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ビッグシルエットはなぜカッコいいのか。 その原点は『風と共に去りぬ』にあった?〜「ズーティーズ」の歴史

ビッグシルエットはなぜカッコいいのか。 その原点は『風と共に去りぬ』にあった?〜「ズーティーズ」の歴史

人気ミュージシャンが流行の火付け役に

 ビッグバンドジャズとブルースをかけ合わせたジャンプブルースの代表的ミュージシャンであり、R&Bの先駆けとなったサックス奏者ルイ・ジョーダンや、モダンジャズの原型スタイルであるビバップを築いたトランペット奏者のディジー・ガレスピーなど、当時の人気ミュージシャンが好んで着たこともあり、ズートスーツは若者の間で、瞬く間に流行していく。
 ディジー・ガレスピーが当時在籍していたビッグバンドのリーダーは、エネルギッシュなスキャット唱法で知られるジャズシンガー、キャブ・キャロウェイである。彼もまた典型的なズーティーズファッションで身を固めていた。1930年代初頭から1940年代後半にかけて、彼のビッグバンドは、黒人のバンドとしてはアメリカ最大級の人気を博していた。
 キャブ・キャロウェイは1939年、『キャブ・キャロウェイのヘップスターズ・ディクショナリー』、1944年にはその新版である『新・キャブ・キャロウェイのヘップスターズ・ディクショナリー/ジャイブ語辞典』という本を出版する。キャブ自身が歌の中で使うような黒人特有の英語である〝ジャイブ〞を解説した書である。
〝感覚が鋭敏な人〞を指す造語ヘップスター(HEPSTER)は、変形してヒップスター(HIPSTER)となり、後の時代のストリートカルチャーでもしばしば使われる言葉となる。

ズートスーツを着込む キャブ・キャロウェイ
ズートスーツを着込む キャブ・キャロウェイ

ズートスーツ狩りと暴動

 シンプルで実用的なスーツスタイルが浸透し、男性の華美な装いは好ましくないものと思われていた当時の社会で、実用性とはほど遠いド派手なズートスーツで身を包む集団は、まさに社会の異端分子という趣。第二次世界大戦のさなかであり、日米開戦の足音もはっきりと聞こえてきたこの時代、ズーティーズは世間から白い目で見られる存在であった。
 1941年頃、ズーティーズの流行は頂点を迎える。しかし翌1942年、米国政府の戦時生産局は、スーツに使う羊毛の量を26%削減するという規制を発令。この法律により、普通のスーツよりもずっと多くの布地を使ってつくられるズートスーツは、着ているだけで違法とみなされることになった。しかし、反抗心に燃える若者は、こうした規制を無視し、闇の仕立屋でつくったズートスーツをこれ見よがしに着つづけた。白人の海兵隊員の中には、ズーティーズを見かけると、寄ってたかってその衣服を引っぺがす、ズートスーツ狩りをおこなう者がいたが、ズーティーズは身命を賭してこのカルチャーを守り通した。
 1943年6月には、ロサンゼルスで〝ズートスーツライオット〞と呼ばれる暴動が起きる。
 ロサンゼルス海軍基地所属の海兵隊員が、在米二世メキシコ人ズーティーを攻撃したことがきっかけではじまった暴動は一週間も続いた。たとえ非愛国的だと非難されようとも、もともと虐げられる立場にあった彼らにとっては関係ないことだったので、一歩も引かなかったのだ。
 だが、戦火が激しさを増すにつれ、アメリカでのズーティーズの流行は否応なく収束していく。そして戦後になると、ズートスーツ集団が海を越えたイギリスで出現する。スピッヴスである。

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佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

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