2025.4.1
カップ麺中毒の男、自炊はじめました。今日が私たちの「卵焼き記念日」です。【爪切男『午前三時の化粧水』一部試し読み】
私はこの女の〝生命力〞に惚れたのかもしれない。
しかし、カップ麺でこのザマでは先が思いやられる。これからの共同生活をよりよいものにするためにも「食」に関する共通認識を持つことが重要だ。そこで私たちは、お互いの食の嗜好を紙にザラっと書き出すことに。好きなものと苦手なものを噓偽りなくすべて曝け出す。
すると、恋人にいたっては好き嫌いが全くないときたもんだ。唯一苦手なものはブルーベリーぐらいだという。「ブルーベリーが苦手」か。なんだか逆にオシャレな感じがして腹立つな。片や私は、とにかく苦手な食べ物が多い。味がダメというよりも、その食べ物にまつわる嫌な思い出が食欲をそいでしまうのである。
たとえばソラマメ。うちの家系は代々腎臓を悪くする血筋であり、「あんたが死ぬときは腎臓の病気で死ぬやろな」と子供のころからずっと言われ続けていた。そのせいで腎臓の形によ世話ばかりしていた。挙句には今際の際までシイタケのことをつぶやいてあの世に行ったらしい。あんなに格好良くて優しかった祖父を狂わせたシイタケが憎い。だから私はシイタケを食べない。
そして生魚。昔、貧しい我が家のことを何かにつけてバカにしてくる金持ちの親戚がいた。法事などの集まりで、そいつらがネチャネチャと下品な音を立てながら美味しそうに食べていた刺身。「貧乏人なんやから刺身はありがたく食えよ」というあいつらの言葉を私は一生忘れない。だから私は生魚が大嫌いだ。
「わかったわかった、料理はアタシに任せて。そんなしょうもない思い出に負けてたまるか。いろいろ工夫して苦手なもの全部食べさせてやるからな」
私のあまりの偏食ぶりに辟易するのではないかとばかり思っていたら、心配をよそに、恋人はメラメラと闘志をたぎらせるのであった。体力は全くないがとにかくガッツがある女。私はこの女の〝生命力〞に惚れたのかもしれない。
話し合いの末に決まったルールは以下の三つ。
1:夕食は必ず一緒に食べること
2:料理は恋人が、後片付けは私が担当すること
3:出された料理はなるべく残さず食べること
共働きのわが家、仕事で疲れているはずなのに、帰宅してすぐに恋人は料理の仕込みを始る。私の苦手な食材を原型がわからないぐらいの大きさに細かく切り刻んで料理に加えるという手間を苦にもしない。栄養のこともしっかり考え、野菜、肉、魚、フルーツをバランス良くメニューに加えている。私好みのちょっと甘めの味付けもありがたい。そして何より、彼女の料理はどれもほっぺたが落ちそうになるぐらい美味しいのだ。
「美味しいって言って食べてくれるだけで嬉しいよ」と彼女は喜ぶが、もっと他に何かできることはないものか。そこで私は、大学生時代によく作っていた〝だし巻き卵〞を久方ぶりに作ってみようと思い立つ。
白だし、味の素、砂糖を加えてよくかき混ぜた卵を、卵焼き専用の四角いフライパンの上に落としていく。げがつかないうちに形を整え、フライ返しで慎重に慎重にひっくり返す。うん、ブランクがある割にはなかなかの出来栄えだ。
味見をしようとしたところを「も〜らい!」と恋人が横からつまみ食い。 「美味しい!美味しいじゃん!」と手放しの賛辞を述べた後、両手を鳥のように羽ばたかせながら、両膝を曲げて丁寧にお辞儀をしてくれる。バレエダンサーがよくやる〝レヴェランス〞と呼ばれるお辞儀の方法である。幼いころにバレエを習っていた彼女なりの最大級の賛辞を伝えてくれているのだろう。その瞬間、私の中で何かが爆発した。
自分の作った料理を美味しいだなんて言ってもらえたのはおそらく生まれて初めてじゃないか。経験したことのない喜びと感謝、これからの二人の新生活への期待と不安、あらゆる感情がごちゃ混ぜになって、私はボロボロと大粒の涙を流してしまう。
「えぇ……やめてよ……卵焼きが美味しいって言われたぐらいでいいおっさんが泣かないでよ」
なんとなくわかった。料理って体に良いものを食べることが大事なんじゃなくて、食べた人の心を健康にするものなんだな。
私はどうしても期待せずにはいられない。この先どんどん上達していくであろう私の料理の腕前と、これからの二人の愛溢れる食卓に。
小さな幸せを嚙みしめながら、ゆっくりゆっくり丁寧に生きていこう。何度も何度も卵焼き
をひっくり返していこう。愛する人のためにとびきり美味い卵焼きが作れた今日は、私たちに
とって忘れられない「卵焼き記念日」だ。
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