よみタイ

制作関係者が明かす! 手塚治虫文化賞受賞作 『妻が口をきいてくれません』のここがスゴい&制作秘話

先日、第25回手塚治虫文化賞・短編賞を受賞した、野原広子さんの『妻が口をきいてくれません』。

夫と口をきかない妻、妻が口をきかなくなった理由がわからず戸惑う夫、
すれ違う夫婦の姿がリアルに描かれ、読む人の立場や経験によって感想はさまざま。
賛否両論渦巻く、超話題作となっています。

今回は、そんな注目作の編集、宣伝、販売を担当したスタッフに、本作の読みどころや、関係者だからこそ知っている作者・野原さんの素顔などを明かしてもらいました。

(構成/よみタイ編集部)

ほのぼのとした絵の奥の「凄み」(担当編集)

夫婦ともに意地悪でもなく、もちろん悪人でもない。
互いに好きだから結婚して幸せな日々もあったはず……なのに、些細な(妻にとってはそうでもないけれど)すれ違いが重なってどんどん溝が深まっていく……。妻が夫に対して置く距離(諦観)は広がるばかり。

面白いのは、妻がこんなにも葛藤しているのに、夫のほうは途中までほとんど無自覚であるという点です。
この安心感と油断は夫自身の性格にもよるかもしれませんが、同じ空間にいても見えている風景の違いが浮き彫りになっていくところが作品の妙味のひとつと言えるでしょう。

そして後半で明かされる妻の心情。
もともとおとなしく穏やかな性格であるがゆえに、溜め込んだ屈託の重さがわかる描写の迫力といったら!

印象深いシーン満載の漫画でひとつに絞りきれないながら、妻パートのキッチンでの包丁を持つ姿が特に好きです。
料理中、手を動かしつつあれやこれや頭の中で考えるのは主婦にとってよくあることですが、家族のためにおいしいご飯を淡々と作りつつ、包丁持つ手にたぎる思いをぶつける……。
火と刃物を扱うキッチンであるがゆえの怖さです。

包丁を握る妻の心の内は……。SNSなどでも「わかる」「リアル」と反響が大きかった場面。
包丁を握る妻の心の内は……。SNSなどでも「わかる」「リアル」と反響が大きかった場面。

作者の野原先生は、穏やかでふんわりと優しい雰囲気の持ち主で、メールもお電話もお手紙(イラスト付きで嬉しい……家宝!)も、お気遣いたっぷり。
その柔らかな対応力は、常に学ばせていただきたいと思う存在です。

連載開始前には、綿密な章立てと作品内時系列表もくださいましたが、話が進むにつれ、「こう来ましたか!」という変更や想定外のセリフやコマも多く、嬉しい驚きをたくさんいただきました。
「描いているうちに(主人公の妻の)美咲の気持ちを理解することができました」と先生ご自身が仰っているように、連載中に生じた軌道修正や気づかれたこともあったそうで、まさに「作品は生き物」であることを担当編集としても実感した次第です。

さらに、台詞間の空きなどの指定、コマの空白の空け方も絶妙で、読者に登場人物たちの内面を想像させてくださる余韻の作り方は鳥肌ものでした。
眉毛の動き、肩の落とし方など、一本の線のみで心情を炙り出す表現力は今さら申し上げるまでもないのですが、先生ご自身が豊饒ほうじょうな想像力をお持ちだからこそ、繊細なところまで描き切れるのだと思います。

一見、ほのぼのとした可愛らしい絵で癒されますが、その奥の「凄み」の深度は計り知れません。

(編集/今野加寿子)

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

週間ランキング 今読まれているホットな記事

  1. 真夜中のパリから、夜明けの東京へ

    自分はこの先、ずっと悲しい物語の主人公でいなければならないのだろうか【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡8】

  2. 真夜中のパリから、夜明けの東京へ

    動物パートナーを喪って「親が死ぬよりも哀しかった」【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡9】

  3. かとうゆうか「育ちの良い人だけが知らないこと」

    甘い言葉で誘い搾取? 海外出稼ぎのリアル【育ちの良い人だけが知らないこと 第4回】

  4. 新刊 : 石沢麻依
    ティツィアーノ、フェルメール、ボッティチェリ、カラヴァッジョ、ゴヤ、ボス、ベラスケスetc. 美術研究を重ねる芥川賞作家による西洋絵画案内。

    饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点

  5. 真夜中のパリから、夜明けの東京へ

    出会って20年……今、それぞれの喪失を経て言葉を交わすということ 【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡1】

  6. 中村憲剛対談「思考のパス交換」

    【中村憲剛×一力遼対談 前編】囲碁とサッカー、王者の思考の共通点は、俯瞰の目と“点より線”で長く見ていく重要さ

  7. 真夜中のパリから、夜明けの東京へ

    死を「準備」して受け入れてしまったことへの違和感と後悔【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡2】

  8. 伊藤弘了「感想迷子のための映画入門」

    岩井俊二『Love Letter』のヒロインが一人二役である理由 ――あるいは「そっくり」であることの甘美な残酷さ

  9. 中村憲剛対談「思考のパス交換」

    【中村憲剛×一力遼対談 後編】27歳の囲碁世界王者が目指す未来。「まだ韓国、中国とは差があるので、そこを詰めていきたい」

  10. 真夜中のパリから、夜明けの東京へ

    緩和ケア病棟で妻と過ごした、別れの日までの「いつもの日常」【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡4】

  1. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    依存しては捨てられ……男に絶望した私がレズ風俗で見つけた「生きる理由」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第5話】

  2. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    普段は厳しい女性上司を演じているけど……SM専門女性用風俗で見つけた「本当の私」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第4話】

  3. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    女性用風俗に通う女性たちの心のうちを描くコミック新連載【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話前編】

  4. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    同世代の男にはもう懲りたと思っていたけど、新人セラピストの彼に出会って…【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話後編】

  5. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    容姿も仕事も平均以下……劣等感に苦しむ私が女風セラピストの〝沼〟にはまるまで【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第2話前編】

  6. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    レスと離婚……私はまだ〝女〟なの? それを確かめたくて女風へ【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第3話】

  7. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    30代独身女性が女風を利用して気づいた「一番大切にするべきなのは…」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第2話後編】

  8. 上田惣子「体重減・筋肉増のおばあさんになる「あすけん」式 人生最後のダイエット」

    不健康なまま長生きしないために 第10回 ダイエット開始から変化した心と体

  9. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻がそばにいることが、あたりまえだと思ってた 第2話 涙が出ない

  10. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻が逝った。オレ、もう笑えないかもしれない 第1話 さよなら、タマちゃん