よみタイ

1月26日に発売された『たかがジャンプ されどジャンプ 日本フィギュアスケートに金メダルをもたらした武器』。
元スケート連盟フィギュア強化部長や国際審判員として長く舞台裏で活躍してきた城田憲子さんによる、日本フィギュアスケートの技術の歴史書ともいうべき一冊です。

いよいよ明日、2月4日に北京五輪が開幕します!
今回は五輪直前特集として、本書の第2章を一部改変してお届けします。いまや4大会連続でメダルを獲得している大人気のフィギュアスケート。日本人初のメダリストとなったのは1992年アルベールビル五輪の伊藤みどりさんでした。著者の城田憲子さんが小学2年で出会い、メダル獲得までともに戦った「ジャンプの申し子」のストーリーです。

この記事はこの「前編」と「後編」にわけてお届けします。

(構成/「よみタイ」編集部)

北京五輪開幕記念! フィギュア五輪初メダリスト伊藤みどりのトリプル・アクセルは、鳥肌が立つほどの完成度だった

『たかがジャンプ されどジャンプ』の紙面より。
『たかがジャンプ されどジャンプ』の紙面より。

厳しいノルマを充たした唯一の存在

 女子選手として世界ではじめてトリプル・アクセルを跳んだ伊藤みどりが持っていた技術的ポテンシャルについて、改めて詳しく解説したいと思います。わたしが、伊藤みどりをはじめて目にしたのは「彼女が小学2年のとき」と記憶しています。
 さて、小学2年ということは、わたしが出会ったとき、みどりは現在でいえばノービスBの年齢にも達していなかったことになります。それでも、彼女はみごとなダブル・アクセルを次々と成功させ、わたしに「この子なら、もう1回転プラスして女子初のトリプル・アクセルを跳べる!」と予感させたのです。

 わたしには、若手選手の育成に積極的に関与していく上で、「これならば、世界を狙える」という指標がありました。そのひとつが「12歳までにアクセルを除く5種類すべての3回転ジャンプをマスターすること」でした。フィギュアスケートの技術的要素としてはジャンプ以外にもステップ、スピンも重要となるので、これだけで選手の将来性すべてを見極められるわけではありませんが、当時、世界のトップを目指して育成をデザインしていく上では12歳の時点でのノルマといってよかったでしょう。

6種類のジャンプ

 ここで、全部で6種類あるジャンプの技術について、簡単に説明しておきましょう。

 フィギュアスケートのジャンプはサルコウ、ループ、アクセルの「エッジ・ジャンプ」と、トウループ、フリップ、ルッツの「トウ・ジャンプ」に大別されます。エッジ・ジャンプは滑ってきたエッジに乗ったまま踏み切るもので、トウ・ジャンプは後ろ向きに滑ってきた足の反対側の足のトウを突いて踏み切るジャンプです。

 難易度では低いほうからトウループ→サルコウ→ループ→フリップ→ルッツ→アクセルの順で、3回転の場合、それぞれの基礎点は4.20、4.30、4.90、5.30、5.90、8.00となっています(日本スケート連盟発行『2021フィギュアスケート 審判の手引き』より)。また、これらの内、アクセル以外のジャンプはすべて、後ろ向きに滑っている状態からジャンプします。

 まず、トウループは、後ろ(進行方向)に左足を伸ばしてから、そのトウ(つま先)で氷を突いて跳び上がり、そのまま反時計回りに回転して降りてきます。一連の動作をスムーズにおこなうことが可能で、コンビネーション・ジャンプの2つ目、3つ目に取り入れる選手も多くいます。

 サルコウとループは、どちらも踏み切るときにトウを使わずにスケート靴のブレードを着氷させた状態から跳び上がるもので、踏み切りの瞬間に膝を絞って両足が「ハ」の字になっているのがサルコウ、両足を前後に開いた状態から腰を沈めて踏み切るのがループです。ちなみに、羽生結弦は2016年10月にカナダ・モントリオールで開催されたオータム・クラシックのショートプログラムで史上初となる4回転ループを成功させています。

 フリップとルッツは、トウループと同じように後ろ(進行方向)に伸ばした足のトウを使って踏み切りますが、トウループでは左足を使ったのに対して右足のトウで氷を突く点が異なります。飛び上がってからの回転は、いずれのジャンプも反時計回りですから左足で踏み切るほうが自然な動作になり、その分、右足で踏み切るフリップ、ルッツは難易度が高くなるのです。この2つのジャンプの違いは、踏み切る瞬間に左足がインサイドエッジ(内側に倒れている状態)になっているのがフリップ、逆にアウトサイドエッジ(外側に倒れている状態)になっているのがルッツです。

 そして唯一、前向きの状態から踏み切るのがアクセルです。トウは使わず、右足を振り上げながら、左足のブレードを滑走させた状態から跳び上がります。6種類のジャンプはいずれも、降りて着氷するときには後ろ向きの姿勢ですから、アクセルだけが他のジャンプより半回転、余計に回っていることになります。

カウンター・ターンからのトリプル・アクセル

 みどりは、いま紹介した6種類の3回転ジャンプすべてを、ほぼ完璧に跳ぶことができましたが、なかでも彼女の代名詞にもなったトリプル・アクセルは、わたしの記憶にいまでも鮮明に残っています。特に、カウンター・ターン(ジャンプの直前に身体の向きを180度回転させる技術)からのトリプル・アクセルは、いま映像を見ても鳥肌が立つような迫力です。

 みどりが、はじめてトリプル・アクセルを成功させたのは1988年11月に開催された愛知県フリー選手権。そして、この強力無比な武器を引っ提げて出場した89年の世界選手権で初優勝を飾りますが、このときの映像を見ても、まずカウンター・ターンに入る前のスケーティングが驚くほどスピード豊かなのです。
 後ろ向きに滑ってきて、カウンター・ターンを入れて前を向いた瞬間、慣性の法則によって誰でも身体が前方に放り出されそうになります。この物理的エネルギーを利用することで、より高く、より回転数の多いジャンプが可能となり、実際に多くの選手がアクセルを跳ぶためにカウンター・ターンを利用しています。

 しかし、前を向いた瞬間に身体が放り出されそうになる感覚は、トップレベルの選手たちにとっても恐怖です。スケートは、陸上短距離走のトップ・アスリートでも体感できないほどのスピードのなかに選手を放り込む競技。そのため、多くの選手がカウンター・ターンに入る前のスケーティング速度を抑える傾向にありますが、みどりは恐れることなく、むしろ加速しながら滑ってくるのです。
 その滑走速度、つまり水平方向のエネルギーがジャンプの踏み切りによって垂直方向のエネルギーへと変換されます。みどりのジャンプが圧倒的に高かったことは、現在の選手たちと比べても明白です。しかし、その背景に彼女の傑出した跳躍力があったことも間違いありませんが、技術面では跳躍力を使う準備段階としてスピードを合理的に利用していたのです。

 天性のバネとスピード、このふたつが結びつき、さらに恐怖心よりも「ジャンプを跳びたい」という純粋な欲望が勝っていたことで、みどりは「ジャンプの申し子」と呼ばれるようになったのです。

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城田憲子

しろた・のりこ●1946年東京都生まれ。フィギュアスケート女子シングルおよびアイスダンスの選手として活躍。全日本選手権アイスダンスで2連覇。引退後、94年から2006年まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務める。
06年トリノオリンピックでは荒川静香の日本初の金メダル獲得を牽引。ISU(国際スケート連盟)レフェリー・ジャッジの資格を持ち、長年にわたりオリンピックや世界選手権などで審判員も務めた。

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