2021.9.11
伝説の風俗誌『俺の旅』編集長・生駒明さんが見た、性労働に癒やしと救いを求める「限界風俗嬢」たち
世の中には常に「限界」を生きている女性がいる
5人目に登場するアヤカという妊婦風俗嬢は、人妻デリヘルで働き、子供を養う。そして、「風俗があってくれて助かった」という。妊婦でも働けて、時間の融通が利き、それなりに稼げる風俗に、感謝している。これは風俗が「生活を再建する手段」としての役割を果たすことを表している。風俗でその人が“ダメ”になるのではなく、男に依存せずにいられたり、経済的に自立するなど、“良く”なることもあるのだ。こういうケースも多い。
やむをえない事情から、生活費が足りず、行き詰まって悩み、塞ぎ込んでいた女性が、風俗で働くことによって、みるみる精神を回復させていく。客に認められ、感謝され、お金を稼げるようになって、自分に自信が生まれ、さらに仕事に身が入り、私生活も充実していく。この「好循環」が回り始めると、女の子たちは、別人のようにキレイになっていく。まるで枯れかけた花が、再び咲くように。見違えるように、美しくなる。風俗嬢たちを美化したいわけではないが、実際にそうした例をいくつも見てきた。
風俗(売春)は「汚らわしいもの」「悪いもの」「やってはいけないもの」という思想は、「女性の性の神聖化」が一因となっている。これは明治維新後に欧米の性規範が持ち込まれてから、強固になった。明治の廃娼運動家たちは、娼婦たちを徹底的に攻撃した。売春業をひときわ蔑視する「下層社会敵視思想」に基づく廃娼運動は、大正時代に入って大阪・飛田遊廓の誕生阻止を巡り、盛り上がった。この壮絶な遊廓設置反対闘争から100年以上たった現在も、日本には飛田新地はもちろん、さまざまな風俗店が存在している。これは、風俗が、いつの時代もなくならない、そして、なくてはならない「社会インフラ」であることを、物語っている。6人目に登場するミホという元女子大生風俗嬢の、以下の言葉には同感である。「(風俗は)必要悪。そういう人(キモい男)たちを締め出していたら、世の中の性犯罪者が増えて、被害に遭う人がいっぱいいる」(編集部注:カッコ内補足は筆者)
1万円札に印刷されている偉人・福沢諭吉も、著書『品行論』の中で、同じことを言っている。また、初代総理大臣・伊藤博文も、公娼制度を容認している。
私には、本書に登場するような“痛々しい”風俗嬢たちの気持ちが、よく分かる。なぜなら、私も「風俗で救われた人間」だからだ。若い頃、「不遇な生い立ち」に打ちのめされていた私を救ってくれたのは、「風俗情報誌の編集記者という仕事」だった。
「自分を救えるのは自分だけ」である。自分の救い方は、自分にしか分からない。本書を読んで、世の中には常に「限界」を生きている女性がいることを噛み締めながら、自分自身の「限界」と深く向き合ってほしい。そして、どんなに今いる場所が辛くても、コツコツと努力して自分の力で運命を切り拓き、「絶望」「孤独」「不安」を乗り越えて、望ましい未来を作っていってほしいと、心の底から願っている。
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過去の傷を薄めるため……。
「してくれる」相手が欲しい……。
そこには、お金だけではない何かを求める思いがある。
ノンフィクションライター・小野一光が聞いた、彼女たちの事情とは。
著者が20年以上にわたる風俗取材で出会った風俗嬢たちのライフヒストリーを通して、現代社会で女性たちが抱えている「生と性」の現実を浮き彫りにするノンフィクション。
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