2021.4.25
ノンフィクション作家・菅野久美子さんが選ぶ「90年代、壊れそうな少女だった私に寄り添ってくれた本」
腫れ物にさわるように関わってくる大人たち
次々と起こる少年犯罪に慌てふためく世間に呼応するかのように、リアルの学校現場では、より一層私たちへの締めつけが厳しくなっていた。現に当時私の通っていた高校では、毎週持ち物検査が行われるようになる。朝礼の後一人ずつ空港の検査のように立たされ、制服のポケットの中からカバンの中まで、真剣な面持ちの教員が抜き打ちで容赦なくガサガサと漁っていく。
それは高校生である私にとって、どこかこっけいで痛々しい光景だった。私たちの「得体のしれない何か」を恐れている大人たち。それは当然ながら、一時的にナイフを没収すれば解決する類のものではないはずだ。
私たちの内面とは決して正面から向き合おうとしない大人たちの空虚さ。出口のないマグマのような焦燥感、無力感、性的衝動がぐちゃぐちゃになって、多感な時期の私たちを襲う。そのセピア色の少女時代の記憶の断片は、約四半世紀を経てやや色褪せながらも、今も私の脳裏に焼きついている。
『14 fourteen』は、常に心が不安定で、ザワザワしていた当時の私の心に響いた。
あぁ、そうか。アミーゴは少女だけでなく、私たちの世代の心が透き通るようにわかるんだ。
少女時代の私はそう感じ、ページをめくるたびに魂が浄化された気がした。
午後の木漏れ日が差し込む教室――。昼下がりのけだるい時間。英語教師は、黒板に向かって授業をしている。友人の一人が教科書に挟ませて、こっそりと私の貸した『14 fourteen』を開いている。教師が、呆れ顔でつぶやく。
「お前たちは本を読むのが好きだな。本を読むのはいいことだ。世界が広がるからな」
私は、ふっと笑いたくなる衝動をこらえる。私たちが読んでいる本を誰が書いたか知っているの?
あなたたちが放棄した、この世界と向き合うことができる大人だよ――。
あの瞬間、私たちは確かに活字の向こうのアミーゴと繋がっていた。