2020.10.6
船の事故物件 『海の怪』刊行記念 鈴木光司の特別書き下ろし
実はこの話には後日譚がある。
録音された竹村さんの語りを幾度となく再生し、足りない部分を想像力で補いつつストーリーを組み立て、さて執筆に取りかかろうかという矢先、再度、義男から電話が入った。
「ちょっと、気になることがあって」
彼は、気まずそうな声でそう切り出した。
「どうした?」
「録音データ、おれも何度か、聞き返してみたんですよ。すると、途中で変なノイズが入るじゃないですか」
ところどころ竹村さんの声が周囲の雑音でかき消されていたのは承知の上である。
「知ってるよ。風や波の音だろう」
「違います」
即座に否定されたので、ぼくは受話器を片手にパソコンを立ち上げ、その場で録音データを再生することにした。
これまで聞いたときは、竹村さんが喋る内容にばかり意識を集中させたが、今度は声の背景にあるノイズがターゲットとなる。
すると義男が指摘する通り、風や波、人の談笑とは異なる機械音が、ところどころ挟まれているのがわかった。
「何の音だ、これ」
「オートビルジが作動した音ですよ」
言われて、耳を傾けると、確かに「ゴゴゴゴゴ」という音は、ビルジポンプの音以外に考えられなくなってくる。
ぼくと義男は、ふたり同時に黙り込んでしまった。
なぜなら、竹村さんをヨットのデッキに招いて話を聞いた夜に限り、オートビルジが作動するはずがないからだ。
あの日、ヨットを横付けした桟橋に陸電の設備はなく、船内のAC電源は落ちていた。
バッテリーが上がるのを防ぐため、電気を食う冷蔵庫やオートビルジのスイッチは切っておくのが普通である。オートビルジのスイッチをオンにするのは、エンジン稼働中と陸電に繋がっているときに限られる。
20年来の船の同志である義男とは常に意思の疎通がはかられ、電気系統の扱い方は一致している。陸電に繋がっていなければ、両者とも、オートビルジのスイッチをオフにする。ぼくと義男以外の人間がヨットの電気パネルを勝手に操作する可能性はない。
ではなぜポンプは動いたのか。
出口を求めて彷徨う魂の、今わの際の訴えに、ヨットがシンクロナイズしてしまったのだろうか。
繰り返し耳を傾けるうち、「ゴゴゴゴゴ」という鼓動が、「おれは、ここに、いる」という息遣いのように聞こえてきた。
さらなる恐怖を味わいたい方へ……
鈴木光司さんと怪談家・稲川淳二さんによる対談と怪談が収録されたスペシャル動画です。
怪談界の巨匠二人が語る怪異譚、心してお聞きください……。
貞子よりも恐ろしい…海をめぐる18話
ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司さんが、実話をもとに語る海への畏怖と恐怖に彩られた18のエピソード。
世界を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力とそこに秘められた無限の恐怖とは……。
書籍『海の怪』の詳細はこちらから。