2020.10.14
不倫どころか二股三股も当たり前!? 中世の恋は大胆でおおらかでした〜額田王vs.和泉式部
芸能人や有名人たちの不倫騒動が世間を賑わせていますが、案外自分たちの身の回りでも起きていることなのかもしれません。
さて、時は遡り、今ほど「不倫? とんでもない!」ではなかったのが日本の「中世」という時代。
そんな男女の色恋沙汰が今よりずっとおおらかだった時代においても、あまりに自由奔放な恋愛スキャンダルで歴史に名を残した二人の女性がいました。
今回は、書籍『東大教授も惚れる! 日本史 アッパレな女たち』の中から、「二股歌人 額田王vs.和泉式部」を抜粋してご紹介します。
本書は、東大・史料編纂所の本郷和人教授が、日本史のさまざまな時代を彩ってきた女性たちの活躍をバトル形式で楽しく解説する1冊です。
あえて異なる時代を生きた歴史上の人物同士を“対決”させることで、それぞれの個性や魅力が際立ってくるのが読みどころ。
本郷教授が取り上げた女性たちを、人気漫画家まんきつさんがイラストでユーモアたっぷりに描いているのも必見です!
天智と天武、ふたりの兄弟天皇に愛された額田王と、皇子たちに立て続けに求愛された和泉式部。恋多き女流歌人対決、本郷教授の判定は果たしていかに……?
(構成/よみタイ編集部)
私の彼は王子さま。二人のプリンスに愛されました
まずおひとりは、額田王。この人は、大海人皇子と交わした歌で知られています。大海人皇子とは、後に天武天皇になる人ですね。額田王は、もともとこの大海人皇子と結ばれていて、十市皇女という女の子をもうけている。だけどその後、彼女は天智天皇の愛を受けるんです。天智天皇とは、もとはあの中大兄皇子。大海人皇子のお兄さんです。この、ちょっとドキドキしてしまう関係については、『万葉集』に有名な歌が残っています。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
「私は今は天智天皇の奥さんの一人になったわけだけど、いまだにあなたのことを思っています」と、額田王が大海人皇子に歌えば、大海人皇子も
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
「人妻になっても私はあなたのことを愛していますよ」と返す。しかもそれを天智天皇の目の前でやるわけです。今の感覚だと、なにか……妖しく昂ぶる気配がありますけど、もともと古の日本の偉い人たちの恋愛はすごく、おおらかだった。だから、あんまりギスギスしていなかったんじゃないかな。
みんなに愛される絶世の美人。ただ実は……彼女が美人だったかどうか、まったく定かではないんです。「おおきみ」というだけに、皇族に列する人なんだろうといわれているのですが、正直なところ、どれほどの方なのかもよくわからない。また、生まれた場所も滋賀県説や、奈良県説などもあって、よくわからない。つまり額田王という人は、歴史学的には、ディテールをほとんど押さえることができない人なんです。
事実としては、天智天皇と額田王の間には子どもができなかった。だから天智天皇が亡くなった後、別の女性との息子、大友皇子が後継者となる。この大友皇子と、額田王の娘・十市皇女は兄と妹にあたるわけですが、結婚しています。しかしそこで壬申の乱が起きて、大友皇子と大海人皇子が交戦する。一説によるとこのとき、額田王のお父さんが参加して戦死しているそうです。この戦いの結果、大海人皇子が勝利して即位、天武天皇となる。日本の国を引っ張るリーダーとなったわけです。
しかし、じゃあもし本当に額田王をずっと愛していたのならば、そこでまた愛が復活する展開になるはずだろうと思うのですが、そんな話は出てこない。どうなんでしょうか。すでにもう歳をとってしまっていたから、もはや天武天皇からのお呼びがなかったとは、あんまり考えたくないですね。
額田王が、絶世の美人だったという伝説がつくられたのは実は江戸時代。しかも、後半になってからです。本当のところ、彼女がどんな女性だったのか、ほとんど幻のようなところがあります。その意味では、あくまで古代へのロマンの中で語られる人でした。
しかし現代でもロマンは人の心をとらえるようで、うかつに「額田王って本当は、どんな人かよくわかんないんですよ」といってしまうと顰蹙を買う。そのくらい、ロマンをかき立てる存在であるみたいです。