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ノンフィクションは人生の色彩を描き出すもの――作家・石井光太さんの座右の書『忘れられた日本人』

ノンフィクションは人生の色彩を描き出すもの――作家・石井光太さんの座右の書『忘れられた日本人』

悲しみや悪だけではない人生の“多彩さ”

 僕が本書から得たのは、対象となる個の目線に立つだけで、人生がこんなにも豊かになるのかという驚きだった。普段はつい自分のフィルターを通して白黒つけがちだが、個の目線に立つと別物のように色彩豊かになる。
 それに気づいた時、僕が『もの喰う人びと』に惹かれたわけもわかった。あの本が描いているのは、戦争や貧困の悲しみだけではない。そこに生きる人々の人生の色彩なのだ。
 僕が世界をどういうふうに見て、何を描きたいかをはっきりと自覚したのは、それからだった。大学卒業を迎えた僕は、先述のスズキナオ君らと祝賀会で一杯やった後、海外へ飛び出した。そして主に途上国を巡り、物乞いをする障害者たちと一緒に過ごし、その人生の色彩をデビュー作『物乞う仏陀』で描き、物書きになった。
 とはいえ、人生は長く、これでメデタシというわけにはいかない。
 次々と本を出していると、新聞のインタビューやらテレビの報道番組やらに引っ張り出され、「世界の問題にご意見を」とか「課題解決の道筋を」などと言われるようになる。頭が良いわけでもないのに、ペラペラとしゃべっているうちに、高みから俯瞰して社会全体を語ることに慣れてしまう。そうなると、人生の豊かな色彩がなかなか見えづらくなってしまう。
 僕が仕事場の机の横に『忘れられた日本人』や『もの喰う人びと』を置き、折に触れて読み返すのはそのためだ。自分は何に心を動かされて物書きになったのか、世の中を見る上で大切にするべきなのは何なのか。今でもそうやって立ち位置を確認している。
 おかげさまで、初めての海外取材から二十年の歳月が経ったが、僕は一度も病んだことがない。それどころか、取材で人に会えば会うほど、人生とはこんなにもたくさんのものに彩られているのかと教えられる。だからこそ、人生の中から悲しみや悪だけを抽出して世を嘆いたり、批判したりするより、すべてがごちゃまぜになった多彩さを見つめたいと思う。それが本当の意味で人生や世の中を見るということだと信じるからだ。
 こんなことを書いていると、次のように言われるかもしれない。
「普通に生きてたら、そんなふうに人に会って話を聞けることなんてないですよ」
 そう。だからこそ、世の中に本があるのだ。
 金儲けの秘訣が書かれたビジネス書や、生き方を決めてくれる占い本もいいが、ノンフィクションを通して人間が持つ豊かな色彩に触れてみれば、灰色だと思っていた世の中がいろんな色に輝いていることに気づくだろう。

「しんどい時によみタイ」特集連載一覧
●第1回 「心にお水をあげている感覚に」川村エミコさんを救った茶道エッセイ
●第2回 人気エッセイストのスズキナオさんが弱った時に読む2冊「人間は筒のようなものだという気持ちを取り戻させてくれる本」
●第3回 ノンフィクション作家・菅野久美子さんが選ぶ「90年代、壊れそうな少女だった私に寄り添ってくれた本」
●第4回 「『ハチミツとクローバー』は残酷だから安心できる」。読書猿さんが救われた傑作漫画3選
●第5回 新しい味の伝道師・稲田俊輔さんが選ぶ、食エッセイの不朽の名作、池波正太郎『むかしの味』
●第6回 直木賞作家・朝井リョウさんが、しんどさに襲われた時『ちいかわ』と『不寛容論』を読む理由
●第7回 ベストセラー作家・橘玲さんが『となりの億万長者』を読んで悟った「真の自由」を手に入れる方法
●第8回 発明家・藤原麻里菜さんが『言わなければよかったのに日記』を読んで出会った「後悔から自由になる」言葉
●第9回 学びのデザイナー・荒木博行さんが『センス・オブ・ワンダー』から受け取った〈感覚の回路をひらく〉意義
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石井光太

いしい・こうた●1977年東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。
著書に『「鬼畜」の家——わが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』『ヤクザ・チルドレン』などがある。

Twitter @kotaism

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