2022.4.20
野村克也、田中角栄……すぐれたリーダーが持つ言葉の力とは?【畠山理仁×加藤弘士対談】
人が行かないところに行くことは、何かを表現する人間にとってすごく大事なこと
加藤
都知事選の立候補者とか本当に多様な方がいて面白いですよね。
畠山
そうなんですよ。でも、普通の人からすると、「そんなの取るに足らない考えだ」っていうふうに言われることもある。私としては「そうじゃない。これは今までにない発想だ。もっと世の中に知ってほしい」ってワクワクしているんですよね。加藤さんの本を読んですごく思ったんですけど、今作では野村監督のシダックス時代のことを描いています。たぶん、スポーツ新聞からすればアマチュア野球って1面を毎日飾るようなメインの分野ではないですよね?
加藤
ないです、はい。
畠山
でも、そこにも面白いことは絶対にある。取材当時は、野村さんという強烈なキャラクターの方がいらしたわけですが、加藤さんは野村さんを通して社会人野球そのものにも光を当てていました。それを読んで、加藤さん自身も、きっと関東村(調布にあったシダックス練習場の通称)に通っているとき、すごく孤独だったんだろうなと勝手に親近感を覚えました。
加藤
はい、孤独でした。孤独というフレーズを言っていただけてうれしいです。選挙でも、たとえば都知事選でも、テレビに映るのは主要候補と呼ばれる6人くらいだったりするじゃないですか。当然、テレビや新聞など大手メディアも、その候補者には付きっ切りでレポートをする。そういうメジャーな中で取材していたほうが気持ちもラクというか、自分でほじくらなくてもなにかネタは出てくることも、おそらくあると思うんですよね。ただ、他のメディアが集まらないところに一人で行く大変さや孤独はあるんですけど、そうでなきゃ得られないものがあって。
畠山
「俺しか聞いてない」っていうこと、ありますよね。本当はメディアの人がいっぱい来てもいいくらい面白い現場なんだけど、他の記者が来てくれない。
加藤
僕も「みんな来ないかな」と思って取材していたんですけど、あまり来なかった(笑)。でも他の人が来なかったからこそ書けた本でした。畠山さんの本にも候補者から「俺の家に来たのは君だけだよ。上がっていけよ」みたいなやりとりが多いですが、ああいうやりとりを見ていると、自分のことのように本当に情景が浮かびます。
畠山
人が行かないところに行くことは、何かを表現する人間にとってすごく大事なことなんだということを改めて思いました。選挙取材だと初日は各メディアが来るんですけど、2日目以降になると、いわゆる主要といわれている候補者のところでも取材する人が少なくなるんですね。
加藤
それは一緒です。スポーツメディアも(監督就任などの)初日は行くんですね。「初日を迎えた」って記事になるから行くんですけど、2日目以降はそれがなくなるんですよ。それでも、他が行かないからこそ見ておきたいものであり、本当のことがわかるんじゃないかな、と思っていました。みんなが取材に行くときはたぶん、監督もどこか顔をつくっている。当然、「このメディアには翌日の見出しを逆算してこうしゃべる」みたいなことがありますから。だから、そうじゃない日の素が見たいみたいなところがありました。お化粧をしない、すっぴんの野村監督に触れられるのは2日目以降っていうか。選挙取材もそうですよね。
畠山
そうですね。ただ、2日目以降で人が減っても、野村監督の場合はいつ取材に行ってもその記事を読みたい人がいると思うんですよ。自分の場合は全く無名の候補者の取材をすることも多いので「読んでくれる人はいるのかな」という意味での孤独感もあります。それでも現場通いをやめられないのは、その場で自分しか聞いていないことがすごくもったいないと思う話があったり、1対1だからこそ話をしてくれることもあったりするからです。
毎回、「これは行って意味があるのかな」と思いつつも、後々「このときはああ言っていた」ということを書くためには、やっぱり現場に行っていないといけない。想像だけで書くのはまた別の仕事になってしまいますから、孤独でも現場に向かうんです。