2022.9.4
「だめんず好き」で切り捨てられてきた発達障害女性たちの心の声を聞け! 鈴木大介さんが読む『ダメ恋やめられる!? 発達障害女子の愛と性』
よみタイでの人気連載が電子オリジナル書籍として刊行されるにあたり、連続書評特集をお届けします。
第3弾は、ルポライターの鈴木大介さん。
自身も高次脳機能障害をもち、発達障害の妻との「当事者同士」のパートナーシップを考察する著書もある鈴木さんは、本書をどのように読まれたのでしょうか。
姫野桂以外の誰にも書けなかった、そして「書いてほしくなかった」。ひとこと、そう言い切れる作品だ。
姫野はとてもスリリングな書き手だ。多くの書き手が、取材対象の言葉をそのまま切り取って活字にすることで、何か批判の対象になるのでは、誤解を生むのではといった可能性を危惧して筆色を調整するのに対し、姫野の取材記事は極めて脚色が希薄で、聞いたままの原色の文字を書きとる。そのスタイルは、姫野自身が発達特性を持つが故の当事者性でもあるが、今作ではそれが見事に結実した。
ヒアリング対象は発達障害女子、テーマは性愛。発達系女子がなぜパートナーシップ形成に失敗するのか、形成途上で被害的だったり、搾取される側の立場に追いやられやすいのかといった観点は、これまで「誤った性愛に辿り着かないように」といったケアや教育の課題として語られることはあっても、当事者自身へのヒアリングとしてそこまで踏み込んだものはなかったと思う。最大の理由は、それが非常に「見世物コンテンツ化」しやすいテーマだからだろう。
確かに、当事者女性の恋愛は、クズメンの渡り歩きに、不倫愛、複数恋愛、性依存等々、ビッチやヤリマンといった「ネタ扱い」で片づけられがちなエピソードも多い、というか、むしろオンパレード感すらある。
常識から逸脱した性愛に生きるから、DVやハラスメントのターゲットになるのだと、自己責任論を肯定するソースにもされかねないだろう。
けれど、同じ当事者として恋愛に悩みもがき続けてきた姫野だからこそ原色のままで切り取ることのできた、その当事者女性たちの生の言葉。そこには、悲鳴の色が滲んでいた。
だってわたしたちは、正しい恋愛が何なのかわからない。
知識として知ったとしても、どうしてそれが正しいのかわからない。
わたしたちは、「量産型女子」になりたくてもなれない。
発達特性を持つ者が社会で抱える苦しさは、まさに「定型発達者基準の正しいこと」が何かわからず、「定型発達者が当たり前のように言う正しさ」がどうして正しいのかわからないことにある。
その「正しいがわからない」に心底共感し、わからないが故の躓きや他者(定型者)の無理解に日々翻弄されてきた姫野が「共に足掻く者」の視点で聞き取った。だからこそ、極めてエキセントリックに見える数々の事例を、見世物や露悪趣味とは全く違う次元の、当事者の心の底からの声として描くことができた。
そうか、こんなにもわからないのか。こんなにもわからないことに悩み戸惑い続けているのか……。読後感は、マイノリティとして生きることを強いられてきたLGBTQの当事者の言葉を聞いた後のものに、よく似ている。