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球団最後の優勝を経験した唯一の現役選手、岩隈久志が近鉄時代に学んだ大切なこと

近鉄で学んだ勢いの大切さをもって、長く野球を続けたい

2005年以降、岩隈は新球団・楽天のエースとして、7年間で65勝をマークした。2008年に21勝4敗、防御率1・87という成績でMVPに選ばれ、2度目の最多勝投手と初めての最優秀防御率のタイトルを獲得している。

2012年に海外FA権を獲得してシアトル・マリナーズに移籍し、メジャーリーグで63勝を挙げた。

「楽天に移籍したあとは、気持ちを入れ替えました。応援してくれる楽天ファンのために投げようと。そういう期待に応えなきゃいけないピッチャーになったという自覚はありました。

メジャーリーグに行って、さらに高いところを目指してプレイしました。その気持ちは巨人でプレイしているいまも持ち続けています。近鉄時代、自分がメジャーで投げることが想像もできませんでしたが」

やるときはやる! 豪快な集団が近鉄バファローズだった

20歳でプロ初勝利を挙げた岩隈も、38歳になった。野球選手としての集大成の時期が近づいている。日米で20年もプレイしてきたが、近鉄の先輩から受けた衝撃が忘れられない。

「当時の近鉄の先輩方の体つきは本当にすごかった。いまの選手は栄養を考えたり、サプリメントをとったり、計画的にウエイトトレーニングで体をつくったりしていますが、昔の人は、と言ったら怒られるかもしれないけど(笑)、強さが違ったような気がします。メンタルもそう。ちょっとやそっとのことでは動じない、へこたれない強さがありましたよね」

近鉄の“いてまえ打線”には数値に表れないたくましさがあった。

「近鉄の先輩たちはやんちゃというよりも、豪快でした。そういう人たちと一緒に野球ができて、楽しかった。はじめは見た目と関西弁が怖くて、違う世界の人に思えましたけど(笑)。

みんな、やるときはやる! それも豪快に。そのメリハリが近鉄のよさだったんじゃないでしょうか。そのチームの一員になれたことは本当にうれしい。振り返ると、近鉄には小さくまとまってしまう選手はいなかった。個性を生かし、長所で勝負する集団だったと思います。それで、ひとつにまとまったときは本当に強い。僕がメジャーリーグに行ったのは、はじめに近鉄で豪快な野球に触れたからかもしれません」

近鉄でプレイしたこと、近鉄最後の開幕投手だったことを胸にしまい、岩隈はまだまだ投げ続ける。

「近鉄で学んだこと? なんだろう……勢いの大切さですね。はじめは関西のノリが怖かったけど、チームがひとつにまとまるときの勢い、勝負を動かす勢いを学びました。だからこそ、試合の流れを止めないように、勢いに乗れるようなピッチングを心がけてきました。まわりの人からは淡々としているように見えるかもしれないけど(笑)、いつも気迫をこめて投げています。

いまは、できる限り長く、野球を続けたい。近鉄の選手の誇りを持ってプレイしていくつもりです」

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元永知宏

もとなが・ともひろ●1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。『期待はずれのドラフト1位――逆境からのそれぞれのリベンジ』『敗北を力に! 甲子園の敗者たち』『レギュラーになれなかったきみへ』(いずれも岩波書店)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社)、『敗者復活 地獄をみたドラフト1位、第二の人生』(河出書房新社)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『野球を裏切らない――負けないエース 斉藤和巳』(インプレス)などの著書がある

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