よみタイ

1月26日に発売された『たかがジャンプ されどジャンプ 日本フィギュアスケートに金メダルをもたらした武器』。 元スケート連盟フィギュア強化部長や国際審判員として長く舞台裏で活躍してきた城田憲子さんによる、日本フィギュアスケートの技術の歴史書ともいうべき一冊です。 羽生結弦選手の五輪3連覇と、前人未到のクワッド・アクセルの挑戦などが大きな話題となっている北京五輪が、いよいよ2月4日に開幕します。 本書では、伊藤みどり、荒川静香、安藤美姫、浅田真央、高橋大輔、羽生結弦、宇野昌磨、鍵山優真など、日本フィギュアスケートを世界の頂点に導いてきた選手たちの技術、とくに日本人ならでは特性を生かした高度な技術「ジャンプ」という武器について国際審判員の視点から、細かく、また客観的に説明しています。 今回の記事では、本書の「はじめに」と、書籍刊行における著者のメッセージをお届けします。 (構成/「よみタイ」編集部)

元フィギュア強化部長が伝えたい、「最高のジャンプは、最強の武器である」理由

『たかがジャンプ されどジャンプ』の扉ページより。
『たかがジャンプ されどジャンプ』の扉ページより。

最高のジャンプは、最強の武器である

 2022年は、北京冬季オリンピックが開催される年です。
 つまり、14年のソチ五輪、18年の平昌五輪でフィギュアスケート男子個人を連覇した羽生結弦にとって、オリンピック3連覇がかかった年となります。
 ソチ五輪では当時の絶対王者だったパトリック・チャン(カナダ)を破り、平昌五輪ではケガで思うような調整ができないままぶっつけ本番ともいえる状況でも勝負強さを発揮して、羽生は金メダルを獲得してきました。そして北京五輪では、平昌五輪以降、急速に力をつけ、20年代に入ってからの実績では明らかに羽生を上回っているネイサン・チェン(アメリカ)との対決が待っています。

 ネイサンは、羽生がこれまでオリンピックの舞台で戦い、打ち勝ってきた強力なライバルたちと比べても、明らかに別格の選手です。
 フィギュアスケートの全史を通しても最高・最強のスケーターとなる可能性を秘めた、傑出した実力の持ち主。そのライバルに勝ってオリンピック3連覇を達成するには、非常に狭い隙間を縫うように戦略を立て、そこにフォーカスした練習を重ねて技術を高めるほかはありません。

 では、オリンピック3連覇に向けて羽生が打ち出した戦略とはなにか。多くの読者がご存じのように、羽生は現在、クワッド・アクセル(4回転半アクセルジャンプ)を成功させるための練習に取り組んでいます。本書の最後に、もし、それが成功すればネイサンが自己最高記録に並ぶ得点を叩き出したとしても羽生がネイサンに勝つ可能性が高いという試算を提示しています。羽生自身も、史上初のクワッド・アクセルの成功者になるべく習得に向けて練習を続けています。

 問題は、なぜジャンプの成否がフィギュアスケートにおける勝敗の決め手になるか、ということです。これは、本書のテーマのひとつでもあります。

 冬季オリンピックでおこなわれる競技のなかには〝採点競技〟もあります。つまり、物理的な記録で競うだけでなく、採点を担当するジャッジがいて、それぞれの視点で採点をおこないます。逆にいえば、だからこそ、ひとりの人間にジャッジを任せるのではなく、複数のジャッジが採点する体制をとっているのです。たとえば、陸上競技の走り幅跳びも、ノルディック・スキーのジャンプも「どれだけ跳んだか」を競うという点では同じですが、ジャンプでは「飛型点」というジャッジからの採点も成績に反映されるのです。
 その意味で、フィギュアスケートは冬季オリンピックでおこなわれる競技のなかでも採点競技の最たるものといえるでしょう。フィギュアスケートには、ノルディック・ジャンプの飛距離のような物理的採点基準もありません。すべてが採点で決まる競技なのです。
 ただし、その採点基準は、後述するようなルール改正を経て、現在では非常に詳細なレベルまでルールに明記されています。そして、そのルールを精査して見えてくる「勝利への道」は、難易度の高いジャンプを成功させることなのです。ジャンプとスピンでは、総じてジャンプのほうが高い基礎点に設定されています。
 そして、女子選手としてはじめてトリプル・アクセルを成功させて1992年のアルベールビル五輪で銀メダルを獲得した伊藤みどりから、クワッド・アクセルに挑戦する羽生に至るフィギュアスケート界の技術的進化の歴史を語ることが、本書の最大のテーマです。

元国際審判員の視点で

 わたしは日本スケート連盟の一員として88年から92年には日本代表のチームリーダー等を務め、94年からはフィギュア強化部長の役職に就き、98年からは日本代表チーム監督も務めさせていただきました。
 そして、連盟のスタッフとして強化に携わるいっぽうで、審判員としての活動も続けてきました。わたしが現役を引退した当時は、選手として公式の大会に参加した経験があれば自動的に「B級審判員」の資格を得ていたので、その資格に見合う大会で審判を務めるようになったのが、審判員としてのキャリアのスタートです。
 その後、審判員としてのステップアップに必要な研修を受け、試験にも合格し、最高レベルの資格であるISU(国際スケート連盟)の国際レフェリーに認定されました。ISUには「70歳定年制度」があるので現在は引退の身ですが、審判員として数々の国際大会に参加してきました。そういった審判員としての経験のなかでも、特に忘れられないのは、やはり伊藤みどりが出場した大会です。

 シニア初参戦の83年、みどりはオランダで開催されたエニア・チャレンジカップに出場し、2位の成績を収めます。優勝は、この直後に開催された84年のサラエボ五輪で金メダルを獲得するカタリナ・ヴィット(旧東ドイツ)ですから、堂々たる成績といっていいでしょう。しかし、競技終了後に開かれたジャッジ・ミーティングでは激しい議論が交わされることになりました。
 この大会ではわたしもジャッジに加わっていましたが、アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳んだみどりが、2種類しか跳んでいないヴィットに負けたことに納得がいきませんでした。「みどりに金メダルを獲らせる!」という目標を達成するためにも、ジャッジの問題はクリアにしておかねばなりません。

 65年の世界選手権で佐藤信夫さんが4位になったときも「本来ならば表彰台に上がって当然の演技をしたのに……」と先輩たちから聞かされていました。公正なジャッジを求めるため、わたしのなかの闘志に火がつきました。

「フィギュアスケートもスポーツならば、みどりのジャンプのような技術をしっかり評価して採点すべきだ」
「いや、フィギュアスケートは美を競うものだ。その点で、ヴィットがみどりを上回ったのだから、正当な評価だ」

 フィギュアスケートという競技の本質を問う議論が激しく交わされたのです。ヴィットは引退後、女優として映画にも数多く出演したほどの美貌を誇っていました。ゲルマン民族の正当派美人といっていいでしょう。しかし、わたし以外にも、比較的年齢の若いジャッジたちから「美も重要な要素だが、スポーツなのだから、技術も正当に評価すべき」という意見が多く聞かれました。

 結局、このときは、ジャッジの上に立つレフェリーが「双方の考え方に理がある」として事態を収拾しましたが、ここでの議論が、その後のフィギュアスケートのルール・採点基準の改正へとつながっていきました。当時の採点方法ではアーティスティック・インプレッション(芸術点)が現在の基準以上に幅を利かせていて、技術よりも美や芸術性が重視される傾向にあったのです。この後のルールの改正の内容については、追って詳述します。

 そして、このときの議論に端を発したルール改正が、女子選手としてはじめてトリプル・アクセル(3回転半アクセルジャンプ)を成功させたみどりや、現在、クワッド・アクセルに挑戦している羽生のように、ジャンプを武器に世界の舞台で戦う日本人選手の可能性を大きく拡げることになりました。
 採点競技であるフィギュアスケートでは当然、選手の成績を左右する審判員には、技術を厳しく吟味する眼力や見識が求められます。わたしにとって、審判員という立場で国際大会にも関わってこられたことは大きな財産となっています。この国際審判員としての視点から、フィギュアスケートの技術について詳細な分析を加えることも、本書のテーマです。

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新刊紹介

城田憲子

しろた・のりこ●1946年東京都生まれ。フィギュアスケート女子シングルおよびアイスダンスの選手として活躍。全日本選手権アイスダンスで2連覇。引退後、94年から2006年まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務める。
06年トリノオリンピックでは荒川静香の日本初の金メダル獲得を牽引。ISU(国際スケート連盟)レフェリー・ジャッジの資格を持ち、長年にわたりオリンピックや世界選手権などで審判員も務めた。

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