忙だろうとも、どうにかして、意地でも時間を作って。
なぜそこまでして、彼女たちは、気仙沼の漁師たちを主人公とするカレンダーを作ろうと思い至ったのだろう。
2014年版から2024年版までの10作をもって、『気仙沼漁師カレンダー』は、その歴史に終止符を打った。それは、「気仙沼つばき会」が、はじめてカレンダーを作るぞと決めた当初からの願いだった。10年続ける、世界に届ける、と。
本書は、海の男である漁師と、その人たちを撮影した10人の写真家と、「気仙沼つばき会」という女性たちのドキュメントである。舞台となるのは、東北・宮城県気仙沼市。東京からこの地を目指した10人の写真家は、ある者は震災直後のこの町に7度も通い、ある者はマイナス60度の「魚倉」と呼ばれるマグロの貯蔵庫で震えてシャッターを切りながら、それぞれが感じる漁師と気仙沼を撮影している。ライターである私は、2016年版からの9作で120名を超える漁師と漁業関係者への取材を担当してきた。さらに、2024年2月から、10人の写真家と「気仙沼つばき会」の女性たちと漁師へのインタビューを重ねた。
『気仙沼漁師カレンダー』とは、なんだったのか。
すべては、2012年秋。ふたりの女性の会話から始まっていた。
以下、次回に続く。11月28日配信予定です
10名の写真家のフォトもカラー収録!
藤井保・浅田政志・川島小鳥・竹沢うるま・奥山由之・前康輔・幡野広志・市橋織江・公文健太郎・瀧本幹也――日本を代表する10名の写真家が撮影を担当し、2014年版から2024年版まで全10作を刊行。国内外で多数の賞も受賞した『気仙沼漁師カレンダー』。
そのきっかけは、地元を愛する女性たちの会、「気仙沼つばき会」の「街の宝である漁師さんたちを世界に発信したい!」という強い想いだった。本人たちいわく「田舎の普通のおばちゃん」たちが、いかにして『気仙沼漁師カレンダー』プロジェクトを10年にわたり継続させることができたのか。被写体となった漁師、撮影を担当した10名の写真家、「気仙沼つばき会」ふくむ制作スタッフなど徹底取材。多数の証言でその舞台裏を綴る。元気と感動と地方創生のヒントも学べるノンフィクション。
10名の写真家が選んだカレンダーでの思い入れの深い写真や、単独インタビューも掲載。写真ファンにとっても貴重な一冊でもある。
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